もうろうとする意識の中で、何度も助けてくれた人がいた。
君は生きてることが素晴らしいと言ったよね。
君は何度も苦しみにもがきながら生きて、本当に素晴らしかった。
私に生きることの素晴らしさを教えてくれて、ありがとう。

私は、中学校の「入学おめでとう」という文字を見つめて、目を輝かせた。
中学校生活を楽しみに見つめていたことを、今でも覚えている。
今年で私・琴(こと)は中学3年生になる。
クラスは6クラスあって、せっかく仲良しの友達がいたのに、クラスがわかれてしまって、また友達づくりは0から。
あーあ。
声にならないため息をつく。
私は進級おめでとうの文字を憎らしく見つめる。中学1年生の頃は、嬉しくて嬉しくてしかたがなかったほどなのになぁ。
友情って、本当に大事だなあって思ったよ。
「よかった。同じクラスになれて。今年もよろしくね!」
「うんっ」
そんな会話が聞こえて、私の横を通り過ぎる。
死ねばいいのに。
そう思った。
悔しい。なんで私が友達とわかれて、どうでもいい人が友達と一緒なのよ。ズルすぎる。
最低。マジ最低。私より年下のくせに。ウザ。死ね。
「3年3組…」
つぶやいて、はぁとため息をつく。
何度この紙をながめたんだろう。そろそろ教室へ行かなければいけないのに、気が重い。ウザいなぁ。仲の良い友達もいないし…。
言ってはいけないことを言っているのはわかってる。けど、本気で言ってないし。バーカ。カス。死ね。
イライラがおさまらず、教室に入って椅子を蹴る。
「こっわぁ。怖すぎる」
ぶりっ子すぎで引くわ。
女子からささやかれようが、何されようが、気にしない。私は今、怒ってるんだから。
教科書が机の上に置いてあるけど、私は全てゴミ箱に捨てた。新品だとしても関係ない。
「おい、今、なにした。なにをしたんだ⁉︎」
「は?」
ふりかえると、怒った顔のオジさん教師がいた。
「なにって、捨てましたけど?」
「お前!バカやろう!バカやろう!勉強はな…」
「オジさん。そんなに勉強が大事ですか?私は成績だってどうでもいいんですよ。ああ、社会に出てから後悔するのは自分だって?そりゃあそうでしょうね。オジさんは社会に出て何年も経ってるでしょうから。周りから信頼されたい、お気に入りになられたい。でも、そんなのどうでもよくないですか?だって、どうでもいい人から信頼されたって、嬉しくないですよね?」
カアッと顔を真っ赤にさせたオジさんは、私を怒鳴りつけた。
「そういうことを言ってるんじゃない!もちろん、成績も社会に出てからの生活も大事だ!だけど!こうして当たり前のように勉強ができることに感謝しろ!勉強がしたくてもできない人だって世界には何万…いや、何億人もいるんだぞ!」
頬に鈍い衝撃が走る。
たたかれたんだ。
「オジさん、それ、控えめに言って虐待です」
「俺は、警察に捕まってもいい。だけど、お前のその考えを変えてほしいんだ。頼むよ」
オジさんは、訴えているようにもみえたし、私にお願いをしているようにもみえた。
まぁ、今の私に何を言っても無駄ですけど。
「オジさん、今のことは黙っておいてあげます。だから私はオジさんのことを理解しないことにします」
「虐待って言ってもいいさ!だけど、理解しろ!してくれ!」
バッとオジさんは頭を下げた。
「さっきから、だけどだけどうるさいんですけど。用がないなら帰ります。それでは」
オジさんは悲しそうな顔をした。私を哀れな目で見つめた。
「俺じゃなくてもいい。だけど、いつかはわかってくれ」
また、だけどって言ってる。
私はオジさんに背を向けたまま、教室に戻った。
お手洗いに行きたくなり、踵を返す。
オジさんとすれ違う。
お手洗いから戻り、教室へ入ると、席はきっち元通り、教科書もあった。
オジさんが戻したんだんだと思う。しつこいんだよな、あの人。
私は席を立つのも面倒で、教科書を机に押し込んだ。
担任はオジさん先生。最悪。また説教されるのか。また長々と。
はぁ、疲れる。友達ってよくわからない。すぐに嘘をつき、すぐに裏切り、見捨てる。
私が説教されてるときも、見て見ぬふり。私のことなんて、どうでもよかったんだと思う。すっかり変わり果てた私に呆れたのかもしれない。
イライラがおさまらない。ウザい。ああ、ウザい。全人類が滅べばいい。いや、私が死ねばいいのか。どうせ私の死を悲しんでも、それは嘘に決まってる。悲しんでくれるのは家族くらいかな。でも、家族だって娘がいなくなって、お金をかけなくて済む。私、死んだほうがいいのかな。
「集中しろ、坂東(ばんどう)」
「迷惑です。注意なんてしなくていいです」
私が告げたとたん、教室がザワザワし始めた。
「あいつ、先生に逆らいやがった…」
「問題児なのかな?障害があるとか?」
「それなら、特別支援学校に行けばいいのに…」
さらにイラっとする。
オジさんが私に注意しなければ。
「でも、たまにいるよね。障害があるけど普通に学校に来る人」
それを聞いて、私はその人に殴りかかりそうになった。私に障害がある?冗談じゃない。人には機嫌があるのを知らないのか、バカやろう。
オジさん、こういう人がバカやろうなんだよ。教科書を捨てた私よりヤバいヤツっているんだから。なんで私だけなのよ?
「ダルいんで、保健室、行ってきます」
「待てよ!」
そんなオジさんをにらむ。
「本当に体調悪いとき、どうしてくれるんですか?オジさん、責任取れます?」
ザワッと教室中の空気が悪くなった。
私はみんなの声を聞きたくなくて、早足で保健室に向かった。
「坂東さん、どうしました?」
いちいちウザいんだから。
保健室に来る人は、怪我したか体調悪いかどっちかだろうに。
「死のうと思って」
「…っ⁉︎何言ってるんですか⁉︎ダメですよ、絶対!」
「私がいてもいなくても変わらないですよね?」
去年の私とは違う雰囲気に、保健室の先生は戸惑う。
「死ぬのはやめるので、ベッド借ります」
「あ、待って、そっちには…!」
返事を待たず、ドアを開く。
あーあ。ここにもいるのか。ひとりでゆっくりできると思ったのに。
私は女の子を見てガックリと肩を落とした。
「大丈夫?」
咳き込みながら、私に話しかけた。
お前が大丈夫かよ、と思いながら無視する。
咳、うつされたら困るんですけど。
その子に背を向け、布団をかける。
「私、松崎 柚姫(まつざき ゆづき)。あなたは?」
ダルい。自己紹介もしなくちゃいけないのか。
「…坂東 琴」
「私ね、3年3組なの。女子のグループ、もうできちゃってるかな…?」
この人、何なの。
よく見ると、柚姫はセミロングで黒い髪、パッチリと開いた目が特徴的な女の子だった。
ってそんなの関係なく。私が無視してもしゃべり続けてる。
「琴、何年生?」
「同じクラスだよ、柚姫と」
「そうなんだ!よろしくね、琴!」
パッと花が咲いたように笑う柚姫。
「この制服、かわいくないよね。そうたい、しないの?」
「するよ。今、お母さんが迎えに来てくれてるんだ。それに琴、話があちこち飛びすぎだよ!」
よかった。もうすぐでひとりになれる。
「そっか。また話そうね」
やってしまった。また話そうね、なんて余計なことを…!
