ごろんと左に寝返りを打つ。
壁とベットの隙間になにかが落ちているのが見えた。
ギリギリ手を伸ばせば、届きそう。
「これは漫画本?」
手にとったそれは、少々、年季が入った漫画本だった。表紙も、昭和時代なんかによくありそうなちょっと古い絵柄をしている。
「あっ」
ひらりと、漫画本のページの間から水色の紙が飛び出し、宙を舞う。シーツの上に落ちる寸前で、なんとかキャッチした。
『ヒーローになりたい』
それには黒のペンでそう書かれていた。子どもが書いたような、まだ少し、幼さの残る字だった。
「ただいま!」
すると、ちょうどその時、玄関のドアが開いた。
はやっ。
彼が帰ってきた。宣言通りの一分とまではいかなくても、それにしたってまだ数分しか経ってない。
コンビニの袋を片手に、彼はスマートな身のこなしで靴を脱ぐ。中に上がるなり、私が持っていた謎の紙を指差し、あっとまぬけそうな声を出す。
「それ、俺が小学生の時に書いた短冊じゃん!」
「た、短冊? でも、漫画の間に挟まってましたよ?」
「あー、それね。確か、ちょうどいいやって思って、栞の代わりに使ってたんだよねー」
「どういう使い方ですか……」
やっぱり、彼はちょっと変わってる。
それにここに書いてある願いごとだって、小学生ならギリギリ許容範囲なのかもしれないけれど、漫画とかアニメの見すぎだと思う。
まぁ、かくいう私も人のことは言えないか。
「本気で、思ってたんですか。ヒーローになりたいなんて」
「うん。人生で一回、言ってみたかったんだ。たとえ命に代えてでも、君を守る、みたいな名言」
「完全に厨二病じゃないですか」
「ハハハハ、俺もそういうお年頃だったんだよ」
彼の幼少期……。なんとなくこれまでの話を聞く限りだと、常日頃から周りの友達やら大人を困らせていそうだと思った。まぁ、彼のたどってきた人生なんて、私の知ったことじゃあないけれど。
「ちなみに君は、将来の夢とかあるの?」
「あるわけないですよ」
興味を示す彼に、私は即答した。
「というか、もうずっとよくわからないんです。自分のしたいことがなんなのか」
言ってからしまったと思った。とっさに、自分の口を手で塞ぐ。どうしてこうも彼の前だと、心の声が漏れてしまうのか。
しかし、彼は「ふーん」と、大して気にもとめていない様子で、袋とは別に手に持っていた湿布を私にくれる。肝心な右足はといえば、氷で冷やしたものの、まだ少し腫れていた。
「今、思ったんですけど、コンビニって湿布売ってましたっけ?」
「いや、売ってなかったよ」
「えっ、じゃあこれは」
「近くの薬局までひとっ走り行ってきた。彼女のためなら、これくらいはお安いご用だよ!」
彼は得意げに笑った。よく見ると、まだ湿っぽい銀髪が少しばかり乱れている。
「他にも、なんでも言っていいよ。遠慮なんていらないから」
じゃあ、もしも今、私がずっとここにいたいなんて言ったら? 口に出しかけてやめた。いくらなんでも迷惑の度を通り越している。
それでも、ほんの少しだけ考えてしまった。だって、彼は優しい人だから。
「ところで、君、オムライスは好き?」
コンビニの袋の中身を漁りながら、キッチンに立った彼が聞いてくる。
「普通です」
「よかった。じゃあ、今夜は君のために腕を振るっちゃおうかな」
すると、彼はすっかり張り切った様子で、シャツの袖をまくった。ただでさえ半袖なのに。白く細い腕があらわになって、思ってよりちゃんと筋肉質なそれにちょっとだけ目がいった。
キッチンで手際よく動く彼を、ベットの上から静観する。ほどなくして、ケチャップライスのいい匂いがここまでただよってきた。
「料理できるんですね」
「んー、まぁ人並み程度には? 普段はインスタントラーメンとかで済ませちゃうことが多いけど」
ジュワッという、卵をフライパンに流しこむ音。
