父性本能を刺激したようで最上級の愛で院長に守られています

 患畜の負担とリスクを考えたら、今のタイミングでの手術が最適だと判断した。

 医療提供教育カリキュラムに基づき、私を含めた一定の技術を持つ獣医師のみが大動脈解離手術の執刀をしていた。

「ん〜」
 飼い主が苦笑いを浮かべたり眉間にシワを寄せて、何度も首を傾げている。

「マロくんの場合、破裂の危険性が高い袋になっている大動脈瘤です。自覚症状がないまま大きくなる場合がほとんどです」

 症状が現れることもあるが、大動脈瘤が急速に大きくなって破裂が差し迫っている可能性がある。 

 こんな危険レベルが高い状況を説明しないわけにはいかなかった。

 迷いに迷い思案中なのは明らか。なにをそんなに迷うことがあるのか、逆に私の方が飼い主に疑問を抱く。

「すぐに結論は出せません、家に帰って家族と相談しないことには」 

 歯切れが悪い話し方に多少のじれったさを感じる。マロが落ちなきゃ(死ななきゃ)分からないのか。

「ご家族とゆっくりとご検討ください」
 ゆっくりしている場合じゃないのよ。心の中で大きく息を吐き診察室を後にした。

 大動脈瘤はタイミングを見極めれば、成功率のきわめて高い治療を施してあげられる。

 今のタイミングを信じて。
 私を信じて。

「お疲れ様です」
 しばらくしてスタッフルームを通り過ぎようとしたら、受付を終えた梨奈ちゃんが来た。
 穏やかな表情と優しい声は私に安心感を与える。

「コーヒー淹れましょうか?」
 戸根院長に頼まれた勉強会の資料作成の途中で大忙しなのに、本当に優しいね。

「ありがとう、今はいい」
「どうしたんですか?」
「分かる?」
「まさか浮かない顔して、なんでもないなんて言いませんよね?」
 手も握らんばかりの柔らかな微笑み。

「実はさ」
 今の診察内容を話した。梨奈ちゃんは獣医師と飼い主、両方の立場を理解して深く考えているみたい。

「もしお手伝いが必要なら、いつでも言ってください」
「ありがとう、優しいよね。ちょっと入院の様子見てくる」 

 梨奈ちゃんと話して入院室のケージ内の患畜をひと通り見ていたら、背後からズシンとくる声に呼び止められた。