名前のない香水

夢の家に着くと、
玄関の奥から、柔らかい声がした。

「一花ちゃん、こっち来て」

夢のお母さんは、
何も聞かずに、帯を手に取る。

苦しくないか、
きつくないか、
一つひとつ確かめるように、
静かに結んでくれる。

「無理はしないでね」
それだけ言って、
それ以上は、踏み込まない。

その距離が、
今の私には、ちょうどよかった。

帯が結ばれて、
夢のお母さんが一歩引く。

「はい、できたよ」

鏡の前に立った私を、
夢が後ろからのぞき込む。

「……一花さ」

少し間を置いてから、
いつもの調子で言う。

「普段から可愛いけどさ」
「今日は、ちゃんと“可愛い日”だね」

からかうみたいなのに、
声は、やけに真面目で。

「なにそれ」
思わず笑うと、
夢も肩をすくめた。

「事実ですー」

夢のお母さんが、
小さく笑う。

その空気が、
少しだけくすぐったくて、
少しだけ誇らしかった。