【完結】梅雨鬱々倶楽部~梅雨と初恋、君の命が消えるまで~


 それなのに、会えてホッとして、会えて嬉しくて……。
 
「コノミ、どうした? 慌てて」

 彼は当たり前のように、そこにいた。
 雨は突然に、沢山降り出して屋根付きベンチの屋根から滝のように流れる。 

「う……い、いて良かった……」

「ふふ、いるよ。梅雨が終わるまでは……でも、まだ朝だよ? 病院に行ってきた?」

「うん……うん……」

 二日間。見張られるようにして学校と家と塾、家でも色々と言われて……そんな事はどうでもいい。
 ただ、これから大事な一週間が二日もなくなってしまう。
 それがコノミには、ショックで堪らなかった。

 朝なのに黒い雲が空を覆う。

「大丈夫?」

 屋根付きベンチの屋根の下に入ったまま、棒立ちのコノミ。
 そのコノミの前に、ナギサも立ち上がって声をかけてくれた。
 今日は白っぽい着物。
 雨だから、高い下駄でコノミよりずっと背が高いのに今日も消えてしまいそうな線の細さ。

 彼の睫毛の濃い瞳に見つめられて、コノミの目が熱く滲む。

 泣いてしまいそう――。

「うん……会いたかった」

 自分で言ってからハッとする。
 こんな恥ずかしい言葉を誰かに言うのも、想うのも初めてだった。

「僕もだよ、会いたかった……なんて想うのは初めてだ」

「私も……」

 つい手を伸ばすと、その手をナギサもぎゅっと握ってくれた。
 冷たくてひんやりして、指が長くて……。
 向かい合って手を握り合うなんて、こんなのも初めてで……。

「座ろうか」

「う、うん……」

 コノミの足を気遣ってくれたんだろう、手は握ったままでベンチに座るように優しく促された。
 片手で下ろそうとしたバッグも一緒に支えてくれる。

「すごく重いね。本がぎっしり……?」

「うん……将来は人の役に立てないといけないから、みんなを助けないといけないから……いっぱい学ばないといけないんだ」

「……そうなんだ……」

「そう……コノミはしっかり芽を出して、根を張って、大きな木になって……みんなを救わなきゃいけないんだ」

「……コノミ……」

「ナギサくんは……どうにもならないの? ……ねぇ、本当にこのまま……」

「うん。助かることを僕は望んでいないから……」

 グサッと刺さるような言葉だった。

「なんで……? 望めば助かることなの?」

「僕はコノミと反対だよ。サナギになる事は望まれていないんだ……このままで、みんなを救う存在にならないといけない……」

「……なにそれ……」

「……いいんだよ……」

 つい強くギュッと握ってしまった手。
 傷ついたような絶望のような表情になったコノミに、ナギサは優しく微笑む。

「学校に行かないといけないんじゃない?」

「待って……救うってどういうことなの?」

「……今日の夜は会える……?」

 聞くなというように、コノミの問いは無視される。
 これ以上……聞けない……。

「……今日は、もう無理……でも無理してでも……」

「無理は駄目だよ。じゃあ明日は?」

 今無理をすれば、外出もすべて禁止にされてしまいそうだ。

「明日は絶対に会いに来る。学校のあとに……嘘ついてでも、会いに来る」

「嘘は駄目。僕は君の心が汚れるなんて望んでいない」

「ナギサくんに……会いたいから」

「うん。それは僕もだよ」

「だから私の心は汚れたりしないし……ナギサくんのせいじゃないから」

「わかったよ。明日に待っている」

「……じゃあ今……もう少し此処にいていい?」

「もちろん。バスには乗り遅れないようにして」

 ナギサは握った手を、離さないでいてくれた。
 
「憂鬱だな……学校も塾も家も」

「そうだね。梅雨鬱々倶楽部だから、憂鬱だと思っていいんだよ」

「そうだよね……此処ではいいんだよね」

「そうだよ」

「……うん……」

 池の鯉、濡れた葉っぱ。
 雨音の調べ。
 水たまりの形。
 なんてことのない会話だけをして、二人の手は離れた。

 公園で見る雨と、公園から出たあとに冷たく肩を濡らす雨は全然違う。
 スマホは連絡用として返されたが、ナギサとの関係には何も役に立たないから、今は価値がないように見えた。

 友達に今の気持ちを吐き出したら少しは気が晴れるだろうか……。
 それはできない。
 悩みがあるコノミは弱いコノミ。
 友達にまで弱いと役立たずだと思われてしまったら、もうコノミの木の実は土の中で腐ってしまう。

 でももう既に……雨の中で腐ってしまいそう。
 授業を聞いていても、ナギサの事ばかり考えてしまう。

 此処はエリートの集まる場所。
 気楽に話をできる人などいない。
 
 普段はテストや進路の話題、そしてコノミの姉のような表彰優等生の話が多いのに――。

「えー、ギャハハ! お前さぁ~~!! それ確実に恋してんじゃーん!」

 そんな会話が聞こえてきて、耳に残った。

 そんなわけは無いのに。
 だって、まだ会って数回、数日なのに。

 でもナギサを思い出すと、疼く心。
 自分の手を彼は握ってくれた……。

 彼に渡したチョコの箱を飾ったリボン。

 彼は、あれをどんな気持ちで帯にしまったんだろう。

 会いたいと思う気持ちは、コノミとナギサの気持ちと一緒なのか……。

 学校でも塾でも、結局上の空だと怒られてしまった。