「うんっ。よかった、琴と友達になれて」
私と柚姫はつりあわない気がするよ。
柚姫は、素直な性格だもん。というか、もう『友達』⁉︎冗談じゃない。
その数分後、柚姫はそうたいした。
その後の保健室は、自分が望んだ『ひとり』なのに、妙に寂しかった。
私のひねくれた性格は直ることなく、今日も登校する。なんで登校しなきゃ行けないの。
お母さんの笑顔を見たら、行かなきゃって思うんだよね。だけど、その笑顔ってホンモノ?って思った。それに、不登校になって『逃げた』って言われの嫌だし。
「琴、おはようっ」
教室の私を知らないで、柚姫が話しかけて来た。
昨日、保健室に行くという理由で授業をサボったのを柚姫は知らないからね。柚姫だってそのうち友達なんてやめるよ。
「おはよー」
もう少しの辛抱だ。
「ねぇ、琴、聞いてる?」
「あっ、ごめん、おはよう」
またクラスがザワついた。
『気分屋女子』、『昨日と態度が違う』、『二重じんかく』。
どれもこれもウザい言葉ばっかりだった。
「琴っていうんだね、君〜、昨日、あんなに怒ってたのに。でも、俺は嫌いじゃないよ?」
腕に触れようとする男子に平手打ちした。
「キモいから近寄らないで」
「ねぇ、キモいって俺のこと?」
倍にして言い返してやろうと、口を開いたそのとき。
「おい、何やってんだよ田中」
こちらをにらみつけた男子生徒がいた。
なんなの、キモい田中ってヤツも嫌だけど、注意したヤツもウザい。
「なんだよ、林。俺に文句でもあんのかよ?」
「ある。大ありだけど」
林、なにいい子ぶってんの。今先生はいないんだから、優等生ぶらなくていいのに。
「2人とも」
優しく2人をなだめる男子生徒がもうひとり。
また優等生か。正しくは、優等生ぶった人。
「ごめん、ありがと、朝陽」
すると田中が林をにらんだ。
「朝陽って呼ぶなよな」
林はスルー。
「大丈夫だった?アイツ、結構からんでくるんだよね」
はぁ。これだから目立つ人は嫌なんだよ。いい人に思われたいからって。
林の言葉に、私は軽くうなずくだけ。
「それならよかった。アイツのいうことは、気にしないほうがいいよ」
朝陽も続く。
私には負けじと言い返したようにしか見えなかった。そんなに人気者になりたいの?どうなの?
問い詰めたい気分。
ああいう人を見てると死んでほしくなる。死んでほしくてたまらなくなる。
みんな死んじまえ。お前らの言葉から出るのは優等生にみせたい言葉に、『大丈夫?』なんて心配しているようで本当はどうかわからない言葉ばかり。さっさと死ねばいいのに。
「琴、大丈夫?」
ほら、来た。柚姫が大丈夫?だってさ。
お前のほうが大丈夫かよ?私なんかを心配して何が楽しい?なにがいいんだろう?ああ、そっか。柚姫も優等生になりたいんだ。バカバカしい。そんな幼稚な遊び、とっくにやめてもいい頃なのに。…バカなヤツは、教師に気に入られたくて優等生ぶる。みんなに好かれたくて、それぞれに見せる顔が違う。みんなに好かれるのは無理に決まってるのになぁ。はやく死んでくれないかなぁ。
「琴⁉︎大丈夫⁉︎顔色悪いよ⁉︎」
「うるさい。おおげさだよ」
私が一喝すると、柚姫はホッとしたような笑顔を見せる。
「よかった。反論できる勇気があって」
バカなの?天然な性格、出すのやめてくれる?
「ウザい。私と友達やめて。さっさと縁切って」
柚姫はひどく傷ついた顔をする。
「どうして、私…」
「黙れって言ってる‼︎‼︎‼︎」
私はさらにおいうちをかける。
「さっさと縁切って。私かばっても意味ない」
私は立ちつくす柚姫をおしのけて、教室を出た。
帰ってやる。それで、教室中大騒ぎになればいい。坂東琴がどこにもいないって。…いや、騒ぎにならないか。うるさいヤツがいなくなったって思うかもしれない。
上履きを靴箱に押し込み、靴を履く。
「何してるの?」
ゆっくりとふりむく。…私に声をかけたのは、林だった。
「何って…帰るんだけど」
「ちょっと話せない?」
「無理」
私が即答して、靴箱を飛び出す__
ぐわっと腕をひかれた。
「触らないで!キモい!」
「はなすから、逃げないで」
しかたない。そんな無責任な条件出しやがって。
「…わかったよ」
「落ち着いて聞いてくれる?」
私はしかたなくうなずく。
誰もいない、シン、とした廊下に連れ出された。
「君、坂東でしょ?」
「それが?」
「問題児って言われてるのは、君だね。どうしたの?椅子を蹴ったり、全教科の教科書捨てたりした坂東」
嫌味?私はにらみつける。
「何が言いたいの?」
「ごめん。気持ちを落ち着けてほしくてさ。ねぇ、坂東。俺の前だけでいいから、自分の素を出してくれない?今は本当に怒ってるのかもしれないけど、そのうち怒ってるのが『自分』になってきちゃうから」
「何知ったようなこと言ってんの⁉︎私はいつまで経ってもこのままだよ…!」
私は逃げるように彼の前から走り去った。
ウザい。これが、『自分』なのに。意味わかんない。
そもそも、腕をつかんできた時点でセクハラ。
気がつくと、図工室まで来ていた。
私の目には、中2の頃、図工室に居残りをして、絵を描いている姿が一瞬だけ、見えた気がした。
よくも思い出させたな、図工室め。
去年の絵がまだ飾ってある。私の絵もある。私の下書きの絵が、ハラハラと足下に落ちた。私は思い切り踏みつけた。ビリ、ビリと音を立てて紙は破ける。
『琴って、絵が上手なんだね!すごい!美術の才能、ありすぎ!』
いつしか友達が言った言葉もよみがえる。それにすらイラついてしまって、紙をくしゃくしゃにして捨てる。
とたんに、なぜか涙があふれた。
紙を破ったことに後悔はしてない。人間関係に絶望した。
死ね。みんな死ね。
「死ねばいいのに…‼︎‼︎」
机を殴る。
「坂東、やっぱりここにいたんだ…」
林だ。今は、鬱陶しいとは思わない。むしろ、ちょっとだけ安心した。ほんのちょっとだけ。
「泣いていいんだよ。俺の前では泣いて」
私は泣きじゃくった。初対面だったからよかったものの、仲がいい人に見られたらオシマイだ。
私は机に顔をうずめる。そのときだ。頭に温かい感触が伝わったのは。
なでてる。キモい…。
「でもね、坂東。死ねって言葉だけは使わないで。どんなことがあっても。お願い。俺を嫌いになってもいい。セクハラって言ってもいい。だけど、お願い。死ねって言わないで…」
わかってる。悪気がなくても言ってはダメだって。わかってるはずだったのに…。
「うん…うん」
「ありがとう」
「それより、あんた、キモいから」
私が言うと、林は笑った。
つられて私も笑った。
イライラする以外の感情を感じたのは、久しぶりだった。
「はは、君が笑った‼︎よかったぁ。あはははは!」
私が、笑った?そんなことにビックリしてんの、この人?バカじゃないの?
「バカ」
「え?」
「あんたがバカって言ってんの。聞こえない?」
林、と苗字で呼ぶことがなんだか照れくさくて、あんたとしか呼べない。
「俺、バカ?そっかあ、あはは!あと、あんたって呼び方変えといて!」
「いつから?」
「今から1秒後に!」
ええっ、そんな無茶な。
でも嬉しい。林、って呼んでいいんだ!
「行こう?教室。俺も抜け出してきたから、怒られちゃうよ。あのオッサン先生だからな〜怖そう」
「あはは、確かに」
「もう坂東は1番のりで怒られたから、怖さ知ってるんじゃないの?」
私はそのことを言われてムッとした。
「うるさいよ」
「ごめん、つい」
なにが、『ごめん、つい』なのよ⁉︎
「あのときはムキになっちゃってたから。本当は怖かったんだろうけど、イラつきの方が勝ってて、怖さは感じなかった」
林がええっ?と驚いた顔をする。
「ただいまで〜す」
林がはずんだ声で教室へ戻る。
「何やってんだ、坂東琴、林叶等(かなと)!」
教師が怒鳴り散らかすのを見て、笑いがこみあげてくる。
私たちを注意して、何が楽しい?注意するの、先生も疲れるでしょ。ほっといてくれてもいいのにな〜。
「すいませんでした!」
林は頭を下げるけど、私はそんな林を見つめるだけ。
「おい、坂東!謝罪しろ!」
「なんで謝罪しなきゃいけないんですか?教えてください。自分で出ていったのに、連れ戻されて、説教される。おかしくないですか?連れ戻さなくていいです。ウザいんで」
言ってしまってから、やってしまった、と思う。
だけど今さら、後にひけない。
「なに⁉︎勉強ができることはどんなにありがたいことか…世界には、11人に1人は勉強ができないんだぞ!その分、先生の生徒が学んでほしいんだ!」
ダルいな。また同じようなことを言ってる。
林が頭を下げたまま、あやまれ、と目で訴えてきた。
しょうがないなぁ…。
「すみませんね」
オジさんはまだ何が言いたそうだったけど、
「ふん。まぁいい。席につけ。授業を始める」
なんなの、教師だからってあの態度。それに従う生徒。マジおかしいよ。
イライラしながら、持ち込み禁止のスマホをいじる。
TikTokをながめながら、数学のノートに絵を描く。
「鼻うたうるさいぞ、坂東!」
「うっせー、黙れオジさん」
ヤバい。言い過ぎたかも…。
「坂東、放課後、話がある」
あーあ。めんどくさっ。サボろうっと。
保健室も行きたくないし…。
そうだ、自殺しよう。そうすれば、無になれる…。
私は放課後、屋上のフェンスを見つめていた。あの上から落ちよう。怖いのは一瞬。
そう思ったとき、最後に思ったのが林が読んでいた本の題名。【命の尊さ】。
どうしよう。でも、やるときめたらやる。私はフェンスによじ登った。
突然、背中にぬくもりを感じた。
気づけば私はフェンスからはなれていて、屋上の床に座っていた。
「何やってんだ!バカやろう!」
オジさんがまた怒ってる…待って、今の声、オジさんの声じゃなかった。
「林…⁉︎」
「命を何だと思ってるんだ⁉︎自らなくすのか⁉︎こんなにも尊い命を!」
「林、本に影響されすぎだよ…」
脱力して、私は足に力がはいらなかった。
林は深呼吸した後、
「『今日という日は、昨日亡くなった人が生きたかった日』」
なんだか、自分がしようとしたことが怖くなってきた。
「何があっても命をそまつにするようなことはしちゃいけない。坂東が自殺しようとするなら、その度に俺は止めるよ。言うよ。琴は間違ってる。生きていて素晴らしいことだって絶対ある。考え直せ。琴なら大丈夫だから。俺がほしょうするから」
「だって、だって…今の私は幸せを感じられない。それなら無になったほうが絶対…」
口をふさがれた。
「これ以上反論したらたたく」
私は口をふさがれたまま、泣いた。
「ごめんなさい…私が今生きていられるのは、林が助けてくれたからだよね。本当にごめんなさい…ありがとう」
バシン!
