紅一がいることに徹が戸惑っていると蒼汰が聡く勘づいて紅一をからかう。
「おいおい、お前がいるから徹ちゃん固まっちゃっただろ」
「……俺のせいじゃない」
 徹が慌てて否定する。
「ちょっと驚いただけですから」
 徹は2人と机を挟んだ正面に座る。
「いつもいっしょに勉強してるんですか?」
「まさか」
「……そんなわけない」
「じゃあ、仲良く隣同士なのはいったい」
 蒼汰がおかしそうに笑う。
「徹ちゃんが来るっていったらこいつ、ここから動かないでやんの」
 紅一が蒼汰の肩を小突く。
「……余計なこというな。おしゃべり」
「大勢で勉強したほうが効率いいですからね」
「俺がいちばん頭いいのに数増えても仕方ないだろ」
「それはそうですけど」
 徹は紅一がどのくらいの成績かしらないことに気が付く。徹はいつも真ん中平均点だ。
「……俺だって学年10位だ」
「へ、1位と10位の間にはとんでもなく高い壁があるんだよ」
 紅一もその通りだとおもったのか特に言い返しはしない。
「何やる?各々やりたい教科勝手にやる感じでいく?」
「はい。邪魔したら悪いですから」
「別に邪魔ってことはないだろうけどさ」
「……俺は有機化学」
「誰が報告しろって言ったよ。じゃあ俺は世界史!」
 蒼汰と紅一が徹を見る。
「僕は英語で」
「おっけ。あ、俺徹ちゃんの分のコーヒー持ってくる」
「いや、お構いなく」
「気にすんなって」
 蒼汰は徹の肩をポンポンと叩きながら部屋から出ていく。徹は紅一と二人きりになる。無言の時間が続く。少しだけ気まずい。
「……ごめん。蒼汰に付き合わせて」
「いや、楽しいですから」
「……疲れてるみたいだし」
「そうですか?」
「……うん。なんかあった奴の顔だ」
 徹は紅一が意外と人を見ていることに驚いた。人というか徹を見ていたという方が正しいか。
「たいしたことじゃないんですけど」
「……言いたくないならいい。帰りたかったから帰ったほうがいい」
「ありがとうございます。大丈夫です。ここには居たいのでいます」
「……ならいいけど。無理してもいいことないから」
「優しいんですね」
「……そういうんじゃない」
 紅一が顔を赤くしている。おかしな人だと思う。それと同時に優しい人でもある。
 扉が開いて蒼汰が入ってくる。器用にグラスを持ちながら扉を開けている。コーヒーの入ったグラスを蒼汰の前に置く。
「なんだよ。楽しそうな話してんの」
「これから勉強ですから」
「なんだよ、けち臭いな」
 蒼汰がぶー垂れながら座る。
「コーヒーありがとうございます」
「いいってことよ。集中しようぜ」
 3人は勉強を始める。蒼汰はさすが学年1位というところか、集中の質が深くて長い感じがした。紅一もスポーツをやっているせいか集中力もすさまじかった。
 こうやって並んでいるところを見ると双子なのだなと思う。普段発している雰囲気が2人は全く似ていないのでわからなくなる。が、構成している綺麗なパーツは全く一緒だ。これがどう動くがでここまで雰囲気が変わるのだと思うと徹は不思議な気持ちになった。綺麗な2人。
 そんな2人に当てられたのか徹も今までにないくらいに勉強に集中できた。2時間ほどしたところで蒼汰が顔をあげて伸びをする。
「そろそろ終わるか。遅いし」
 ほとんど会話をせずに勉強が終わった。勉強会がちゃんと勉強会になっているのは徹は初めての経験だった。紅一も腰に手を当てて伸びをしている。
「徹ちゃんもそろそろ帰らなくちゃだろ」
「そうですね」
「駅まで送るよ」
「いや、大丈夫です」
「夜道を1人歩かせるわけにいくかよ」
「あの、僕、男ですから」
「関係ねぇよ」
 そう言って蒼汰は無理やりついて来ようとする。鞄を持って立ち上がった徹をぐいぐい押してくる。
「……困ってるだろ」
