─両親が不慮の事故で、亡くなるまでは。
両親が亡くなったあと、私は父の姉夫婦─伯母夫妻の家に引き取られた。父は良い家柄出身だったこともあり、母の悪口をいっぱい聞いた。
特に伯母は父を凄く可愛がっていたそうで、母への恨みはとても深く、母によく似ていた私への暴言暴力はほぼ毎日、憂さ晴らしの道具として扱われた。
ご飯は基本的になく、1日に1食、伯母夫妻家族の食卓で出たものの残りを貰えたら、運が良かった。
水も食事も死なない程度に与えられただけで、毎日、お腹は空いていた。途中から、空腹感は忘れたけれど、それでも、お腹空く日はとても空いていた。
世間体で学校には通わせて貰えたものの、高校卒業と同時に進学は許されない。家で飼い殺しされる話も出ていて、朱音の父に救われることのなかった場合に朱音の母に考えられた未来じゃないかと思いながら、与えられる仕事をこなした。
─正直、日々の仕事も多くて、寝る暇もない。
使用人達には同情されたけど、手を借りたことは無い。
こういう場合、手を貸してもらった方がもっと仕事が増えることは予想出来たし、何より、私の仕事を手伝ったことで優しい人たちが傷つく羽目になることが嫌だったからだ。
そんなある日、従姉妹の元にお見合いの話が出た。
家柄的にそういうことがあってもおかしくなかったが、その相手が大企業の御曹司だと分かると、従姉妹は興奮を見せた。自分の容姿にとても自信がある彼女は、お見合い相手の彼と結婚して、大企業の社長夫人になりたかったんだろう。
しかし、お見合いの場所に来たのは予めも届いていた写真とは全く違う男性で、従姉妹は腹を立てた。
本来の御曹司代理かと思えば、彼が従姉妹と婚姻を結ぶ相手という。別にその人が醜男とかだったわけではない。
予め頂いていた写真の男が、あまりにも美男だっただけだ。
「ありえない!この話は無かったことにして!貴方みたいな醜男のために、私は存在してるんじゃないの!こっちを見ないで!気持ち悪い!!」
従姉妹─麗奈(レナ)の暴言は、酷いものだった。
周囲に望まれ、祝福を受けた上で、作り物のような美男の妻に、大企業の社長夫人に、家格上の当主の妻になれると思ったのに、写真と違う男が来たばかりか、相手方の両親がいなかった。
それは、彼女のプライドを酷く傷つけたんだろう。
それにしても、私─朱音相手ならまだしも、初対面のお見合い相手に言うなんて。教養がないと蔑まれてもおかしくないのに、麗奈に罵られた男性は穏やかな人で、笑っていた。
「困りましたね」
怒りもせず、ただ一言。
穏やかな微笑みを浮かべて、そう言った彼。
家格は上なのだから、問題事だけは起こして欲しくなかったのだが……麗奈のことだ。説明しても、理解することは無いだろう。
同時に、あの馬鹿な親も理解しない。
麗奈の後を追いかけて、謝罪すらない。
例え、写真通りの人間ではなかったとしても、確実に彼は家格が上の家の人間で、麗奈ごときが罵れる相手でもなければ、許可がなければ、顔を拝見することも叶わぬ立場であるというのに。
彼らのために何かをしなければならないのだろうか。……守る意味なんてなければ、心の底からどうでも良いのだが。
そんなことより、彼らを怒らせてしまった時の対処法をどうするか、考えた方が合理的な気もする。
とりあえず、相手の出方を待っていると、
「彼女はいつも“ああ”なんですか?」
と、聞かれた。
「ええ、まあ……彼女がすみません。お目汚しを致しました」
「それはどうでも良いのですが。……なるほど」
麗奈が怒鳴り散らして出ていったまではいつも通りなのでどうでもいいが、全く、この空気をどうしてくれる。
「火神の名を持ちながら、あれは……」
伯父夫妻のことを言ってるのだろう。─当然だ。
あの夫妻は何よりも先に、彼に謝罪するべきだ。
そんな当たり前のことすら、理解していないのか。
「貴女は、彼女を追いかけないのですね?」
「追いかける理由はありませんし、貴方に失礼なことをしてしまった以上、私はここに残る意味があります。許しを得られるならば、地に伏して、謝罪をしたい所存ですが」
「それは困りますね……目立ちますし」
そう。だから、敢えて行動しなかった。
下の者として、彼らの機嫌を損ねない行為は勿論、彼らの恥になってもならない。
だからこそ、朱音は彼の許しを待った。
「……貴女は、私と目を合わせることもしないのですね?」
「それが、規範です。私のようなものが、御尊顔を許可もなく眺めるなど出来ません」
「なるほど。では、もうひとつだけ聞いても?」
「勿論です。どのような事でもお尋ね下さい」
何かを探るような目。
朱音は微笑みを絶やすことなく、続きを促す。
「では遠慮なく。─貴女は、何故、緋ノ宮の唯一の後継ぎでありながら、あのようなもの達の下で大人しくしているのですか?」
「……」
予想通りといえば、予想通り。
この世界は規則にとても厳しい。だからこそ、理解出来る人間が見れば、朱音の待遇はおかしいものであり、処罰対象と見る。
(だからこそ、外では私を大事にしなければならなかったのに)
普段は、朱音を外に出さない彼らは忘れていたのか。─それとも、知らなかったのか。
『あの人は、自身の役割を全て投げ捨てて、駆け落ち同然で結婚している。緋ノ宮の全てを、自分の意思で捨てたんだ。だからこそ、これらの規則に囚われる理由なんてものは無い。同時に、溢れるほどの恩恵を受ける正当性もないんだ』
……亡き父の言葉からして、後者だろう。
少なくとも、伯母は知らなければならない。
勿論、この世界に足を踏み入れた時点で、伯父や麗奈も知らなければならないことだが。
「……私達の立場って、複雑ですよね」
「……」
「傍から見たら、何もせずに、全てが手に入る魅力的な地位に見えてしまうようで。……その代償も知らずに、手を伸ばす方々は多いのですよ」
朱音は微笑んだ。母譲りの、表情で。
すると、彼は面白そうに口角を上げる。
「朱音さん、」
「はい」
「では、貴女が自身の名前を弄ぶ人を見過ごしているのも、それが理由ですか?」
「……」
父と母は、誰にでも優しかった。
そして、朱音には、色々教えてくれた。
─同時に、父と母は非情な面もあった。
「それで彼女が身を滅ぼしても、私の知る由ではありませんから」
社交界で通る、“緋ノ宮朱音”。
その噂は中々なものであり、両親の遺産を食いつぶしただの、男遊びが激しいだの、弱者に対するイジメ、ギャンブル好き、浪費家、その他諸々……麗奈自身が気づいているかは知らないが、彼女が朱音を騙って行った所業は、こうして目の前の彼にもきっちり知られているらしい。
「─先日」
彼は読めない表情のまま、語り出す。