ビンタされたんだけど。なんで?なにも反論してないけど。
「ごめんなさいで済むと思うか?命を捨てようときたんだぞ、このバカタレ!昨日亡くなった人は、今日がどうしても生きたかったんだぞ!自殺なんてやめろ。冗談もいい加減にしろ」
林は私をお姫様抱っこした。
「ど、どこ行くの?」
「職員室。オッサンに知らせないとな」
職員室前までくると、失礼します、と私の手をひきながら中へ入った。
「どうした、林。それに…坂東も」
「コイツ、自殺しようとしたんです」
「冗談はよせ。先生をからかおうとしているだろう…そんなことで職員室に来るな」
林が首をふる。
「違います、屋上のフェンスに登って、そこから飛び降りようとしてました」
「何だと⁉︎それは本当なのか⁉︎」 
林はうなずく。
「来い、坂東」
はぁ…呼び出さなくても。
「すみません、琴さんの担任の杉村(すぎむら)です。お話があります」
うわ…親にまで電話かけてるし。まぁ、しかたないか。自殺しようとしちゃったんだから。
自業自得か…。
その後、先生と親にさんざん怒られた。
はやく帰りたい。
「ったく、なんであんたって子は。お母さんがいないところであんなことしてたの?バカじゃないの⁉︎命ってね…」
語り出すお母さんの言葉を上の空で聞いて、林がいなかったらどうなってたんだろう、って思った。
その次の日から、私は少しおとなしくなった。
「琴…前はごめん。もう一回、友達になってほしい」
柚姫の言葉に、まだ諦めてないのか、と思ったけど、無理矢理笑顔を作った。
「うん。よろしく」
でも、私の態度がおかしくなったとささやかれるよりはマシ。
「笑顔がひきつってるよ。これから慣れていこうね〜。でも、よかったぁ。実はね、琴。私ね、森 朝陽のことが好きなの」
もり、あさひ…。
「ふーん。よかったじゃん」
恋愛、か。
つまんない。
「あっ、そうだ琴!叶等と偽の関係でいいから、ダブルデートしよう?お花見に行きたいし、あとは…水族館!どこかの高校で文化祭でデート‼︎いいねぇ…」
「私、のりきじゃないんだけど。なんで林となのよ?」
「それは…ナイショ!いいから、いいから!そうと決まれば計画立てようっ!」
柚姫はワクワクしながら私の手をひいた。
「朝陽っ、叶等!」
「「何だよ?」」
「ダブルデートしようって」
2人は顔を見合わせ、
「「ダブルデート?」」
と私たちに聞く。
柚姫はうなずく。
「その通り!ダブルデート!まずはお花見&水族館!日付は、1週間後の土曜日は⁉︎」
「いいね」
森がいち早く賛成した。
「んー、俺も大丈夫だと思う。坂東は?都合は大丈夫?」
「うん!ありがとう」
林が心配してくれたことが嬉しくて、ドキドキしちゃう。
「じゃあ、よろしく!楽しみ!」
森が笑顔で言う。
そんな森を柚姫が目をハートにして見つめる。
意外と楽しみ、かも。
あ、そういえば。
「林、ちょっといい?」
「ん。いいよ、何?」
私は林を廊下に呼び出した。
「あ、あの。昨日は、ありがとう…あと…、ごめんなさい」
またたたかれるかと思ったけど、林はニコッと笑った。
「ようやく命の偉大さに気がついた?まったく、遅いんだから」
って、私の頭をなでたの。
「林って、なんでそんなに命のこと詳しいの?」
「それはわかんないけど、命ってすごいじゃん?生きることってマジすごいんだから。心臓に手を当ててみて。ドクッ、ドクって音がするでしょ。それは俺たちがここに生きてる奇跡を証明するこどうなんだよ」
なんだか聞いたことあるようなないような。
私は黙ってうなずく。
「そういえば琴、あ…坂東」
「いいよ、琴で」
「じゃあ、俺も叶等って呼んで。それでさっきの続きだけど、琴はその…そう…、ダブル、デート…あんまり乗り気じゃない?ほら、琴、全然喋ってなかったじゃん?」
赤面しながら話す叶等にかまわず、私はズバッと言った。
「別に乗り気じゃないけど、話す話さないに関係ないよ?」
あれ、言い過ぎたかな…?
黙りこくった叶等を見つめていると、
「そっか、よかった!嫌じゃないならいいんだ。ゆづ、たまに余計なこと言うからさ」
そういえば、叶等と柚姫の間にはどういう関係があるんだろう。
「ふーん」
私はなんでもないように返したけど、本当は知りたくてしかたなかった。
待ちに待った土曜日。ちょっと髪型をかわいくして、自分なりのコーデを考えた。
ふふ、ダブルデートってワクワクする!
鏡の前でクルッとターンする。
黒色のロングワンピースで、白色のフリルブラウスをはおってるの。
髪型は編み込みを2つつくって、真ん中で2つを結んで、髪の毛を少したらしてる。
可愛い、かも!
お気に入りの紺色のバッグを持って、可愛いサンダルを履く。
「いってきまーす♪今日はね、柚姫と、遊ぶんだ〜」
「いいね、いってらっしゃい」
お母さんに見送られて、待ち合わせ場所までスキップで向かう。
「あ、琴。ちょっと手伝ってくれる?」
着くと、もう叶等がいた。
…私服姿がカッコいい。
白いTシャツの上から、黒色のパーカーに、デニムの長いズボン。
「お花見ってどうしたらいいかわからなくてさ。一応、シート持ってきた」
あ、ヤバ…見た目に気合い入れすぎて、準備忘れてた。
「弁当は2人が買ってきてくれてる。あとで払わないとな…そうだ、琴、アレルギーとかある?」
「ごめんね、実は、ナッツアレルギーなんだよね…」
そんなの出ないか、と思ったけど、叶等は表情をくもらせた。
「魚とカシューナッツあえって弁当を買ってくるねって言われてた…だけど俺は違うのにしたから、琴、それ食べていいよ」
「え、それは叶等がたのんだお弁当でしょ?魚とカシューナッツあえを食べなきゃいいんだから、大丈夫だよ」
「それがご飯の次にメインだから…マジ遠慮すんなって。ほら、手伝って」
私はシートの端を持ってしわなく広げた。
叶等にかわいいって言われたくて見た目を頑張ってきたんだけど…何も言ってくれない。
「今日の柚姫、かわいいね!服装とかマジかわいい」
「ありがと〜!朝陽だってカッコいいよ!ねぇ、お弁当、あーんってしてくれない?」
「いいよ〜!俺もして〜」
キャッキャとはしゃぐ声にふりかえると、2人がいた。
「あ…琴、今日の服とか…あと、髪とか、かわいいよ」
「あ、ありがとう…叶等もカッコいい、よ…」
きごちなくなってしまった。
あと、叶等、あの2人のやりとりを見て、言わなきゃいけないんだって思ったんだよね。
「でも…、琴、服とかにこだわらなくてもいいと思う…」
うっ、そうですか…。
叶等に言われるんだからしかたない。今度からは普通の服にしよう…。
「だって、何もしなくてもかわいいから」
⁉︎
今、なんて⁉︎何もしなくても、かわいい⁉︎
顔が熱い…2人に見られたらマズいぞ。
だって、叶等も顔が赤くなってるし…。
「2人とも〜買ってきたよ」
「あ、ありがと森!」
「俺のこと、朝陽って呼んでいいよ〜。俺も琴って呼ぶから」
私はマシンガンのように何度もうなずく。
頭の中はパニック状態。顔、赤くないかな?
