「えと、どしたん?」
「あの。ちなみにお聞きしたいんですけど」
「う、うん」
「キヨコさんって……人間じゃないんですか?」
「キヨコは猫やで?」
「猫?」
「うん。猫。黒猫」
「……ああ……そうですか。猫……」
なんということでしょう。
やっと状況を理解しました。
私が関西で生き別れた昔の女だと思っていたキヨコは、坂本くんの飼い猫だったのです。私は飼い猫のキヨコにムカついていたのです。
似ているとは言っていましたが、まさか人間じゃなかっただなんて、全く想像がつきませんでした。
「……ふ」
「……倉橋さん?」
ああ、なんだか馬鹿馬鹿しくなってきました。
あれだけ膨らんでいた怒りの風船に穴が空いたように萎んでいきます。
そうしたら、勘違いをしていた事もムカついていたことも今思い返すとちっぽけな事のように思えてなりません。
「ふふっ……そっか……猫っ、ふ、は……」
ひとしりき笑った後、はぁ、と息を吸い込んで表を上げると──、坂本くんは耳まで真っ赤にした顔で、ハッと我に帰ったように胸を押さえました。
「いっ、いきなり笑わんといて! し、心臓に悪いんよ! 笑う時は先言うて。そしたら、心の準備できるから……!」
「そんな無茶な……」
事前報告制の笑顔って意味不明すぎます。
早押しクイズより難しい気がするのですが。
「……あんな、倉橋さん」
「何ですか」
「もっかい、笑うて?」
「……(何を言っているんだろうこの人)」
「だっ、だって、もっかいみたら耐性ついて大丈夫になるかもしれんし! 倉橋さんやって、俺がずっとこんなんやったら嫌やろ?」
「まあ……」
むしろ、狼狽えている坂本くんを見るのは気持ちがすっとして気分がいいくらいなのですが、私もそこまで鬼ではありません。
こほん、と咳払いをします。
「……一回だけですよ」
「うん」
シンと静まり返った保健室。
錆びのついたパイプ椅子に座り直すとぎぃ、と床と擦れる音が鳴り響きます。
坂本くんの視線を感じつつ、私は口角をあげてにっこり微笑んでみせます。私が最大できる笑顔をみた坂本くんは、しばらく黙った後、やっと口を開きました。
「……倉橋さん」
「はい」
「……こんな事を言うのはあれやと、思うけど、一個だけええ?」
「何ですか?」
すっかり顔色の戻った坂本くんは、膝の上に乗せた拳をぐっと握りしめます。
そして、意を決し顔を上げたかれは、こう告げました。
「たぶんその笑顔は、世間一般やと──薄ら笑い、言います」



