流れ星みたいな恋だった

「この後、俺と出かけない?」

オムライスを平らげ、じゅうたんの上でくつろいでいると、不意に洗い物をしている最中の彼が言ってきた。

 まるで、これからとびっきりの楽しいことが始まろうとしているみたいな、うきうきした横顔。特に断る理由もないので、私は彼の誘いにうなずいた。





「ちゃんとつかまっててよ、危ないから」
「わ、わかってますって!」

 すっかり寝静まった夜の街を、私達は二人、自転車に乗って駆け出した。 

 どうしてチャリなのかと彼に問いただしたら、一応、私の足を気遣ってくれているらしい。だから、まぁ……私はやむを得えず、彼の後ろに相乗りしたわけで。それ以上に、後ろめたいことはなにもない、はず。

 細身のわりに、大きくてたくましい背中を見つめる。

 私は一体、なにを意識しているんだろう。しょせん、これはただのごっこ遊びに過ぎないというのに。

 さっきからずっと心臓の音がうるさい。それにこんな至近距離じゃ、彼にも伝わってしまいそう。

「まだ教えてくれないんですか、どこに向かってるのか」
「んー、そうだなぁ」

 気をそらそうと、話題を振った私に彼はもったいぶった口ぶりをする。

「空に近い場所、かな」
「抽象的すぎません?」
「ハハハハ、今のはヒントだよ! 答え合わせは着いてからのお楽しみ」

 どこか腑に落ちない私をよそに、彼は一気に自転車をこぐスピードをぐんと上げた。雨上がりの澄んだ空気を肌に感じながら、軽快に坂道を下る。路肩に溜まっていた水たまりから、ぴしゃりと水しぶきがはねた。

「ちょっ! 速いですって!!」
「いいじゃん、プチジェットコースターみたいで! イッツエクサイティング!!」

 星のまたたく夜空に、彼の風鈴の()のような、涼しい笑い声が響く。年甲斐もなく、まるで小学生みたいにはしゃいでいる彼を見ていたら、なんだかこっちまで幼い気持ちになってしまう。

 そのせいだろうか。どうか、後、もう少しだけ彼との楽しい時間が続けばいいなんて、ほんの刹那、思ってしまった。



 二十分ほどかけて彼とやってきたのは、住宅街を抜けた先にある小高い丘だった。流石に自転車では登れなかったので、人目につかなさそうな近くの小道によけておいた。

 ある程度、道が舗装されているとはいえ、普段、家にこもりっぱなしの私からすると、かなりハードな道のりだった

「足痛いだろうから、おんぶしてあげようか?」と、入口付近で彼に言われたのだけれど、
無論、私は「死んでも嫌です」と断固拒否した。

 やっとの思いで、頂上にたどり着いた頃、私の足はくたくたで棒になっていた。いくらなんでも、運動しなさすぎたかな……。こめかみにつたう汗を拭いながら、少し反省した。

「見て」

 不意に彼の長い人差し指が、上の方角を指し示す。そこにはまるで、絵に描いたような綺麗な星空が広がっていた。

 手を伸ばしたら、届きそう。空に近い場所だと、彼が言った理由もわかるような気がした。
 
「綺麗……」
「でしょでしょ!」

 そんなありきたりな感想にも、彼は嬉しそうに両手を広げてみせた。風に吹かれて、木の葉が揺れる。まだかすかに雨の匂いがした。

「”好きだよ”」

 それは突然、なんの前触れもなく彼の口から告げられた。

「……それ、私じゃなくて元カノの人に言うセリフでしょ」

 一瞬、期待してしまった自分がいる。けれど、それはきっと私に向けられた言葉じゃないと、すぐに思い直した。

 そもそもの大前提として、彼は私をかつての恋人に重ねているに過ぎない。だからきっと、彼がこんなに優しくしてくれているのだって――

「ごめん、実はあれ嘘なんだ」
「……な、なにがですか?」
「元カノがいたっていう話。あれは全部、本当は俺が適当にでっちあげただけの嘘なんだ」

 衝撃の告白だった。つまり、私は最初から彼に騙されていたということだ。

「怒らないの?」
「……まぁ、怒ったところで今さらって感じですし? それに私、器は大きいほうなので」

 嘘だった。本当は、彼に恋人なんて元からいなかったと聞いて、ちょっと安心している自分がいた。

「よかった。これで君に嫌われたら、どうしようかと思ったよ」
「別にどうもしませんよ。それに私は――」

 そこまで言いかけて、私は踏みとどまった。少し考えてしまった。彼が言った”好き”の意味を。



「今朝、駅のホームで君を見た時、俺みたいだなって思ったんだ。あのままほっといたら、君、本当に線路に飛び降りちゃいそうで。声をかけずにはいられなかった」
「一瞬、ナンパかって勘違いしましたよ。それに、あなたが止めなくたって、私は死んでませんでしたし」
「そっか、じゃあまた、余計なお世話焼いちゃったね」
「そんなことも、ないですけど……」
 
 あまり雨に濡れていなさそうな茂みに、私達は腰を下ろして、一面の星空を眺めた。後、ほんの数ミリで肩が触れ合ってしまいそうなほどの距離で。

「ねぇ、ぶっちゃけた話、君はこれからどうしたい? いっそのこと本当に、このまま俺と一緒に家出しちゃう?」

 静かな声のトーンで聞かれた。いつになくまして、真剣なまなざしだった。

「……」

 考えた。妄想した。

 きっと彼なら、私がどんな答えを出そうと笑って受け入れてくれる。

 もしも今、迷わず彼の手を取ったなら、彼と一緒に逃げられたなら、私は束縛から解放されて自由に生きれるのかもしれない。でも――
 
 本当にそんなに上手くいくのだろうか。しょせん、私達はただの子どもに過ぎない。彼だって、いくら大人びているとはいえ、まだ高校生なのだ。

「わからないです、自分がどうしたいのか……ごめんなさい」

 ようやく出した返事がそれかと、正直、自分でもうんざりした。それでも、彼は「君が謝ることじゃない」と、首を横に振って笑ってくれる。

 私はまた目頭が熱くなった。彼はきっと私がこれまでに出会ってきた誰よりも、優しい人だ。だから、一度は塞ぎこんでしまった過去も、彼になら打ち明けてもいいと思えた。

「実は私、中学の時に受験で失敗したんです。死に物狂いで、毎晩、必死に勉強したのに、本番で体調崩して。それからずっとなにやっても意味がないような気がして、ずっと家に引きこもってました」
「そうだったんだね」

 できることなら、全部、やり直したい。後悔ばかりが募って、私はぎゅっと唇を噛んだ。

「俺は、君はよく頑張ったと思う」

 温かな声とともに、彼の大きな手が降りてくる。そっと頭をなでられた。少し心が救われたような気がした。だって、それはあの日、お父さんに言ってもらえなかった言葉だったから。

「それに絶対、無駄なんかじゃない。だって、君が一生懸命勉強したその時間には、努力したっていう意味があるから」