「今日、暑いよね〜!琴、顔赤いし〜、アイス食べたい〜」
「俺、4人分持ってきたよ、柚姫♡」
「え〜!!ありがとう、朝陽♡」
見つめ合う柚姫と朝陽だけど、私と叶等の間には気まずい空気が流れた。
「ねぇ、琴。24時間だけ、俺の彼女になって」
真っ直ぐ見つめられてドキリとする。
「24時間限定の俺の彼女になってよ。あんな気まずい空気は嫌だ。お互いを想うカノカレになろう?」
「…うん」
『お互いを想うカノカレになろう?』
嬉しい。今日だけは。24時間だけは。あなたの隣にいさせてくれるんだね。
胸がドキドキする。
「…やったー…断られるかと思った。じゃあさ、俺と恋人つなぎして」
「うん」
お互いの指をからめる。
叶等の指は、力強くて心地良かった。
シートの上に座って、アイスをもらう。
叶等と手をはなすとき、なんだか寂しかった。
「どうした、手、痛いの?」
柚姫が私に聞いてくる。
そこで初めて、自分が叶等とつないでいた手を見つめていることに気がついた。
「ううん。大丈夫!ありがとう!食べよっ!」
早口でごまかす。
マスカットのアイスをひとくち食べる。
「後ろ向いて」
「え?」
「いいから」
叶等の言われるがままにして、2人に背を向ける。
「あーんして」
あーん⁉︎
「じゃあ、叶等のも食べさせて?」
何言ってるんだ、私‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎
「もちろん」
いたずらっ子みたい。笑顔がかわいい。
ザクッとアイスにスプーンを入れて、口に運んであげる。
「うん、おいしい。…琴がくれたからかな」
って、叶等は照れくさそうに笑った。
「からかわないでよ。食べさせて」
「ぶどう味だけど、食べれる?」
心配してくれてるんだ。…優しいな。
「うん。いいからはやく〜!」
叶等からもらったアイスは、口の中でゆっくりととけた。
「おいしい?」
「うんっ」
私たちは笑い合った。
「こっち来てよ」
叶等は私の腰に腕をまわすと、肩と肩がふれた。
近い。すごく近い。
「ぎゅってして」
私の口が勝手に動いていた。
「今?」
「うん」
温かい。叶等のぬくもりが好き。
「ちょっとおふたりさ〜ん?」
朝陽の声が聞こえてギクリとする。
「仲がよろしいですこと」
柚姫がふざけてケラケラ笑う。
「ちょっと2人とも!2人だって仲良いじゃん!」
「ははは、確かに。でも俺たちも仲良いのは確かだよね、琴?」
ええっ⁉︎冗談で言ってるのか、そうじゃないのかわかんないよ!
「うん…?」
私たち4人の間には笑いが広がった。
「お弁当食べよ〜?」
柚姫が言って、朝陽がお弁当を配る。
「はい、琴はこれ」
叶等がさりげなくお弁当をかえてくれる。
「えっ、でも…」
「カノカレってそういうもんでしょ?」
「わかった、ありがとう…」
お弁当はなんだかいつもより、おいしい気がした。
「みんなで連絡先交換しよ〜っ」
柚姫が言って、それぞれの連絡先を交換する。
…嬉しいな。
「水族館行くぞっ!」
私は満腹のお腹をさすって、朝陽のかけ声になんとかうなずく。
「琴、立てる?」
王子様みたいに手を差し伸べてくれる。
その手をとって、なんとか立ち上がる。
「ありがとう」
「どういたしまして」
私の王子様なんだね。今だけは。
水族館に着いてしばらくして、私は、クラスメイトと会ってしまった。
柚姫たちカップルは、トイレ中。
「あれ、もしかして坂東…さん、じゃないの?」
女子のクラスメイトが何人かいるのに気がついたのは、その声が聞こえたから。
「坂東さん、こんにちは。今日はダブルデートなんだね。一昨日…?の坂東さんとは大違い」
そう言うとクスリと笑った。
「彼氏できたとたんこれか〜、二重じんかくってヤツ?」
「かわい子ぶるよね。彼氏にいい子に見られたいからって。ねぇ、ぶりっ子坂東さん?」
周りにいたみんなも続く。
は…?
私は頭に来て言い始めた人の胸ぐらをつかむ。
「怖いよ〜、坂東さんが怖い〜」
大げさにおどろいて見せると、みんなが哀れな目でその人を見つめる。
「…殴るよ…?」
ウザすぎ。なんだよコイツら。
「えぇ〜、それはヤだな〜。じゃあさ、ひとつだけ坂東さんのワガママ聞いてあげる」
「じゃあ、死んで…今すぐ死ねよ…ゴミクズ」
「え?」
「死ねっつってんだよ。お前らなんかこの世にいて意味ないし。さっさとこの世から失せろ…」
バチンと頬に衝撃が走って、ハッと我にかえる。
「なにやってんだ、琴は…」
叶等がたたくまで、憎みや怒りしかなかった。
「これ待ちか」
「そうだねぇ」
「変なこと言って止めてくれるの待ってたんでしょ」
倍にして言い返してやろうと口を開いたとき、ぐっと腕をひかれた。
「つきあってられない。行くぞ」
うう…。
叶等、怒ってるかな…せっかくのダブルデートなのに、雰囲気こわしちゃった。
「叶等…」
「琴を妬んでるヤツの悪口なんてつきあってらんねぇよ」
「え…?」
それって私の悪口を言ってたクラスメイトに向けて言ったの…?
「でも、琴は琴で言い過ぎ。死ねって言うなって言っただろ…ったく、琴は…」
でも、ふわっと笑って、
「でも、怒りがいがある気がする」
「『気がする』?」
「うるさい。そう思うことにしとくから。次、言ったらどうなるかわかってんだろうな?」
うわぁぁ…ブラックな笑顔になっちゃったよ。
「わ、わかりました!」
「言ったな?」
「はい、言いました‼︎‼︎」
ビシッと敬礼してみせる。
そんな私を見て、叶等は小指を差し出した。
「約束だぞ?」
「うん!」
私も小指をからめる。
「ゆ〜びき〜りげ〜んま〜ん嘘ついたらどうするかな。友達やめてやん〜の!」
私はクスクス笑った。
「わかった。もう絶対言わないから」
「ホントだな?」
「本当だよ」
…叶等の瞳って、こんなに綺麗なんだ。
ガラスみたいに透き通ってて、なんでも見透かしちゃえそうな茶色い瞳。
その瞳には、私だけが今、うつっているんだ。
じっと見入ってしまっていると、柚姫たちが到着した。
「ごめんね〜、ちょっとだけお話ししてたんだ♡ね、朝陽?」
「う、うん!もちろん。そうだよね」
2人はごめんごめんって頭を下げる。
私は叶等と顔を見合わせて、笑い合う。
あやしいけど…私たちも助かっちゃったからね。…叶等と話せたから。
…このとき私は、この幸せが続くといいなって思ってたけど…。
「みんな、何見たい?」
朝陽が呼びかける。
「私、イルカ見たい、かも…」
私がボソリと答えると、
「俺、アザラシ見たい」
と叶等が言った。
アザラシ、ね…ちょっとかわいいな。
私たちはたくさん水族館の動物を見て、帰ろうとした頃。
「みてみて、あれ、メリーゴーランドじゃない?」
柚姫が小さな子どもみたいにはしゃいだ。
「ホントだ!柚姫乗ってよ。俺、写真撮るからさ。柚姫は名前の通り、お姫様みたいでかわいいよ」
朝陽が柚姫のことをほめる。
私…『一昨日?の坂東さんとは大違い』、『二重じんかくってヤツ?』…乗らない。どれが本当の私…?自分の素直な気持ちを見失ってしまった。
『俺の前では泣いて』
『俺の前だけでいいから、自分の素を出してくれない?』
叶等の前では、泣いていいの?
メリーゴーランドに乗るか乗らないかで悩んでる私はバカなのかな…?
