リビングへ顔を出すと、弟のカナタがご機嫌に歌を歌っていた。テレビの中で踊る歌のおにいさんに夢中だ。
その傍には、再婚相手の和馬さんが、その様子を見守っている。
俺に気づいた和馬さんが、柔く笑った。
「侑くん、まだ髪濡れてるやん。ちゃんと乾かし? 風邪ひくで」
「あ、うん」
「にーに!」
「カナタ、にーにがほんま好きやな〜」
カナタがちっこい手を俺の方に伸ばして、抱っこをせがんでくる。
少し躊躇いつつも、カナタを抱っこすると、意外とずっしり重たい。この家を出る頃は、まだカナタは生まれたばかりで首も座っていなかった。見ないうちに随分成長していて驚く。
キャッキャと、楽しそうな声をあげるカナタを見ていると、つられて笑ってしまう。
キッチンの方から、料理中のオカンの声が聞こえてくる。
「侑〜! 悪いんやけど、スーパーでしょうゆこうてきてくれん?」
「……人使い荒ない?」
「あんた、和馬さんの代わりにカナタ見れるん?」
「……行って来まーす」
大人しくオカンの言うことに従うことにした。
玄関で靴に履き変えて立ち上がると、カナタを抱っこした和馬さんが後ろに立っていた。カナタのちっこい手を持って手を振る。
「気をつけてな、侑くん」
「ばばーい!」
「……」
俺は少し会釈して、家を出た。
外に出ると、生暖かい空気に乗ってカレーの匂いがする。たぶん、どっかの家の晩飯だろう。
こっちの空は、向こうの空より少し狭い。
半分欠けた月が、ただポツンと真っ黒なキャンバスに鎮座しているようだ。生まれて来て何度も見上げたことのある風景なのに、どこか知らない街の写真を眺めているような気分になる。
仲のいい両親に、可愛い弟。
絵に描いたような幸せな家庭だと、誰が見ても言うだろう。
けれども、時々俺は、思うのだ。
箸もスプーンの場所も分からないこの家に、俺の居場所はないんじゃ無いかと。