 紅一が蒼汰を諭すように言ったが蒼汰は聞き入れない。蒼汰に押されて部屋から出かけたところで紅一の方をみる。
「今日はありがとうございました!また!」
「……またね」
 紅一が微笑んだのを見て徹はうれしくなる。徹は蒼汰に押されながら家を後にした。

 シャツの間に吹き込んでくる夜風が気持ちいい。ぽつぽつとある街灯が2人の駅までの道のりを照らしている。
「本当に1人で帰れますよ?」
「いいからいいから」
 蒼汰は腕を大きく振りながらおどけたように歩いている。スタイルもいいんだな。
「徹ちゃんって英語苦手なの?」
「はい。単語がどうも」
「積み重ねだもんね。サボると総崩れ。当ててあげる。えーと、中学のころの先生と馬が合わなかった口だ!」
「正解です。けど、適当に言ったんですよね?」
「それもばれてたか。でも、徹ちゃんもそういう子供っぽいところあるんだね」
「こればっかりはどうも」
 英語の先生が苦手だったのは先生が悪いわけではなかった。何事も断言し善悪をはっきりつける竹を割ったような性格の先生だった。好きな人は好きなのだろうし、学級運営に必要な素質であることは認めるが、徹はどうも馬が合わなかった。それだけのことだ。それだけのことだが、英語ができないのは今になって困ってしまっている。
 街灯と街灯の間はかなり距離があって真っ暗な瞬間が訪れる。その暗闇をしばらく歩いていると次の街灯が照らしてくれる。暗闇のゾーンは星が綺麗に見える。田舎に住んでいてよかったと思える数少ない瞬間の1つだ。
 そう思っている瞬間に腕を掴まれる。えっと思って振り返るとすぐそこに蒼汰の顔面があった。蒼汰はうつむいている。しかし、綺麗な顔をしている。暗いのでよく見えないはずなのにわかる。蒼汰の息がかかる。
「あの、どうかしましたか」
 徹が恐る恐る尋ねる。
「いつまで敬語なの」
「すみません、なれなくて」
 徹は言葉の途中で何も言えなくなってしまう。というのも息ができなくなったからだ。その息ができなくなった原因を理解するまで時間がかかった。徹の口は蒼汰の口でふさがれていた。そのことに気が付いて徹は慌てる。蒼汰の唇は柔らかかった。何も考えられなくなりそうなのを徹は蒼汰を押しのけた。
「何やってるんですか」
 蒼汰はふらっとその場に立っている。
「俺、徹ちゃんのこと好きだ」
 徹はまた何を言っているか理解できない。
「僕、男ですよ」
 蒼汰は首を横に振った。
「俺だってわかんないよ。けど、好きなんだ」
 蒼汰はそう言って徹をまっすぐに観た。徹は何も言えなかった。相手の気持ちにどうこたえていいかわからなかった。徹はそこから走って逃げだした。蒼汰は追いかけてこなかったし、何も言わなかった。

 それから徹は蒼汰のことを避けるようになってしまった。テスト期間中に何度かまた勉強会に誘われたがすべてはぐらかして断った。朝の電車も蒼汰がいるようだったら1本遅らせた。帰りも同じだ。学校はクラスが違うので会わずに済んだ。紅一は関係ないのだが、蒼汰と同じような対応を取っていた。蒼汰から何か聞いているかもしれないし、何となく会いたくなかった。連絡も無難な相槌ばかりになった。そんな生活を続けているとテストは終わっていつも通りの学校生活が始まった。

 中央玄関にある大きな掲示板のまえが大いににぎわっている。早速テストの結果が張り出されているのだ。徹の今回のテストの手ごたえは悪くはなかったが、蒼汰にキスをされたことで頭がいっぱいで、時折頭の回転が鈍くなることがあった。
 徹も大衆に混ざって貼り出された結果を見る。自分の名前を探すよりも前に宝田蒼汰がまた学年1位を取っていることに気が付く。
「すげぇな」
 思わず徹の口から独り言がこぼれる。
「今時、テストの結果貼り出すってどうよな」
 徹はびっくりして肩をすくめた状態で振り向く。
「よ。徹ちゃん」