「なんで、オムライスなんですか?」
「デートの時のお決まり的な?」
「……その理論はちょっとよくわからないです」
渋る私に、彼は一瞬だけ、こっちを見て、片目でウィンクした。はたからみれば、ただの痛い人だけれど、彼の場合、どんな仕草も様になってしまうからちょっとずるい。
というか、そもそもこれはデートといえるのか。恋人らしいことなんて、ひとつもできていない気がする。
……まぁいっか、それでも。どうせ、私は彼のいう元カノさんの代わりなんだから。
卵が焼けてきて、彼は器用にケチャップライスを中に包みこんでいく。どうしてか、その後ろ姿を見ていると、チクリと胸が痛んだ。
「じゃじゃん! 俺特製、絶品オムライス!」
できたオムライスを二人分、お皿に盛って彼が運んでくる。不思議とお腹が空いてきた。普段は全然、食欲なんて湧かないのに。
料理の並んだ丸いローテーブルを挟んで、私達は向かい合わせに座った。
「いっただきまーす!」
「いただきます……」
ぱちんと両手を合わせて、彼は早速、オムライスをすくう。対する私は、そんなテンション高めな彼をぼんやりと見ていた。
「食べないの? もしかして、お腹すいてなかった?」
オムライスを口に運びかけた彼が、首を傾げる。
「あ、いえ……」
「じゃあ、やっぱりオムライス、嫌いだった?」
「そういうわけじゃないんですけど」
言葉を濁す私に、彼はますます神妙そうに眉をひそめる。
「……こんなんでいいんですか?」
「なにが?」
「いや、その、私、今まで恋人とかいたことがないので、ちゃんと彼女っぽいことできてるか不安というか……」
「自然でいいよ。俺はこんなふうに、君と一緒にご飯食べれるだけで嬉しい!」
「ならいいですけど……」
「んー、でも、そうだな。せっかくだから、”キス”の一回くらいしとく?」
「キ、キス!?」
突拍子もないワードが彼の口から飛び出してきて、私は思わず、手に持っていたスプーンを取り落とした。かちゃんとテーブルに当たった弾みで跳ね返って、そのまま膝の間に落下する。
あっ……。
「ぷっ」
そんな私の動揺っぷりがよっぽどおかしかったのか、彼はぷるぷると肩を震わせ、必死で笑いをこらえている。
「冗談だよ、流石に」
じょ、冗談……。
それを聞いて、私の顔はかぁっと火が灯るみたいに一気に熱くなった。一瞬、本気にしてしまったバカな自分を殴りたい。
「な、なんですか?」
すると、彼は突然、ニコニコ笑顔で自分のスプーンを私の前に差し出してきた。
「あーんして」
「うぇ?」
思わず、変な声が出る。
「しょうがないから、俺が食べさせてあげる」
ばっと彼から逃げるように、私は座ったまま後ろに退いた。
「じ、自分で食べれますよっ! 子どもじゃないんですから」
「でも、言い出しっぺは君でしょ?」
「ぐぬ……」
彼はまるで、いたずらっ子のような笑みを口元に浮かべた。
完全に墓穴を掘った。もうこうなったら、下手にあがいても余計に見苦しいだけな気がする。
これはきっと不可抗力。そう自分に言い聞かせることにして、私はしかたなく、彼にあーんされることにした。普通は逆だろうというツッコミはさておき。
「どう? 美味しい?」
「まぁ、悪くはないです……」
本当のことをいえば、ここ最近で食べた物の中で、一番、美味しかった。けれど、それを素直に言うのはなんだか悔しい。さっきからずっと彼にしてやられているような気がして。
しかしながら、控えめにとどめた私の感想でも、彼はガッツポーズをするほど嬉しかったらしい。
「たくさん食べて! なんなら、俺の分もあげる!」
「そ、そんなにはいいですって!」
「でも、君、さっき持った時、軽かったから」
さっき……あっ。わけもわからずお姫様抱っこされた時。また耳が熱くなるのを感じる。私は一体、今日だけでいくつ黒歴史を作るんだろう。
――もう全部、忘れたい!
