「大丈夫?」
腰をかがめた桜介くんが、わたしに向かって手を差し出してくる。
メガネの奥で細められた桜介くんのやさしいまなざし。落ち着いたやわらかな声。
大丈夫——?
なんでもない桜介くんのたったひとことが、その瞬間、わたしの胸にぐっときた。
大丈夫。柵を乗り越えるのに失敗して転んだ痛みは。
大丈夫じゃないのは、心のほう。
なくなった上履き。盗まれて、捨てられていた体育着。みさとちゃんから向けられて、理由のわからないはっきりとした悪意。
「……、体育の授業サボった」
地面に座り込んだままボソリとつぶやくと、「そっか」と桜介くんの声が返ってきた。
「今日の体育は、苦手な種目だった?」
「ち、がう……」
わたしは体育はあんまり得意じゃないけど、そういういう理由ではサボらない。
言いたいことがあるのに、伝えたい言葉がうまく声にならない。さっき、みさとちゃんの前でもそうだった。
喉に骨みたいなものが突っかかってるみたいで、もどかしくて息苦しい。
喉を手でぎゅっと押さえると、
「今日も、ちゃんと理由があるんだよね」
桜介くんのやさしい声が耳に届いた。
視線をあげると、微笑む桜介くんと目が合う。その瞬間、喉のつっかえがとれて、ふっと呼吸が楽になった。
家族以外の人の前ではうまく話せないのに、桜介くんの前で話せる理由が少しわかった気がした。
桜介くんは、わたしが声を出す準備ができるまで待ってくれるんだ。



