父性本能を刺激したようで最上級の愛で院長に守られています

「ここが良いです」
「よほど腹をすかせているんだな」
 チェーン店の牛丼屋に入った。 

「女性ひとりで入りにくいから、前から入りたくて俺を誘ったのか?」  

「まさか、すぐに食べられるじゃないですか」
「だよな、しおらしさは伊乃里には皆無だ」

「いつ救急が来ても良いようにセンター時代から、もっぱらチェーン店に入り浸りです」

「こうしてひとりでか?」
「はい、そうですよ。とにかく時間がもったいない」

 振り乱した髪を後ろで一本に結び、今かいまかと牛丼を待ち侘びる。

「『外科医は、いつ呼ばれて緊急手術になるか分からない。食える時に食っておけ!』との先輩獣医師の助言に基づいてです」

 神経内科の研修医のころは、のんびりおっとりゆっくりゆったりしていても平和で平気だったから食事も和やかだった。

 だから最初に消化器外科に転科したときは、あまりのバタバタ加減に驚いた。
 食事なんか二日に一食ありつければマシなほど激務だった。

 ものの三分もしないうちに牛丼が出て来た。

「ほら、戸根院長。私は、このスピードを求めているんですよ、いただきます」

 丼の真ん中にへこみを作り生卵を投入。あああ、なんて幸せな時間。

「ずいぶんと紅しょうがを盛るんだな」
「紅しょうがの赤みって気持ちが高ぶるんですよ、甘酸っぱさも疲れが飛びますよ」

「今やX-ray(レントゲン)もカラーの時代だ。そんなに紅しょうがを食べるとX-rayで胃腸が真っ赤に映り、診断に支障をきたす」 

「嘘?!」
「正気か、消化器外科だろう? そんな馬鹿げた話があるわけないだろう?」

「わ、分かっていましたよ? 戸根院長が冗談をおっしゃったから乗ってあげて驚いたんですよ」

「まぁ、そういうことにしておいてやる」
「そういうことなんですったら。それより冷めないうちに召し上がれ」
 
 私に促されて丼を口にする戸根院長。背すじをピンと伸ばし足を揃え脇もしっかりと締め、ゆったりと味わう姿は優雅に見える。

 なのにガツガツ食べる私と同じスピードで食べ切った。

「ごちそうさまでした」
「満足か?」

「はい、おかげさまで。今日は昼休憩もなかったようなものだったし、ようやくご飯にありつけました」

「食べられる時に食べておく姿は、まるでサバンナに生息する肉食獣のような凄まじい勢いだった」

「そうそう聞いてくださいよ。研修医時代、麻酔研修があったんですよ」 
「ん、それで?」