 そこには蒼汰が立っていた。いつも通りにみえた。が、笑顔の感じから無理して立っているのだろうなと思った。
「今日さ、ラーメン食いにいこうぜ」
 蒼汰は極めて自然に徹のことを誘った。
「ごめんなさい。今日、委員の仕事があって」
 徹は思わず嘘をついた。図書委員の仕事は明日だ。
「図書委員だっけ?忙しいんだな」
「うん。そうなんだ」
「じゃあ手伝うよ。そしたら早く終わるだろ?」
「大丈夫だよ」
「いいからいいから」
「大丈夫!」
 つい語気が強くなる。
「大丈夫だから、迷惑かけたくないし」
 蒼汰は静かに笑う。
「わかった。がんば」
 そう言って蒼汰は立ち去っていってしまった。徹は自分のことが心底嫌になってしまった。嘘をついて先延ばしにしている。蒼汰に対しても誠実ではない。いきなりキスされた怒りのようなものよりも、どうしていいかわからない不安の方が大きかった。だから、嘘をついてまで先延ばしにしてしまっている。
 帰るに帰れなくなってしまった徹は図書室にむかった。図書室につくと徹は大きく息を吸った。
 テストが終わったあとの図書室はいつもに増してがらんとしていた。テスト期間中の混み合い方が嘘のようだ。テスト期間中は人が多いので図書室には近づかないようにしていた。久しぶりの図書室だ。やはり落ち着く場所だと思った。徹はいつもの窓辺でつっぷして外を眺めた。考えるのはもちろん蒼汰のことだ。蒼汰のことは好きだと思う。キスも嫌じゃやなかった。ただすぐにそうやって答えることが出来ないくらいには何かが引っかかっていた。その引っかかりの正体が何なのか徹にはまだわからなかった。
「最低」
 誰もいないと思っていた図書室の角から女子生徒の声が聞こえてくる。
「私にだけ気を許してくれていると思っていたのに」
 盗み聞きするつもりは全くないのだが声が大きいのと誰もいないのとですべてが筒抜けになって聞こえてくる。
「……それはそっちが」
 男の声には聞き覚えがあることに気が付く。紅一だ。そんな紅一の言葉を遮るようにして女子生徒は罵る。
「うるさい!私のことを馬鹿にしたような話し方をして!」
「……これはちが」
「もうしらない!」
 どすどすと大きな足音を立てながら女子生徒は図書室から出て行ってしまった。
「……はぁ」
 紅一の大きなため息が聞こえる。紅一はでていく気配がない。徹はすっかり出ていくタイミングを失ってしまっていた。しばらく図書室に沈黙が流れる。徹はどこかで出て行かないとまた盗み聞きしていたと思われてしまう。出会ったときと同じ濡れ衣を着せられるのはごめんだった。
「あの、……あの!」
 徹がそうやって呼びかけると、棚と棚の間から紅一の顔がひょっこりと覗く。徹と目があると紅一はバツが悪そうな顔をして徹の方へと近づいていった。
「……盗み聞きか」
「ちがいます!」
「……冗談」
 紅一は頬をかきながら徹の真横に陣取った。
「本当にモテるんですね」
「……あんなに罵倒されるのがモテるってこと?」
「それは解釈によります。あの子も好きだからあんなになっちゃってるんだろうし。どうでもいいものにあそこまでにはなれなくないですか?」
「……いいように言いすぎているような気がするけど」
「確かに宝田兄弟見てると羨ましくなくなったのは本当ですね」
「……席が隣だったんだ。席替えしてもずっと」
「ロマンチックですね」
「……ふつうはそう思うもの?」
「たぶん」
「……俺は思わなかった。けど、ずっと隣で会話はあるし仲良しだとは思ってた」
「相手はかなり特別だと思ってたから、ずれがあそこまでに」
「……好きってなんなんだろう」
「僕も知りたいです」
「……みんな簡単に好きって言ってくれる」
「それモテ発言ですか?」
「……本当のこと」
「いつかぶっ飛ばされますね」
「……とにかくわからないんだ。けど、わからないけど、彼女の気持ちには答えられない。それはわかってるから」
