身代わり婚~暴君と呼ばれた辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

 エルウィンがアリアドネを連れてやってきたのは立食テーブルが置かれた壁際だった。

「ここにいれば目立つこともない。誰かが声をかけてくることも無いだろう。何、例え不届き者が現れても俺がひと睨みすれば恐れをなして逃げて行くさ。要はずっと俺の傍にいればいいだけの話だ」

ずっと、と言う言葉に力をこめるエルウィン。

「はい、そうかもしれませんが……。ですが、エルウィン様は陛下から貴賓客としてお城に招かれたのですよね? 陛下がいらっしゃった場合はご挨拶に行かなければならないのでは?」

「むぅ……」

途端に難しい顔になるエルウィン。

「そ、そうか……。本来ならお前を伴って陛下の前に参上しなければならないだろうが……アリアドネはあまり人前に自分を晒したくは無いのだろう?」

アリアドネは自分がステニウス伯爵の妾腹の娘であることを伏せたかったので、目立つわけにはいかなかった。

「はい、その通りです」

「なら、俺がお前の傍を離れるときは少し寒いかもしれないが、バルコニーへ出ているか……?  いや、駄目だ。あそこには不埒な気持ちを抱いて女を待っている不届きな男がいるかもしれない。仮にお前がバルコニーへ行こうものなら、後をついてくる男だって現れるかもしれないしな……。よし、なら護身用にダガーを預けて置こう」

そしてエルウィンは腰に差していた小さなダガーをアリアドネに差し出した。

「え? あ、あの!」

「大丈夫だ。このダガーは特別製でな。貴重なミスリルという金属で出来ているのだ。非常に軽くて、剣を持ったことの無い者にだって扱いやすい。これをお前に託しておこう」

「そ、そんな! だ、大丈夫ですから」

まさかエルウィンが自分にダガーを手渡して来るとは、アリアドネは夢にも思っていなかった。

「ひょっとして貴重なミスリル製だから遠慮しているのか? なら案ずることは無い。アイゼンシュタットにはミスリル製の武器防具は沢山備えてある。これを機会にお前も武器の一つ位は持っていた方がいいかもしれないしな。いいか? 狙うときは足か腕を狙った方がいい」

「そ、そうではありません! 私に武器を持つのは無理ですから。目立たない端にいれば大丈夫ですから」

武器など手にしたことの無いアリアドネは必死で拒む。

「ま……そこまで拒むなら無理に渡さないが……」

渋々ダガーをしまうエルウィンにアリアドネは気を遣って声をかけた。

「あの、それよりもエルウィン様。まだダンスも始まりませんし、陛下もいらしておりませんので何か飲み物でもいただきませんか?」

「そうだな。よし、アリアドネ。目立たないように立っていろ。俺が2人分の飲み物を貰ってくるから何処にも行くなよ」

「はい、分かりました」

素直に頷くアリアドネ。

「アリアドネは飲み物は何がいいのだ?」

「そうですね……ではもし、あればスパークリングワインを頂ければ……」

アリアドネは離宮で出されたスパークリングワインにはまっていた。

「スパークリングワインだな? 任せろ。それじゃ行ってくるが……くれぐれも不審人物の後はついて行くんじゃないぞ?」

「はい、エルウィン様」

苦笑するアリアドネ。

「すぐに戻る」

エルウィンは飲み物を探しに行く為にアリアドネの傍を離れた。
そして、ちょっとした騒ぎが起こる――