「やだ、朝陽ったら…みんなで乗ろう?」
「それ、いいな」
「…私も賛成だよ」
私がそう言ったら、叶等が耳元でささやく。
「あとで泣く?」
「え…何」
「泣きそうな顔してたから」
もっと泣きたくなっちゃうよ。叶等の優しさに甘えたくなっちゃう…。
「それと、乗るか乗らないかで悩んでるなら、乗ってよ。琴は俺にとってお姫様みたいなものだから」
えええ…ストレートすぎる…林叶等、ヤバいわ…。
「うん、乗ろう…」
結局みんなで乗ることにして、男子は男子と、女子は女子と乗ることになった。
少し前を進む2頭の白馬にそれぞれに乗る叶等と朝陽が王子様みたいで、一方地味でしかない私が馬車に乗るなんて…。
「琴さ、周りと比べない方がいいよ」
「うん…?」
「ごめん、ちょっとだけ盗み聞きしてた。…さっき、クラスメイトともめてたでしょ」
聞かれてたんだ…だからあやしかったんだ…。
たしかに、朝陽が無理矢理合わせた気もしなくはない…かな。
「ん。わかった。ありがと」
メリーゴーランドがゆっくりととまる。
なんだか、むなしくなってしまった。
「はぁ…メリーゴーランドなんていつぶりだろ。最後に乗ったのは幼稚園のときか、小1のときか…」
「…小1…」
叶等がぼうぜんとつぶやく。
その後、やってしまった、というように朝陽が話題を変える。
「今日、楽しかった〜、また行こうね!」
「今度、高校の文化祭があるみたいだよ。11月だけど」
「楽しみだな〜、またダブルデートしようね」
朝陽と柚姫がわざとらしく大きな声で会話する。
「琴、今日はありがとな。俺の彼女にさせて悪かった。…今日のこと、忘れて」
そんな…今日のことなんて、忘れられるわけがないのに。
「うん、ありがとう…また…」
ダブルデートしよう、なんて言えない。
今日のこと忘れてほしいって言うほど、いい思い出じゃなかったんだから。
「また、月曜日」
なんとか告げて、走り去る。
その日は、家に帰って、たくさん泣きじゃくった。
次の日、叶等からメッセージが届いた。
『今って大丈夫?時間ある?』
私は急いで返事をした。
『あるよ』
私が、なんで?と、うつ前に、
『昨日の花見したところで集合。急いで』
私はそのメッセージを見て、簡単に着ることができる服に着替えて、髪はポニーテールで結ぶ。
夢中で走り出した。
「ハァ…ッ、ハァ…叶等…」
「琴。いきなりごめん」
「どうしたの?」
叶等はいたずらっ子のように笑う。
「ネコカフェに行こうよ」
真顔でそう言うから、びっくりしてしまった。
「なんで…?」
「『24時間』、俺の彼女だから。昨日言ってから、まだ24時間経ってないよ」
「そういうことか…って、なんでネコカフェ?」
私が問うと、ポッと顔を赤らめる。
「女子ってそういうの好きかなって…」
「うん。好きだよ。ありがと」
さらに叶等が顔を赤らめた。
叶等のことが好きだって言ってるように聞こえちゃったのかな?
私もとたんに顔がじわじわと熱くなる。
「行こっか」
「うん…どこにあるの?徒歩で行ける?」
「タクシーで行こう」
タクシー⁉︎
タクシーってたしか、2人の場合は、隣に座るよね?
あっ、かんじんなことを忘れてた。
「私、お金、1000円しか持ってない…」
でも、唯一持っててよかった。
「たりるかな?」
「え?俺が払う気でいたけど。気持ちだけもらうね」
本当にいいのかな?
せめて、なにかお返しでもしよう。
「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて…」
「どういたしまして、はやく行くよ!24時間の彼女が終わっちゃう」
叶等は彼女ができたら、その子が好きそうなところに連れて行ってくれるんだな。
叶等のお嫁さんは幸せだな…ん?なぜだか胸が痛い。
タクシーにゆられて30分。
【ネコカフェ この先400メートル】
という文字が見えてきた。
タクシーがカーブしたとたんに、肩がぶつかる。
「ごめん、大丈夫?」
「うん…」
なんとか、と言いそうになったのを我慢する。
だって、だって…!肩がふれたんだよ…!
「叶等こそ…、大丈夫?」
「俺は大丈夫」
タクシーがネコカフェに到着するまで、私はずっとドキドキしていた。
「ねぇ、叶等。叶等が24時間限定の彼女って言った時間はいつなの?」
「11時39分。今は9時43分だから、まだ1時間以上はあるよ」
わからない、と言われると思ってたのに。
昨日から計画してた、とか?
ないない。だって、今日のこと忘れてって言われたんだよ?
「昨日は、忘れてって言って悪かった。普通に、恥ずかしかったんだよ。明日も計画しようと思う自分が」
そうだったんだ。かわいいなぁ。
「じゃあ、嫌だったってわけじゃないんだね?」
「嫌なわけないだろ。だって琴と出かける場所は、何もない場所でも楽しいから」
サラリと言われて、胸が高鳴る。
そういうところ、叶等、すごいよ…私、サラッと言えないもん。
「あっ、ネコちゃんかわいい〜」
ふわふわの毛並みに、愛くるしい瞳。仕草。
「かわいいなぁ…」
「琴、ネコ好きなんだ」
「うん、かわいいもん」
なでると、ニャアと鳴いた。
「そればっかりだな。なに食べる?」
「なににしよう…」
せっかくなら、思い出に残るものがいいな。
その言葉を口に出せたらいいんだけど、恥ずかしくて言えない。
「叶等は?」
「うーん、いちごパフェか、パンケーキ、かな」
甘いもの好きなんだ。またひとつ、叶等のことを知ることができた。
「ヤバい、9時51分!はやく決めないと!」
「この大きいパンケーキにして、2人で食べない?」
言った…!よく言ったよ、琴!がんばったね。
断られてもしかたない。勇気を出して言ったことに変わりはないんだから。
でも、ほんのちょっとだけ。ちょっとだけだよ。2人でパンケーキ、食べたいなぁ…。
「いいよ。それにしよっか」
即答…⁉︎嬉しいけれども!いいんだ!やったー‼︎
興奮状態の気持ちを落ち着かせて、ありがとう、と笑顔で答えておく。
パンケーキが机の上にのって、スプーンを入れる。
「わわっ、くずれる!」
「くずれる前に写真撮ろう?」
「いいね!」
私がパンケーキを撮ろうとすると、叶等がえっ、という顔で私を見ていた。
「あ、写真の撮り方下手くそ?ごめん、叶等が撮って。その方が映えそう」
「…違う、違う。パンケーキと俺たち2人でって意味なんだけど」
「…あっ、そうなんだ!ごめん!撮ろう…」
は、恥ずかしい!そりゃあ、えっ、ってなるよね!ホント恥ずかしい…。
「はい、チーズ!……こんな感じで撮れたよ。どう?」
写真の中には、ニコニコしながらピースをする私たちと、間に特大パンケーキ。
「うん、めっちゃいい!食べようっ、時間がないもんね!」
ふふって微笑むと、
「そうだね」
特大パンケーキのひとくちを一緒に食べた。
「ん〜、おいしい!最高!」
バターとハチミツの香りが漂う。
この香りを絶対、私は忘れない気がする。
あっと言う間に平らげた私たちは、満腹のお腹をさする。
「今、何時?」
「10時20分。あと30分だよ」
「そっか。ありがと」
なにやってんの、私!
10時20分って言ったら、あと30分ってことくらいわかるよね…。
叶等はなにもないように返してくれたけど…。
恥ずかしい…またやっちゃった…。
「じゃあ、川沿いを歩かない?」
「いいね」
24時間限定のカレカノが、もう少しで終わっちゃう。ずっとこうしていないのに…名残惜しい。
「うー、お腹いっぱい。叶等、タクシーも払ってもらっちゃったし、パンケーキは千円しか出せなくてごめん」
「大丈夫だって。気にしない、気にしない!ってか、パンケーキ3000円とかびっくりだよね」
「うん。私が払う気でいたのに。2000円も払わせちゃった…」
私がそういうと、叶等がはしゃいだ。
「見て!きれいな魚がいる!」
「わぁ、本当だ…」
叶等は魚を見つめたまま、
「今度、釣りに行きたいな」
「叶等、釣りしたことあるんだね」
「ううん、ない。…けど、琴となら釣れる気がする」
爆弾発言!
