あの日、海に交わした約束を


 ゴォォォォーン。

 夕暮れ時の砂浜に船の汽笛が鳴り響く。

「みーう!」
「わぁ!?」

 とんと後ろから肩に手を置かれて、私はすっとんきょうな声を上げながら振り返る。

「も、もう、びっくりしたぁ」

 驚いて胸の辺りを抑えた私に、彼は悪びれもなくヘヘヘへと笑う。

 夕日を帯びた癖っ毛な黒髪がさらりと海風になびいた。

「でも、呼び出したのは美海だろ?」
「それは……そうなんだけど」

 あれから波琉は無事に病院を退院し、特にこれといった事故の後遺症が残ることもなく以前と同じような生活を送っていた。

「今日の美海はなんか変だなー」
 
 まごつく私を波琉が神妙そうな面持ちで覗きこみながら、となりに腰を下ろす。

 どうしてだろう。

 事前に言うべきことは頭の中で何度もシミュレーションしてきたはずなのに、いざ彼を前にすると思うように言葉が出てこない。

「ねぇ、美海」

 私が一人で葛藤している内に、思いがけず波琉がこんなことを聞いてきた。

「あの時の約束、覚えてる? ほら、小学校の時の」
「ああ、うん、覚えてるよ」

 ――この先、何があってもずっと二人一緒だって。

 それは今でも鮮明に思い出せる。私の中の温かくて優しい記憶。

「なのに結局、その後、二年もしない内に美海が引っ越しちゃってさ。俺、本当はめちゃくちゃ悔しかったんだ」

 夕日が沈みゆく海の遥か彼方、地平線を見つめながら波琉はそう言った。

「だったら、もう一回、約束し直さない?」
「え?」

 突然の私の提案に、波琉がきょとんと目を丸くする。
 
 言うなら今しかないと思った。

「あ、あのね、波琉! 実は私、波琉に嘘ついてるの」
「嘘?」
「うん……本当はね、波琉の告白断ったのはね、幼なじみでいたいからっていう理由じゃないの」
「そう、なのか? じゃあ、なんで」
「それは……私なんかが波琉と付き合ったらダメだと思って」

 バツが悪くなって、私はついと波琉から目をそらした。

「どうしてだ?」

 ちょっぴり悲しそうな顔で眉根を寄せた波琉が聞いてくる。

「私達ってさ、結構、性格とか正反対でしょ? だから、波琉と付き合ったら私、きっともっと波琉に迷惑かけちゃうと思うの。そしたらなんか波琉に、申し訳ない気がしてきて……」
「そんなの……気にしなくていいのに」

 その時、大きな何かが私の手の甲に上からそっと重なった。

 びっくりして見ると、波琉が手を繋いでいた。

「俺はさ、別に美海は自分が言うほどダメな子なんかじゃないって思ってる」
「でも、私、昔から弱虫だし、一人じゃなんにもできないし……」
「人間なんてどうせみんな弱虫だよ。悲しいことがあれば簡単に傷付いて、嫌なことがあればすぐにそれから逃げようとする。誰かの支えがなきゃ生きていけない、それくらい弱っちい生き物なんだ」

 それに俺だってと彼は続ける。

 繋がれた手に、ぎゅっと彼が力をこめたのがわかった。

「美海が引っ越しちゃった後は、しばらく毎晩みたいに泣いてたよ」
「えっ、そうだったの?」
「うんうん、美海の前ではかっこ悪いとこ見せたくなくて必死に隠してたんだけどさ。ほんっとあん時は、寂しくて孤独死しそうだったんだからなー」

 そっか、私だけじゃなかったんだ。

 ひょっとしたら波琉は、私の前じゃいつも平気なふりをして強がっていただけなのかもしれない。いつだって私にとっての頼れるお兄ちゃんでいるために。

「ねぇ、波琉。もしも波琉がいいって言ってくれるなら、やっぱり私――」
「そんなの、いいに決まってるだろ!」
「えっ、ちょっ……まだ何も言ってませんけど!?」
「ハハハハ! なんとなくわかるよ、美海の言おうとしてることくらい。だって、幼なじみだもん、俺達」

 どうやら彼には何もかもお見通しらしい。

「あっ、でも、今からは恋人同士ってことになるのか!」
「こ、声が大きいよっ、波琉」
「別にいいじゃーん。だって誰もいないんだし、紛れもない事実だし!」

 も、もう! このお調子者は本当にいつになっても……!

 結局、またいつものくだらないじゃれ合いみたいになってしまっている。
 
 心なしか、そんな私達二人に呆れて海も笑っているような、そんな気がした。