搬送された病院で、お父さんは治療室に運ばれていった。その扉の前で、膝を抱えて床にうずくまっていたら、不意に肩に手を置かれた。
「七星」
見ると、心配そうな顔をしたお母さんがすぐそこにいた。
「お母さん……ごめんなさいっ!!」
お母さんの姿をひとめ見るなり、私は抱きついた。まるで小さな子どもがそうするように、お母さんの服の袖をぎゅっとつかんで。ここが病院内だということも忘れて、大声で泣きわめいた。
「私のせいで、お父さんがっ……!」
「七星、大丈夫、大丈夫だから」
お母さんは私を安心させるように、ぎゅっと抱き寄せる。こんなふうに背中をさすられていると、なんだか昔に戻ったみたいだ。
「お父さんなら平気。さっき看護師さんから聞いたんだけどね、何時間かすれば目を覚ますって。それに骨折もしてないし、後遺症の心配もなさそうって」
それを聞いたとたん、全身の力が抜けた。それでもまだ涙は止まらなくて、私はお母さんの胸に顔を押し付けて泣いた。
「お父さんは昔、家庭の事情で思うように進学ができなくてね。だから、七星には同じような思いをさせたくなかったんじゃないかな。ああ見えてお父さん、実は結構、苦労人だから」
病室のパイプイスに並んで座っていると、お母さんの口から衝撃の事実が告げられた。
「それからね、昨日、お父さんが言った学校を受け直しなさいっていうのは、なにも浪人しろって意味じゃないの。ただ、あんまりにも七星が、今の学校に行くのが辛いようなら、通信制とかに転学させてあげるのはどうかって、お父さんと話したの。でも、あの言い方は、ちょっと言葉足らずだったわよね」
そこまで話を聞いて、私はハッと息を飲んだ。
私が勝手に勘違いをしていただけだった。二人はちゃんと私のことを考えていてくれたのに。ほんとバカだな、私。
「でも、お父さんだけが悪いんじゃないの」
膝の間で組まれていたお母さんの白い手が、かすかに震えている。
「ごめんね、七星。お母さんも、もっと真剣に七星の気持ちを聞くべきだったよね」
「ううん。それを言うなら、私だって、自分の意見をはっきり言えなかった。ずっと怖かったの。お父さんに逆らうのが。だけど」
「だけど?」
「今はちゃんと話したいって思うの。お父さんが目を覚ましたら」
思えば、私はずっと逃げていた。お父さんからも、自分の将来と向き合うことからも。本当はただの言い訳だった。受験に落ちたことなんて。
私の決意を聞いたお母さんの柔和な瞳が、一瞬、驚いたようにこっちを見据えた。けれど、すぐに頬を緩めて微笑みながらうなずいてくれた。
「あのね、七星。お父さんが、あなたを想う気持ちは決して嘘じゃないよ。まぁ、ちょっと不器用なところはあるけどね」
そう言って、お母さんはベットで寝ているお父さんを見た。そのまなざしは穏やかで、どこまでも一途だった。
日の光を透かした白のカーテンが、緩やかにゆらめいている。
「ん……」
その時、お父さんの肩がぴくりと動いた。
「お父さん!」
私とお母さんはとっさに立ち上がって、ベットの脇に駆け寄る。お父さんはまだ少し、意識がぼんやりしているみたいだった。
ぱちんと、お父さんの顔の近くでお母さんは両手を叩く。
「いい加減、起きてください、あなた。まったくもう今、何時だと思ってるんですか?」
「あ、ああ……すまん」
大寝坊ですよと、お父さんをたしなめたお母さんの口元には、小さな笑みが浮かんでいた。まるでいたずら好きな女の子みたい。
参ったなという顔で、お父さんはぼさぼさの頭をかきむしりながらゆっくりと上体を起こす。その拍子に、お父さんと目が合った。
「七星が、あなたと話したいそうですよ」
気まずそうにうつむいたお父さんの様子を察して、機転を利かせたお母さんが言う。
「わたしは一旦、外に出てますから。後は二人で、ごゆっくり」
きっと大丈夫。病室を出ていく間際、そっと私にだけ聞こえる声でお母さんは耳打ちした。
それに背中を押されるように、私はお父さんと向き直る。だらんと垂れた前髪の隙間から見えた瞳が、虚ろげだった。
ねぇ、お父さんと、口に出しかけたその時。
「七星……俺はいつの間にか、親として一番、大切なことを見失っていたみたいだ。本当に情けない」
疲弊しきった声だった。お父さんはひとつ大きく息を吸って、吐き出す。腕が震えていた。
だから、私はその震えがおさまるようにお父さんの両手を、包みこむようにぎゅっと握った。
「情けなくなんかないよ。お父さんは、お父さんなりに私のこと思ってくれてたんだよね。私のために、いっぱいいっぱい頑張ってくれてたんだよね。私、知ってるよ。さっきお母さんから聞いたの」
「七星……お前は、こんなどうしようもない俺を許してくれるのか?」
「うん、許すよ、当たり前じゃん。だって、私は家族思いで、優しいお父さんのことが、ずっと大好きだから」
「ありがとう。七星、お前はいつだって、俺達の自慢の子だよ」
お父さんが、私の手を強く握り返す。その瞳は笑っていて、けれど、ちょっぴり涙がにじんでいた。そして、それはきっと私も同じ。
「それからごめんなさい、お父さん……勝手に家出なんかして。二人にこんなに、心配かけて」
声にまで涙をにじませた私に、お父さんは首を横に振って優しく微笑む。
「……助けてくれて、ありがとう」
やっぱり、私はお父さんとお母さんの子どもに生まれてこれてよかった。この時、お父さんの笑顔を見て、もう一度、心からそう思えた。

