幼少期のころ、私のあだ名は『背後霊』でした。
あだ名の由来は、気が付いたら後ろにいて、無表情で立っている様が実に不気味だったから。
そういえば、小学校最後の修学旅行、一番端で人の背に隠れるようにして撮った集合写真が、顔半分だけ写り込む死んだ瞳をした青白い顔の少女がいるとクラス内が騒然となり、3組にはいじめを苦にして自殺した少女の幽霊が彷徨っているだとかなんとか噂に尾ひれがついて学校の七不思議になってしまったことがありました。
写真を見て、(これ私だな……)と思いましたが、何も言わずにそっと黒歴史として蓋をすることにしたのです。
小学生の考えるあだ名って結構残酷です。
けれど、そんなあだ名にどこか納得してしまう自分がいました。
彼らからすれば、無口で無表情で話の通じない、それこそ幽霊みたいな存在だったのでしょう。
人間関係を円滑に進めるために必要なもの。
たとえば、協調性とか、気遣いとか、愛想とか、立ち回りとか。
そういうものすべて、生まれた瞬間に母親の腹の中に置き忘れてしまったのです。
あるいは私と血がつながっているのか疑うほど陽気な家族に、陽の気をすべて持っていかれたのかもしれません。
今回みたいなことは、今までだって何度もあったのです。
暇つぶしかただのきまぐれか。
くだらないからかいをした後、彼らは表情ひとつ変えない私に、決まって言うのです。
つまんないやつ、と。
あれから、坂本くんが私に話しかけてくることはなくなりました。
机にりんごが置かれていることはないし、季節外れのゴーグルを装着していることもありません。
部活動のないゲートボールの解説本を読み耽ることもないでしょうし、いきなり栗まんじゅうを渡されることはありません。
まして、馬の姿で登場することも、学校に昼寝用の枕を堂々と持ち込むこともありません。
かくして、平穏な高校生活が戻ってきたのです。
これで私の心が乱されることはなくなりました。
ただ、ひとつ。
惜しむことがあるとしたら。
ら、に続く言葉が何だったのか、永遠に分からないことだけです。