私となら、釣れる⁉︎嬉しいなぁ、そう思ってくれて。
「あ、でも…俺、魚のぬめぬめ嫌いなんだよね」
「ダメじゃん!」
お互いの顔を見て、プッとふきだす。
そのとき__
「あ、11時39分だ」
叶等の声に、魚も泳ぎ去って行く。
ああ…、終わっちゃったんだ。
「帰ろう」
『帰る?』じゃなくて、『帰ろう』。
つまり…確定ってことだ。
「…うん。ありがとう!楽しかった〜!」
「俺も」
「え⁉︎今なんて⁉︎」
スルーかよ⁉︎まぁ、私の聞き間違いじゃなければ、『俺も』って…‼︎
タクシーに乗って、目を閉じる。
そのとき、ガタン!とタクシーがゆれた。
窓に思い切り肩をぶつける。
「申し訳ございません。少し事故が…」
そこまでしか聞こえなかった。肩が痛い…っ。
私が肩をおさえてうずくまったのに気がついたのか、
「琴⁉︎大丈夫か⁉︎琴⁉︎」
「うん…肩が痛いくらい、かな…」
「病院行く?」
私は首を横にふる。
「大丈夫。ありがとう」
「乗用車が後ろからぶつかったようです」
タクシーの運転手さんが頭を下げる。
「いえ…!大丈夫です、お気になさらず」
「だからって、お客さんに怪我させていいのかよ…?」
「叶等!大丈夫だから」
本当に申し訳ございません、と改めて頭を下げる運転手さん。
「運転手さんのせいじゃないですし…気にしないでください!」
「ありがとうございます。警察を呼びますね…」
その日に帰ったのは、午後の3時半だった。
「琴、大丈夫?事故に巻き込まれたって聞いてるけど…」
「ありがとう、大丈夫」
__そんな会話をしたのはいつだっけ。
それくらい、月日が流れた。
「今日って何日?」
「11月5日だよ」
日直が叶等とだった私は、黒板に今日の日付を書く。
「琴、ちょっと」
書き終わったのを見計らったように叶等が声をかけてきた。
「え?日誌を取りに行くんじゃないの?」
「いいから、いいから」
「もしや、サボり?オジさん先生、怖いよ」
叶等と私の間に特別な変化は起きていない。
連れてこられたのは、屋上だった。
そこには待ち構えるように立つ…朝陽と柚姫。
「明日は記念すべき高校の文化祭の日!ダブルデート第2回目にどうです?」
と、朝陽。
「いいですね〜、おふたりさんは予定はありますか?」
にやけながら言う柚姫。
「俺は…行ける!琴は?」
「うん、私も行ける。ありがとう、叶等」
私が言うと、さっそく2人の世界に入ってしまう柚姫と朝陽。
「じゃあ、決まりっ!どこ行こう?」
「柚姫、このメイドカフェとかよくない?これ、去年のなんだけど」
「かわいいっ、今年もしてくれるといいなぁ。あ、あとこの写真館みたいなのもいいかもっ」
2人は私と叶等が生あたたかい視線を向けているのにも関わらず、会話を続ける。
「琴、俺たちはどこ行く?」
「どうしよう…でも、おちゃしたいな〜」
「わかる、行ってから決めようか」
私たちは行ってから決める、に決定した。
別行動の時点でダブルデートじゃない気がするけど…。
「琴、おはよう」
「おはよ、琴」
「琴〜、待ってたよ!」
みんなにむかえられて、申し訳ない気持ちになる。
「おはよう、ごめん、待った?」
「「「全然?」」」
みんなの優しさにすくわれる。
「琴、今回も24時間俺の彼女だからね」
「ということは…?」
叶等は目を細めて、
「そういうこと。明日もちょっと計画してるんだよね」
「楽しみ」
私が微笑むと、叶等も微笑み返してくれた。
高校に着いて、ミステリーカフェに入った。
「ん〜、おいしい抹茶だな〜、クイズってなんだろう?」
「クイズに正解したら、カフェオレが無料で一杯もらえるんだって」
「さすが叶等、もらった紙とかよく読んでるね」
叶等はにやりとして、あたりまえ、と言った。
そのとき、嫌な予感がした。
あのときの、クラスメイト…たち。
水族館の…。
でも、ミステリーカフェの横を通り過ぎただけだった。
「どうした?」
「ううん。なんでもない」
その後私たちは文化祭を楽しみ、次の日になった。
私はあらかじめ用意していた服に着替えた。
『琴、あいてる?』
やっぱり。これを楽しみにしてたんだけどね。
『もちろん。準備してるよ』
『高校で待ち合わせ。近くに土手があるから、まずはそこに行かない?』
『オッケー (@⌒ー⌒@)』
「お母さん、遊びに行ってくる!」
「ふふ、いってらっしゃい!」
高校の校門に着くと、すでに叶等がいた。
「行こう!」
「うんっ」
土手を歩くのでさえ、とっても楽しい。
「実はね、もう少し行ったところに俺の家があるんだ。だから、ちょっと寄ってもいい?渡したいものがあるんだ」
「ええ!そうなんだ。いいよ!ありがとう」
「どういたしまして。遊園地に行ったお土産なんだけど、今度またあの2人も誘ってダブルデートしようよ?」
叶等との約束ができた。
「約束だよ?」
「もちろん。俺から言い出したことだしね…あ、あそこが俺の家。ちょっと行ってくるから待ってて」
「わかった」
ひとりでワクワクしていると、
「坂東さん」
あのクラスメイトたちが声をかけてきた。
「な、なに?ホントにきもいんだけど。いつまでついてくんの?ストーカーだよ」
「ストーカー?なに言ってんの?あんた、いちいちウザいんだけど」
肩に鈍い衝撃が走った。
私は土手から転がり落ちる__
クラス替えの紙。オジさん先生の怒った顔。屋上から見た地面。叶等の茶色い瞳。柚姫や朝陽、叶等の笑った顔。ネコカフェ。文化祭。私を突き倒して、笑いながら逃げて行くクラスメイト。叶等が私に手をのばす__
そっか、私、叶等のことが………
全ての記憶にもやがかかるように、思い出せなくなる…。
「ん…?」
「目が覚めました?よかったです」
ここ、どこ…。
それに、この人は誰?
「私は医師の石川(いしかわ)と申します」
「先生、私…誰ですか?」
「やはり…あなたは、坂東琴さん。解離性健忘、ですかね」
私って、坂東琴っていうんだ。
それに、なんだろう、今言った長い言葉。
「琴…!大丈夫?よかった…」
ギュッと抱きつく人が誰かもわからない。
「あの…あなたって?」
「え?琴?お母さんだけど?」
「お母様。琴さん。落ち着いて聞いてください。琴さん、あなたは…記憶喪失です」
記憶、喪失…⁉︎
「解離性健忘というもので、心的外傷やストレスによって引き起こされる健忘、つまり、記憶障害のことで、自分にとって重要な情報が思い出せなくなります。思い出せるまでに、数分から数十年にも及ぶ場合があります。人それぞれです。琴さん、今は自分自身を知る必要がありますね。お母様、琴さんの親友さんはいますか?もしよろしければ、お呼びすることができますか?」
「わかりました」
その数分後、柚姫という私と親友だった子がきた。柚姫はセミロングで黒い髪、パッチリと開いた目が特徴的な女の子だった。
「大丈夫、琴?記憶喪失になっちゃったんだって…⁉︎」
「ごめん、柚姫。あなたが誰かわからない。本当に私たち親友だったの?」
「うん…ダブルデートにも行ったよね。あっ、叶等のこと覚えてない?あと、朝陽!」
なにを言われても、誰なのかまったく思い出せない。いつになったら思い出せるんだろう。
「ええと…今は、琴、中学3年生の冬。11月だよ…?」
「へぇ…」
「あ…学校に来るの、楽しみにしてるね!」
会話がはずまない。記憶を失うのって、こんなにも不便なんだ。
「退院できたら、お家に帰ろうね、琴…」
お母さんもそそくさと帰ってしまった。
「そういえば…中3ってことは、高校の試験があるよね…勉強しなきゃ」
「琴さん。あなたは、土手から落ちて、頭を強く打ったそうです」
「誰が助けてくれたんですか?柚姫?お母さん?」
先生は言葉をにごす。
「あ、え…そこまではわからないです。あと2日もすれば退院できますよ」
「あ、はい…」
なんだか、怖いな。誰が誰だかわからないんだもん。記憶を失う前の私は、どんな人だったんだろう。
「琴さんのスマートフォンです」
柚姫から、
『琴〜!柚姫だよ〜!退院できる日、教えて!一緒の高校だから、一緒に行こう?(一緒が多くてごめん!)あとね、帰りは琴のお母さんがおむかえに来てくれるんだって〜!今から琴と登校するのが楽しみだよ〜!』
と連絡が来た。
柚姫は優しいな。それなのに私、本当に親友?みたいなこと言っちゃって悪かったな。
2日後に無事に退院したけど、記憶はまだ戻らない。
「琴、行こっか!」
「これが制服なんだね。かわいい」
「ええ〜?かわいいかな、この制服。前は全然かわいくない!とか琴、言ってたのに?」
そんなこと言ってたんだ…性格変わったってこと?
