隣の席の坂本くんが今日も私を笑わせてくる。


 「先生!!」

 切り裂くような悲痛な叫び声にハッと我に帰る。

 後ろを振り返ると、全身がずぶ濡れの小学生が2人、顔色を真っ青にしてこちらへ全速力で走ってくる。ただ事ではない気配はすぐに察知した。

 1人が濡れた体のまま、倉橋のじいさんの身体に縋り付く。甚平の濃紺がさらに黒く濡れそぼる。

 「どうした!?」
 「せ、先生ッ……ど、どうしよう、タツキが、タツキがッ」
 「川で遊んでたら、タツキ、足滑らして落ちて、それで……!」
 「あん川行ったんか!? 昨日の雨で増水しとって危ないゆうてたやろが!」
 「ヒッ、ご、ごめんなさ、」

 堰を切ったようにワンワン泣き始める小学生の頭を撫でて、倉橋のじいさんがこちらを向いた。
 
 今までに見たことのない、鬼気迫る顔つきに勝手に体が震える。

 「至、おい、至ッ!」
 「! は、はい!」
 「しっかりせえ! 俺はこいつらと一緒にタツキ探しに行くで、お前は周りの大人呼んでこい! あとロープとタオル!」
 「は、はい!」

 弾かれたように俺は地面を蹴り上げて、彼らとは反対方向へ走り出す。

 一度だけ振り返った視界の中。
 小さくなる背中が、倉橋のじいさんとの最後になるとは、この時、思いもしていなかった。


 その日は、前日の大雨せいで茹だるように暑くて。

 「おい! 引き上げろ!!」
 「男は力を貸せ!!」
 「119番! 早く!!」

 やけに、蝉の鳴き声が煩くて。

 「子供は無事か!!??」
 「おい、じいさん息してないぞ!! AEDもってこい!! 人工呼吸するから手伝ってくれ!」
 「ちょっと、救急車はまだ!?」

 乱れた呼吸は、さらに思考を混乱させる。

 絡まった糸のようにぐちゃぐちゃになった頭の中を、ただ一つだけ覆しようのない事実が支配する。

 あ、やばい。
 考えるな。考えるな。
 今、考えるな。

 心臓を鷲掴みされたような、ひどい立ちくらみで視界がぼやける。


 俺が。
 俺が──もっと早く、助けを呼べていたら、こんなことには、ならなかった。