父性本能を刺激したようで最上級の愛で院長に守られています

「伊乃里くん」
 口をはさむ羽吹副院長は「信じて、計画は順調だよ」って。 

「いつ完成なんですか?」
「伊乃里くん、まだ途中段階なんだよ。でも大丈夫」
「大丈夫の、その根拠は?」
 私の質問に口ごもる姿は羽吹副院長らしくない。

「資金のことも血液バンクセンターのことも、今すぐ羽吹院長に確認します」 

「待って。院長は今、オペの真っ最中なんだ」

 羽吹副院長は両手を自分の前で伸ばし、これ以上立ち入るなと全身で拒否反応を示してくる。

「しびれを切らしたか、冷静になれ。そう彼を追い詰めるな」
 そっと私に忠告してくる。

「伊乃里くん、本当に変わったね。強くなったね」
 苦笑いを浮かべる口元は横に大きく開き、くっつけた上下の歯は奥歯まで見えそうなほど不自然で、必死に笑おうとしているみたい。

「では質問ですが慰謝料、愛人、奥様とはなんですか?」
 私以上に驚いたのか羽吹副院長がブレンドを吹き出した。  

 まさか柔順で反抗せずおとなしかった私が詰め寄るとは思わなかったでしょ。 

「わたしから彼女に説明しましょうか? 羽吹さん話しづらそうですね」

 思い詰めたような顔は固く強ばって、唾を飲み込むと不自然に大きな音を鳴らしている。

 羽吹副院長、凄く緊張しているんだ。

「素直で穏やかで逆らわず思い通りに支配出来たから、今回も簡単に彼女を騙せると思ったのですね」

「伊乃里くん、僕の目を見て。僕がそんな悪人に見えるかい?」

「羽吹さん、七百万とは欲をかきすぎましたね。開けて悔しき玉手箱、悪事はそうそう期待通りにはいかないでしょう」

「伊乃里くん、何度でも言うよ。戸根さんのおっしゃっていることはデタラメだよ」 

「帰路につく道すがら、わたしから彼女に説明した方が良いようですね」

「待ってください」
 泣き言みたいな情けない声で力なく引き止める羽吹副院長のことはお構いなしで、私の荷物を持った戸根院長が踵を返す。

 『往生際が悪いというか悪あがきというか』という独り言を残して。
 
 店を出ると送ると言う戸根院長の車に、とりあえず乗り込んだ。真相を聞きたいから。

「どこから聞くんだ? 獣医師だろ、スムーズに話を進めろ」
 澄ました横顔は涼しい顔で前を向いてハンドルを握っている。

「羽吹副院長って既婚者なんですか?」
「三年前から」
「男として意識してって言ってた頃、噂になった資産家のお嬢様だ、最っ低!」

「奥様は女医だ」 

「女医?! あのとき、爽やかな顔してただの噂だって笑って否定したのに」

「見た目に騙されるな、ただでさえ女癖が悪くて独身時代から看護師や女医や受付に手を出している。すでに奥さんに飽きたんだろう」

「それで久々に私に連絡をしてきたと」
 隣で浅く頷いている。

「伊乃里をちょうど良い遊び相手と金づるにするつもりだったんだろう」
 夜景に浮かぶ灯りに照らされた整った筋の通る鼻から軽く息が漏れた。  

「羽吹さん如く、お前は素直で口答えもしない柔順な研修医だったんだろう? なめられたもんだ」

 あまりに覚えることが多すぎた研修医時代。飛び回る毎日に下世話な話なんか耳に入れる暇なんかなかった。

「俺なら羽吹さんみたいなタイプは良い人すぎて逆に怖くて疑うけどな。お前が信じられない」