「へぇ…今の私にはかわいいように見えるけどね」
本当に不便。
柚姫がせっかく話してくれてるのに、私は話についていけない。
「琴、そういうの気にするのは変わってないよね〜」
「え…」
「そりゃわかるよ〜、半年以上、琴の親友やってんだから〜」
柚姫、よく見てるな。
素直に尊敬するよ。
「…すごい」
「あはは〜!あ、もうすぐ学校着くよ」
学校の校門をくぐり、教室に入って私の席を探す。
柚姫がさりげなく席へ誘導してくれた。
「琴ごめん、トイレ行ってくる」
「オッケー!」
「琴ちゃん、おはようっ!」
クラスメイトから声をかけられる。
「お、おはよう…?」
誰だろう、と思いつつも笑顔であいさつをしておく。
「記憶喪失になっちゃったんだっけ?土手から落ちちゃったとか聞いたよ〜、大丈夫?」
「ちょっと不便だけど…だいぶ不便だけど…、思い出せる日が来るはずだから、がんばれるよ」
「わ〜‼︎すごい、坂東さ…琴ちゃん!記憶喪失になったのにめげてない!前の琴より…琴ちゃんより、ずっとずぅっといいよ!殴るよ、とか言わなくなったんだね〜!」
この人は…本当のことを言ってるのだろうか。
そもそも、坂東さん、とか、琴、とか言いそうになってたし…。信頼はできないなぁ。
大きい声で言われてしまって、え、とクラス中がざわめく。
「殴るよ、なんて言ってたんだ。ちょっと坂東さん怖いな」
「それなー‼︎記憶喪失って怖いよね。私、そんなんになっちゃったら生きてけない〜!」
「自分を忘れちゃうんでしょ?周りからあの人性格変わったね、とか言われるのヤダー‼︎」
言われ放題の私に、
「記憶喪失ってバカにする人もどうかと思うけど?こ…坂東は、記憶喪失になりたくてなったんじゃないんだから」
知らない男の子が、私をかばった。
これは…後から恨まれるヤツだぞ…。
でも、助けてもらった立場だから文句は言えない。
「…林に言われたらしかたないよね」
「うんうん。おとなしくしておきましょ〜〜」
教室がまた雑談につつまれる。
「あ、あの…ありがとう…ええと…」
「どういたしまして」
あ、名前を聞きそびれちゃった。
その男の子は去って行く。
「琴ちゃ〜ん。カレシとはいい感じなの?」
カレシ⁉︎私にカレシが…⁉︎カレシって、あの彼氏⁉︎
あわあわと動揺していると、
「俺とデート行こうよ〜」
「え、キモ…あっ…、ええっと、すみません!つい、本音が‼︎‼︎‼︎」
なにやっちゃったんだ〜‼︎
でも…間違えたことは言ってない…よね。
「あなた、チャラいですよね。私なんかより、もっといい人がいるはずです〜。なんというか、もっとチャラい人が。チャラい同士、デートに行けばどうです?」
チャラい人は、口を開けたまま、かたまる。
「あの、すみません。ここ、私の机なんでさわらないでくれます?席にさっさとついてくださいよ」
「わぁ…」
トイレから帰ってきたらしい柚姫が、声を上げた。
「記憶喪失になった後の琴って、こんな感じなんだ〜!」
エェ…⁉︎今までは、こんな感じじゃなかったのかな…?
「そうだ、今度、うちに来て、勉強しようよ!」
「いいよ〜」
計画を立てて、
「琴はさ、幼なじみにチョコあげたほうがいいと思う?ほら、うちらもう今年で高校生じゃん?」
中学生最後のバレンタインデー1週間前、親友の柚姫が話しかけて来た。
「さぁ。『はい、友チョコ』くらいで渡しとけばいいんじゃない?」
私はシャープペンシルをカチカチと鳴らし、ノートに視線をやる。
「うーん。それなら渡さないことにする。それより、冷たいよ、琴!」
「それより、高校の受験もうすぐでしょ。それに、私には幼なじみがいないんだから」
幼なじみ、というのに憧れたことは何度もあった。だけど、私にはいないのだ。
それに、バレンタインデーでもある1週間後は高校の試験。
「そうだけどさぁ。琴は頭良いから良い高校行けるんだろうけど、私とか頭良いイメージないでしょ。実際そうだけど」
「うん」
適当に相槌をうっておく。
「そこは冗談でもつっこんでよねー、優等生さん。それで、さっきの話の続きだけど。あたしは諦めてるんだよ、高校。イマイチ成績もパッとしないし…」
「諦めないために、こうして2人で勉強してるんでしょうが。私だってピンチなんだから」
そう。私と柚姫は私の家で勉強をしているのだ。それなのに、いつの間にか話題がバレンタインの話になってしまっている。
「んん〜何これ。頭痛くなっちゃう」
柚姫は数学、国語、英語の教科書をパラパラめくっただけでため息をついた。
私はというと、5教科のうち、4教科を解いている。
「イケメンに会いたい〜!あたしの幼なじみ、性格はいいけどイケメンじゃないからさ〜」
「私は顔より中身だけどね」
ジュースとお菓子をすすめると、勉強道具をしっかりと片付けて、1人でお菓子パーティーを始めていた。
「琴、ガンバ!5教科終わったら教えて」
ズズ、とジュースをストローで吸う音がする。
「終わった」
しばらくして、私がそう告げると、柚姫は顔をパッと輝かせた。
「何して遊ぼうか?」
待ってましたとばかりにキラキラの笑顔で言われると、遊ぶために来たんじゃないよ、なんて言えなくなる。
その日はたくさん遊んだ後、柚姫は満足そうに帰って行った。

しばらくして、試験の日がやってきた。
私ならできる!
そう言い聞かせて試験に取り組んだ。
昼休み、売店へ行ってサンドイッチを買い、席に座る。
「あっ…!」
売店の袋が破けて、色々な食べ物をぶちまけた人がいた。
その人はマスクにサングラス、ニット帽からはセミロングの髪がのぞいている。
女の人はしゃがみ込んで拾っている。
私も拾うと、拾っていた食べ物を全て落とし、走って行ってしまった。
私は落ちていた全ての食べ物を拾い、持参していた袋に入れて、走って追いつく。
「あの…落とし、ましたよね?」
「ありがとう、ございます…」
女の人は受け取るとすぐに走り去ってしまった。
そして私は後々、衝撃の事実を知ることになる。

高校の入学式。
私は無事に試験を終え、合格した!
そしてクラス名簿を見て、一瞬、息をするのを忘れた。
「松崎、柚姫…?」
嘘だ。あり得ない。苗字も漢字まで一緒だけど、柚姫は勉強が苦手と言っていたはず。
見覚えのある人が、私の前を通った。
マスクにサングラス。そして、セミロングの黒い髪!試験の時はニット帽をかぶっていたけれど、全くの同一人物。
「あのっ!」
思い切って、声をかけてみる。
「えっ、あっ…気づかれちゃったかぁ」
その人はマスクとサングラスを取って…
「柚姫⁉︎」
何が何だかよくわからない。
「気づいてなかったの?じゃあまだ正体を言わなかった方が良かった〜!あれから頑張って勉強したんだよ〜、それで、ダメ元で受けてみたら合格できたんだよね」
ということは…?
