方向感覚のあるないを気にしたことはこれまでなかった。
なぜなら、我が屋敷以外の建物に足を踏み入れたことがないから。
同じ板の間の廊下、同じような基調、見知らぬ顔、人間。
さっぱりどこが何処か分からない。
どうしようかしら。
───ぐうぅ...
ああ嫌だ、お腹も減ってきた。
起きてから口にしたものといえば謁見の間で頂いたお茶一杯だけ。
忙しい詰所と冷たい廊が広がっているだけで、休めそうな場所は見当たらないのだ、全く。
仕方ない。
もう少しこの広い内裏を探してみよう。
とは思うものの、足が張って痛いので庭の見える外廊の縁に座り少し休憩。
「──今朝、お見かけしましたわ」
「今日もお美しかったでしょう?今は何処かお判りになって」
若い女が2人、足早に通り過ぎた。
年頃の女房たちであろうか、だったら美しいと噂される男はひょっとしたら諒成かもしれない。
こっそりふた方の後をつけるが...暫くすると見失ってしまった。
本当に仕様もない。
──と顔を上げると、立ちはだかるような立派な装飾で、いかにも内裏の門が如く重厚な域であった。
直感的に判った。
この奥に、諒成がいる。
「殿、...諒成殿......」
進もうと思うが、奥の陰にから、門衛と呼ぶべきか──二人の男が立ちはだかった。
「姫君、こちらには誰もお入りになれません」
「...いいわ、入らない。来てもらう。呼べばわかるはずよ。早く殿をこちらへ」
「ですが...」
渋る門衛に手こずっていると、本人が姿を現した。
「うるさい。なんの騒ぎだ」と不機嫌そうな面持ちで。
そして此方に気づくと、門衛に「通して良いぞ」と声を掛けた。
驚く門衛を横目に過ぎ、几帳のうちに入れてもらえば懐かしい香りがした。
少し苦い、柑橘の香。
久しい匂いに安心したのか、ぎゅるる、とお腹が大きな音を立てた。
「丁度良い。お前に話があったんだ。菓子もある」
「なんでしょう」
座った彼は一段高い藺草の畳の上、比べて冷たい床の自分。
「...入れないなら、呼ぶとはな。いかにもお前らしい」
乾いた笑いだった。
そして再び口を開けば、驚くような発言だった。
「...観、俺の側女になれ」
「......へ?」
あまりに唐突だった。
そ、ば、め。
正妻ではなく、おこがましいながら...正妻ではなく。
要は...交わる、だけの......女。
びっくりしたことは、それよりも。
側女ということは。
「北の方が他にいらっしゃるのですか?」
「いや、いない」
「え......。差し出がましいながら、他のご側妻やお妾などは...?」
「いないぞ、なぜだ」


