零の言葉に頷ける雰囲気ではなかった。彼は、今在詠によく似た顔をしながら、きちんと今在零としてそこに存在していた。


「そんな、あたし」

「ずっとね、苦しかったの」

「……」


 顔を上げることができなくて、零が履いているスリッパの先を見つめていたから、彼の表情はわからない。だけど、零が一歩こちらに近づいてくるのはわかった。


「詠の幻を、ぼくの中に見出してみる?」

「なに、それ」

「詠の代わりにしていいから、あなたに触れる資格を頂戴ってこと」


 とん、と肩を押され、本棚に背中がぶつかる。後ろの棚は近代文学のコーナーで、手を伸ばせば太宰がそこにある。

 脳のど真ん中にある快楽中枢がじりじりと甘く疼いていった。

 どうしよう、あたし、最低だ。詠のことが好きで、零に近づいたはずなのに。こんなはずじゃなかったのに。

 ——あたし、今すっごく興奮してる。

 言われたことに対して軽く頷くと、零はあたしに目線を合わせた。


「もう、ぼくのだからね」


 曖昧な同意をきちんと拾い上げて、零はあたしの唇に自分のそれを重ね合わせた。