父性本能を刺激したようで最上級の愛で院長に守られています

 翌朝、お世話になった方との久々の再会のため、ふだんのひっつめ髪をやわらかく、眉毛を描き薄いリップを塗り必要最小限の身なりを整えた。

 十一時の約束だから五分前には店に着くように家を出た。

 羽吹副院長どんな感じかな? 変わったかな、相変わらずイケメンなんだろうな。

 研修医時代を思い出しながら店に到着したら、窓ガラスの向こうにすでに羽吹副院長が座っているのが確認出来た。

 この砂利、あの頃のままなんだ。緊張して足を取られた私に羽吹副院長が手を差し伸べてくれたっけ。
 
 ドアを開けると懐かしい穏やかな笑顔が私の瞳に飛び込んできた。

「ご無沙汰しております」
「元気そうだね、伊乃里くん、うん」

 変わっちゃったから驚かせちゃったかな。目はギョッとして頬も口角も引きつり、笑顔がぎこちない。
 三分もしたら慣れるでしょう。

「羽吹副院長もお元気そうでなによりです」
「ずいぶんと忙しそうだね」
 髪の毛から顔から、さり気なさを装いながら確認するような視線を感じる。

「昨日のメールおかしかったですよね、すみませんでした」
 あんの野郎、戸根院長の奴、勝手なことしたから平謝りだよ。

「大丈夫、気にしていないよ。忙しかったんでしょ、想像出来るよ。逆に仕事中にごめんね」

「いいえ、とんでもないです」

 羽吹副院長と同じブレンドをオーダーして、改めて近況を報告し合う。仕事の話は昔に戻るようで楽しい。

「戸根さんでも最近ペットカートからの落下事故が増えてない?」
「分かります、増えましたよね」

「落下でパニックをおこし、そのまま歩道で自転車に轢かれる、あるいは車道に飛び出し自動車にはねられる症例が増えたね」

「うちは骨折が多いです」
「骨折は後まわしで手術するなり治せば良いから楽だよね」

「はい、研修医時代に緊急手術で羽吹副院長から教えていただきました」

「伊乃里くんは一度だけ可哀相なほどパニック状態に陥ったときがあったね」

「患畜の四肢が有り得ない方向に向いていましたからね。冷静になったら、体って柔らかいんだなぁなんて思いながら治療をおこなっていました」

「あれ一度きりで、この新人は肝が座っているなって感心したよ」

『研修医でも飼い主や患畜にしてみれば、誰も彼もが獣医師なんだよ!』

『あんたが落ち着かなくてどうすんのよ!』

『伊乃里しか居ないんだよ!』って、そのとき一緒に緊急手術をした獣医師やベテランアニテクに怒鳴られたっけな。

「肝が座っていると言うか、あのときは立ってフワフワしている肝を鬼の獣医師やアニテクたちに無理矢理座らされました」

 私の言葉に控えめに声を漏らして羽吹副院長がカップに口をつけている。

「骨折よりも、なにより問題は失血ですよね」
「戸根さんのところは血液足りてる? 大丈夫?」

「血液が足りない場合は、供血犬登録をしてもらっている患畜に協力を求めたり他院から譲ってもらったりして、どうにか凌いでいます」

 事故や病気の緊急時に駆け付けてくれる供血犬や供血猫たちのおかげで救われた命がたくさんある。

 処置中もじっと動かず居てくれて、物事に動じることなく賢く穏やかな性格の子たちばかりで本当に助かっている。

 血液は長期保存することが出来ない。そこで活躍してくれるのが血液を提供してくれる供血犬と供血猫。

 いつも仲間の命を助けてくれてありがとうと心から想っている。

「人間と同じような血液バンクや動物用の血液センターが、日本にもあったらいいのに」
 ぽろっと独り言が漏れる。

「血液を一括保管・管理したり運べる機構も残念ながらないしね」

 久々の再会なのに昨日も会っていたみたいにブランクがない。

「伊乃里くんだけに伝えるよ、実はね」
 私だけにってなんだろう?