壁とベットの隙間になにかが落ちているのが見えた。
ギリギリ手を伸ばせば、届きそう。
「これは漫画本?」
手にとったそれは、少々、年季が入った漫画本だった。表紙も、昭和時代なんかによくありそうなちょっと古い絵柄をしている。
「あっ」
ひらりと、漫画本のページの間から水色の紙が飛び出し、宙を舞う。シーツの上に落ちる寸前で、なんとかキャッチした。
『ヒーローになりたい』
それには黒のペンでそう書かれていた。子どもが書いたような、まだ少し、幼さの残る字だった。
「ただいま!」
すると、ちょうどその時、玄関のドアが開いた。
はやっ。
彼が帰ってきた。宣言通りの一分とまではいかなくても、それにしたってまだ数分しか経ってない。
コンビニの袋を片手に、彼はスマートな身のこなしで靴を脱ぐ。中に上がるなり、私が持っていた謎の紙を指差し、あっとまぬけそうな声を出す。
「それ、俺が小学生の時に書いた短冊じゃん!」
「た、短冊? でも、漫画の間に挟まってましたよ?」
「あー、それね。確か、ちょうどいいやって思って、栞の代わりに使ってたんだよねー」
「どういう使い方ですか……」
やっぱり、彼はちょっと変わってる。
それにここに書いてある願いごとだって、小学生ならギリギリ許容範囲なのかもしれないけれど、漫画とかアニメの見すぎだと思う。
まぁ、かくいう私も人のことは言えないか。
「本気で、思ってたんですか。ヒーローになりたいなんて」
「うん。人生で一回、言ってみたかったんだ。たとえ命に代えてでも、君を守る、みたいな名言」
「完全に厨二病じゃないですか」
「ハハハハ、俺もそういうお年頃だったんだよ」
彼の幼少期……。なんとなくこれまでの話を聞く限りだと、常日頃から周りの友達やら大人を困らせていそうだと思った。まぁ、彼のたどってきた人生なんて、私の知ったことじゃあないけれど。
「ちなみに君は、将来の夢とかあるの?」
「あるわけないですよ」
興味を示す彼に、私は即答した。
「というか、もうずっとよくわからないんです。自分のしたいことがなんなのか」
言ってからしまったと思った。とっさに、自分の口を手で塞ぐ。どうしてこうも彼の前だと、心の声が漏れてしまうのか。
しかし、彼は「ふーん」と、大して気にもとめていない様子で、袋とは別に手に持っていた湿布を私にくれる。肝心な右足はといえば、氷で冷やしたものの、まだ少し腫れていた。
「今、思ったんですけど、コンビニって湿布売ってましたっけ?」
「いや、売ってなかったよ」
「えっ、じゃあこれは」
「近くの薬局までひとっ走り行ってきた。彼女のためなら、これくらいはお安いご用だよ!」
彼は得意げに笑った。よく見ると、まだ湿っぽい銀髪が少しばかり乱れている。
「他にも、なんでも言っていいよ。遠慮なんていらないから」
じゃあ、もしも今、私がずっとここにいたいなんて言ったら? 口に出しかけてやめた。いくらなんでも迷惑の度を通り越している。
それでも、ほんの少しだけ考えてしまった。だって、彼は優しい人だから。
「ところで、君、オムライスは好き?」
コンビニの袋の中身を漁りながら、キッチンに立った彼が聞いてくる。
「普通です」
「よかった。じゃあ、今夜は君のために腕を振るっちゃおうかな」
すると、彼はすっかり張り切った様子で、シャツの袖をまくった。ただでさえ半袖なのに。白く細い腕があらわになって、思ってよりちゃんと筋肉質なそれにちょっとだけ目がいった。
キッチンで手際よく動く彼を、ベットの上から静観する。ほどなくして、ケチャップライスのいい匂いがここまでただよってきた。
「料理できるんですね」
「んー、まぁ人並み程度には? 普段はインスタントラーメンとかで済ませちゃうことが多いけど」
ジュワッという、卵をフライパンに流しこむ音。
「なんで、オムライスなんですか?」
