憂いの月


その日を皮切りに。


あれやこれやと言う間にことは運び、安達観子は正式に入内し木白清菊に仕えることとなった。


芳生と季子は勿論、左大臣・木白範高(きしろののぶたか)も大いに喜んだ。


「おい、観子。見よ、見事な菊の絵じゃ」

「まことに。誰が描かれて?」

「誰と考える?当ててみよ」

「ん〜、...清菊様?」

「えい、何を言う。母方の爺やだよ」


照れる姿まで美しい姫君は、とんでもないお喋りであったのだ。


「さあ観子、琴を鳴らせ」

「...では伍の調べを」


琴を鳴らせと言われ鳴らせば、すぐに遮る。


「その...伍の調べというのは、観子の作ったものか?」

「ええ、左様にございます」

「よし、そこを清菊にも教えよ」

「...良いでしょう、ここにお座り下さい」


侍女も下がった小さな部屋で、楽器を楽しみ、時には漢詩(からうた)大和歌(やまとうた)を詠むこともある。



芳生たちは屋敷に戻り、崩れた一部の離れを修復させているという。

母屋は無事で、不自由なく暮らせていると季子からの便りが届いた。


盲人を母以外には知らないし、目が使えぬ事を身を以て知っている訳でもないが、季子の美しい字は目を見張る才がある。


芳生の尽力か、敬田院の僧たちのお陰なのか...


「それは何じゃ?手紙か」

「ん...えぇ、実家からの便りです」

「...安達の家も被害を被ったと聞いた。母君も苦労したことだろう」

「いえ、変わらず過ごせているようです」

「それは良い知らせよの。観子、心持ちは平気か?」

「有難うございます。お陰様で頗る快調です」


あの日恐れてどんな怖い方かと思いきや、仕えてみれば言い尽くせないほど優しい健気な姫君である。


よほど賢しいお方であるのか...感性も鋭く、嘘は見抜くし身体の加減をも気遣って下さる。


お家の者たちはお転婆で手に負えないと参っているが、我が身としてはこんなに気立ての良い娘に初めて会ったのだった。





そして──致命的な...極めて重大な物忘れをしたのである。