 徹は自分の身に重ね合わせて聞いていた。
「いいやつだね」
「……そうかな」
「そうだよ」
「徹の方がいい奴だよ」
「そんなことないけど。ありがとう」
「……それでさ」
 と、いいながら紅一がこちらに向き合う。
「……蒼汰となんかあった?」
「あの、いや」
「……あいつ勉強できるけど、馬鹿だ。けど、いい奴だよ」
「うん。わかってる。僕がこうしているのがよくないから」
「……蒼汰、徹と仲良くなってから楽しそうだった。けど、最近は辛そうだ。見てられない」
「うん、ちゃんとしないと」
「……ありがとう。徹の気持ちがいちばん大切なのは本当だよ。少しだけ話してあげて」
「ありがとう。行ってくる」
「……いってらっしゃい」
「自分がしんどいときにありがとう。助かった」
「……気をつかいすぎ。はやくいきな」
 徹は図書室から出る。窓から風が吹き込んでカーテンが盛大に膨らんだ。

 連絡すると学校にはいないみたいだった。駅に向かっている途中だということだったので急いで追いかける。学校と駅の途中に蒼汰は立っていた。
「おまたせ」
「どうしたの急に、ってあの話だよね」
「そう」
 蒼汰が深く頭をさげる。
「ごめん、急にあんなことして。徹ちゃんを困らせたいわけじゃなかったんだ」
「ううん。それは別に怒ってないから。ちょっと混乱してたのは本当だけど」
 蒼汰が頭をあげる。
「うん」
「僕、蒼汰君のこと大切だよ」
「それじゃあ」
 蒼汰の顔が明るくなる。それをみて徹は心が痛む。
「けど、そういう関係にはなれない」
「男同士だから?」
「ううん。そういうわけじゃない」
「じゃあどうして」
「好きな人が居るんだ」
 蒼汰が大きくため息をつく。
「そうだよね。それはそう。徹ちゃんのこと何にも考えないでこんなことしてたよ。自分がされて嫌なことだったはずなのに」
「ごめん」
「謝らないで。まじか~。どの子なの?」
 蒼汰が務めて明るく振舞っているのが痛々しい。
「えっと」
 蒼汰の顔が真面目なものになる。
「もしかして、紅一?」
 徹は思ってもみない図星に固まる。何も言えないでいると蒼汰が喋り出す。
「マジかよ。双子だよ?俺でもよくない?」
 徹は首を横に振る。
「駄目だよ」
 蒼汰はまた大きなため息をつく。
「いっつも、紅一には勝てないなぁ。ムカつく野郎だ」
 少しうつむいていたと思ったら、蒼汰は笑顔で顔をあげた。
「徹ちゃんは見る目があるよ。あんまり応援しない方がいい?」
「知らないことにしてもらえるとうれしい」
「わかった。これからも友達でいてくれよ」
「それはもちろん」
「ありがとう。じゃあ帰ろうぜ」
 蒼汰はいつも通りの蒼汰に戻った。徹はその蒼汰の気遣いがうれしかったし感動した。優しい奴なのだと思った。
「……俺も混ぜろ!」
 後方から紅一の声が聞こえてくる。遠くに見える紅一の顔に蒼汰は気恥ずかしくなる。
「嫌だよ!ばーか!」
 蒼汰が叫んで返す。紅一は気にせずどんどん近づいてきて隣に並んだ。2人が言い合いをしているのを徹は微笑みながら見ていた。紅一が徹と視線を合わせる。どうだった?と口が動いたように見えたので頷く。それを見た紅一は満足そうに笑顔で頷き返してくれた。
 3人で横並びになって歩く。
 いつか徹も紅一に気持ちを伝えることができるのだろうか。そう考えるとむやみに怖くなってしまった。引かれてしまいそうで怖い。この双子に告白していた女子たちの勇気が飛んでもないものだったことに気が付いて徹は尊敬の念を抱く。けれども、今の徹は綺麗な気持ちで満ち満ちていた。誰かを好きでいることがこんなに清々しい気持ちをもたらしてくれるなんて知らなかった。今はただ、この綺麗な気持ちを僕の中で大切に。正反対な双子の綺麗な横顔を交互に見つめながら徹はそう思った。