名前のない香水


ドアが開く。

「足、ちゃんと動くか?」

一花は、また小さく頷く。

電車に乗り込んだ瞬間、
少しだけバランスを崩した。

そのとき。

ふわり、と。

甘い香りがした。

強くはない。
でも、はっきりと分かる。

体育祭後の汗の匂いなんて、しなかった。

柔軟剤なのか、
シャンプーなのか、
それとも、桐谷自身の匂いなのか。

分からない。

ただ。

近い、と思った。

桐谷がつり革を掴み、
自然に一花を囲うように立つ。

触れてはいない。

でも。

肩のすぐ横に、胸の気配。

背中に、体温。

さっきまで寒かったはずなのに、
少しだけ、頬が熱くなる。

「……大丈夫か」

低く落ちる声。

耳に近い。

香りと一緒に、
胸の奥まで届く。

一花は、
こくん、とまた頷いた。

体調が悪いはずなのに。

どうして。

こんなときに限って、
心臓だけが、元気なんだろう。