「デートの時のお決まり的な?」
「……その理論はちょっとよくわからないです」
渋る私に、彼は一瞬だけ、こっちを見て、片目でウィンクした。はたからみれば、ただの痛い人だけれど、彼の場合、どんな仕草も様になってしまうからちょっとずるい。
というか、そもそもこれはデートといえるのか。恋人らしいことなんて、ひとつもできていない気がする。
……まぁいっか、それでも。どうせ、私は彼のいう元カノさんの代わりなんだから。
卵が焼けてきて、彼は器用にケチャップライスを中に包みこんでいく。どうしてか、その後ろ姿を見ていると、チクリと胸が痛んだ。
「じゃじゃん! 俺特製、絶品オムライス!」
できたオムライスを二人分、お皿に盛って彼が運んでくる。不思議とお腹が空いてきた。普段は全然、食欲なんて湧かないのに。
料理の並んだ丸いローテーブルを挟んで、私達は向かい合わせに座った。
「いっただきまーす!」
「いただきます……」
ぱちんと両手を合わせて、彼は早速、オムライスをすくう。対する私は、そんなテンション高めな彼をぼんやりと見ていた。
「食べないの? もしかして、お腹すいてなかった?」
オムライスを口に運びかけた彼が、首を傾げる。
「あ、いえ……」
「じゃあ、やっぱりオムライス、嫌いだった?」
「そういうわけじゃないんですけど」
言葉を濁す私に、彼はますます神妙そうに眉をひそめる。
「……こんなんでいいんですか?」
「なにが?」
「いや、その、私、今まで恋人とかいたことがないので、ちゃんと彼女っぽいことできてるか不安というか……」
「自然でいいよ。俺はこんなふうに、君と一緒にご飯食べれるだけで嬉しい!」
「ならいいですけど……」
「んー、でも、そうだな。せっかくだから、”キス”の一回くらいしとく?」
「キ、キス!?」
突拍子もないワードが彼の口から飛び出してきて、私は思わず、手に持っていたスプーンを取り落とした。かちゃんとテーブルに当たった弾みで跳ね返って、そのまま膝の間に落下する。
あっ……。
「ぷっ」
そんな私の動揺っぷりがよっぽどおかしかったのか、彼はぷるぷると肩を震わせ、必死で笑いをこらえている。
「冗談だよ、流石に」
じょ、冗談……。
それを聞いて、私の顔はかぁっと火が灯るみたいに一気に熱くなった。一瞬、本気にしてしまったバカな自分を殴りたい。
「な、なんですか?」
すると、彼は突然、ニコニコ笑顔で自分のスプーンを私の前に差し出してきた。
「あーんして」
「うぇ?」
思わず、変な声が出る。
「しょうがないから、俺が食べさせてあげる」
ばっと彼から逃げるように、私は座ったまま後ろに退いた。
「じ、自分で食べれますよっ! 子どもじゃないんですから」
「でも、言い出しっぺは君でしょ?」
「ぐぬ……」
彼はまるで、いたずらっ子のような笑みを口元に浮かべた。
完全に墓穴を掘った。もうこうなったら、下手にあがいても余計に見苦しいだけな気がする。
これはきっと不可抗力。そう自分に言い聞かせることにして、私はしかたなく、彼にあーんされることにした。普通は逆だろうというツッコミはさておき。
「どう? 美味しい?」
「まぁ、悪くはないです……」
本当のことをいえば、ここ最近で食べた物の中で、一番、美味しかった。けれど、それを素直に言うのはなんだか悔しい。さっきからずっと彼にしてやられているような気がして。
しかしながら、控えめにとどめた私の感想でも、彼はガッツポーズをするほど嬉しかったらしい。
「たくさん食べて! なんなら、俺の分もあげる!」
「そ、そんなにはいいですって!」
「でも、君、さっき持った時、軽かったから」
さっき……あっ。わけもわからずお姫様抱っこされた時。また耳が熱くなるのを感じる。私は一体、今日だけでいくつ黒歴史を作るんだろう。
――もう全部、忘れたい!