1週間前から勉強して合格できたってこと⁉︎
私よりも頭良くない⁉︎
「すごっ…」
私が感動のため息をもらすと、
「おい、叶等!」
男子の声が響いた。
「林!叶等さ〜ん!俺と同じクラスだな、良かったな!1年2組!」
1年2組。私と柚姫と同じクラス。
どうでもいいか。
私は柚姫と一緒に教室へ向かった。
「あのさっき叶等!って叫んだ男子、ちょっとイケメンですよね⁉︎」
柚姫は私に興奮気味に囁いた。
「そうかなぁ」
呆れ気味につぶやく私と興奮気味の柚姫はいつものことだ。
何日かした昼休み。
私と柚姫は園芸部に入部したため、昼休みに花に水をやりにきた。(柚姫は今日休んだから、私1人だけどね)
目を凝らすと校門に立つ人影がある。
「どうしたんですか?」
その人影は私のひとつ上くらいの男子が1人。
「あっ、今日って1年生、6時間目まである?」
「はい、あります」
「林と約束してるんだけど、1回、家戻ってもいいと思う?」
林?ああ、入学式のときにその名前を聞いたことあるな。顔も知ってる。たしか…私の前の席だったような。
「良いと思いますよ」
「じゃあ、申し訳ないんだけど、6時間目終わったら連絡してって伝えておいてくれる?」
「わかりました」
その人は笑顔で走り去って行く。
私は園芸部での活動を終えて林くんに伝えにいった。
「林くん」
ほら、やっぱり。
私の前の席だ。
「何?」
林くんは大人しいときと、ヤンチャなときがある。
今日は大人しく読書をしている。
「あの…」
名前を聞き忘れちゃった。
でも約束してるって言ってたしね。
「林くんと約束してる人が学校まで来てたんだけど、その、6時間目が終わったら連絡してだって」
「わかった、ありがと」
男子にお礼の言葉を言われるのは初めて。なんだか嬉しくなっちゃう。
私はうなずくと、柚姫を探した。
「琴。なんかいい感じだったじゃ〜ん、林くんと」
「そ、そ、そんなわけないでしょ!ただ、用件を伝えただけでそんなわけ…」
「まっ、私も好きな人できたし。あっ、安心して。林くんじゃないから。お互い仲間ってことで頑張ろ!」
私は別に柚姫が林くんを好きになっても何とも思わないけど。
「おい、叶等!俺たちよりもお前を愛する人がいたとはな!」
「幼なじみだよ」
「女子か?」
林くんは呆れ気味にハァ…とため息をつく。
「男子に決まってんだろ」
私はなんだか私と柚姫のやりとりに似てる、なんて思いながら微笑ましく見ていた。
5時間目が始まって、20分が経とうとしていた頃。
ガタッと席を立ち上がる音がした。
「ハァ…ハァ…」
「どうした、林」
振り返ると、スマホを片手に息遣い荒く林くんが立っていた。
「すいません、先生」
それだけ言うと、教室を飛び出した。
「おっ、おい!待てよ!」
林くんの走る姿。足が速かった。それにたしか、ここは陸上部が強いんだっけ。
なんだか尋常じゃない気がして、気がつけば私も席を立っていた。
「ったく、っておい!坂東!2人目か」
林くんの行った方向はどっちだろう。
いったい、何があったの?
するとどこからか、救急車の音がした。
もう、うるさい、うるさい!
それより林くんはどこなの⁉︎
とにかく廊下を走った。
ふとパソコン室に目を向けると、真剣に何かを打ちこんでいる生徒がいた。
林くんだ。
ここでドアを開けていいのかな。
私はしばらくドアを開かないけれどドアを背もたれに、座ることにした。
「交通事故…まさかな」
カタカタとパソコンでキーボードを打つ音と林くんのつぶやきがが聞こえた。
「くっそ…」
ここまで林くんが取り乱すのは珍しい。
友達の前でもこんな姿は見せないはずだ。
ダン、と机を叩く音がする。
「あと1秒でもとどまってくれていれば…」
ガラッ
やば、と思ったときにはもう遅かった。
「坂東…?なんで…」
えっ…私のような陰キャの名前を覚えてくれているなんて…光栄だよ。ってそれより!
「あっ…林くん…えっとね、その…」
「ハァ…優しい女子って珍しいな」
さっきよりはマシなため息をつく林くん。そして、笑顔を見せた。
でもその笑顔は…とても本当の笑顔とは違う気がした。なんというか…仮面をかぶっているような。気持ちにフタをしているような。
「ゆづが心配してんじゃねぇか?」
ゆづ…?距離感が近い気がする。
「あいつ、すげー心配するぜ」
あいつ…?
「うん、そうだね」
私はなんだかムシャクシャする気持ちをおさえて教室に戻った。
「ちょっと琴!」
休み時間になるなり、柚月が話しかけて来た。
「何よ」
「何よじゃないよ!授業中に席立つとかありえない!林くんから聞いたけどさ…」
普通に話してるのは訳があるのかな。
2人の間には、何があるんだろう。
放課後、私は忘れ物に気がついて教室へと向かっていた。
こんな時間なら誰もいないはず…。
時計にチラリと目をやると、6時を過ぎていた。
「ねぇちょっと叶等!」
「静かにしろ、先生来たらどうすんだ」
そんな言葉が耳をかすめて、私はとっさにかくれた。
「ごめんね。それでさ、さっきの話の続きだけど。今年のバレンタインが待ち遠しいよ!」
「さてはゆづ…」
間違いない。この声を聞き間違えるはずがない。柚姫と林くんだ。
「佐藤にあげる気だな?」
佐藤…佐藤?誰だろう。
「その通り!」
「どんだけ恋してるんだよ。俺にはくれないで」
「しょうがないでしょ。ま、この歳になっても恋愛相談してあげてるんだし。それで、明日あげようかなって思ったの」
どういうこと?柚姫は私に何を隠してるの?
「ハァ⁉︎バレンタイン、過ぎたばっかりだろ⁉︎」
「その『ハァ』って口癖、やめなよ。まぁ、小さい頃から注意されても直ってないけど」
小さい頃っていつ?
廊下から、こっそり中を見る。
あちらからは見えない位置で、こちらからは見える、最高の位置だ。
「ねぇ…」
誰もいないだろうに、柚姫がためらいなく林くんの肩に手を置き、そして、コソッと何かを囁いている。
林くんは頬を赤らめ、
「うるさいな、俺も好きだよ」
と告げた。
柚姫、なんで…!柚姫は他に好きな人がいるんじゃないの…⁉︎
そんな私に柚姫はおいうちをかける。
「付き合ってくれない?」
「いいよ」
即答だった。
「バレないようにね、みんなに」
「わかったよ」
私は忘れ物も取らずに、その場を早足で去った。
翌日、柚姫が私の席に笑顔でやってきた。
「ねぇ琴…」
「柚姫」
私は言葉をかぶせた。
珍しく動揺する柚姫。中学から一緒にいるからわかるけど、柚姫の目には焦りがにじんでいる。
「な、何?」
「柚姫さ、私に隠してる事ない?」
「そんなことありえない」
私は少しイラッとして、
「わかってるんだよ、隠し事してることは。だから教えてよ」
「親友だからって秘密を全て教えるって決まりはあるの⁉︎」
「お互い隠し事はしないって約束したじゃん!」
私たちの言い争いはヒートアップしていく。
「誰だって知られたくないことはあるだろうけど!それさえもわからない?」
「ストップ」
凛とした声が響いた。
「林、くん…」
「今日1日、2人は話さない。いい?ゆづ、約束やぶったらあの事は無しにする。…俺も楽しみにしてるんだからな」
あの事。俺も楽しみにしてる。
頭の中で何度もその言葉がグルグル回っている。
「わかった」
柚姫!
ああ、私は柚姫がいないとクラスで孤立しちゃう。
その事に今さら気がついた。
「坂東、ちょっといいか?」
「うん」
林くんが私に何の用だろう。
何かやらかしたっけ。それとも、なにかいいことでもしたっけ…?
誰もいないシン、とした廊下に連れて来られ、
「あのとき、なんで追いかけて来てくれたんだ?」
「えっと、それは…」
林くんが心配だったから。
「俺を心配してくれたんだろ?ありがとな」
わかっているなら、なぜ私に用があるのだろう。
「そんな優しいヤツと1回話してみたくて」
だから私を呼んだのか。
っていうか、何でも心の中見透かしちゃってる⁉︎
「林、くん。叶等くんって呼んじゃダメかな?」
気がつけばそう口走っていた。
「あのね、ごめん…その」
慌てて挽回するも、時すでに遅し。
林くんは目を細める。
いいよと言ってくれるのかと思いきや、顔を歪める仕草をみせた。
「ごめんなさ…」
「謝るのやめてくれ。そう言ったのは俺なんだけど」
なんだか無性に悲しくなった。
「坂東のせいじゃない。俺の名前のせいなんだ」
林くんの名前のせい?
どういうこと?
「ごめん、私世間知らずだから。林くんの名前、悪くないと思う!というか、とっても良いよ!私は林くんが叶等くんでよかったと思う。私は好きだよ…あっ、名前がってことね」
ひとりで言ってひとりで顔を赤くしている。
林くんはというと、悲しそうな笑顔をつくっていた。
沈黙を破ろうとして、
「最近、私寝れなくてさ〜」
なんてアハハと笑う。
「ハァ…俺も」
そう言って目の下を指差した。
そこにはとても濃いクマがあった。
「俺さ、学校行きたくないよ」
「え?」
「なんでもない。今の忘れて」
林くんはそう言うと去っていた。
私は呆然とその後ろ姿を見つめるしかなかった。
『俺さ、学校行きたくないよ』
林くんはたしかにそう言った。
どういうこと、なんだろう。
目の下の濃いクマと学校。いつからそんなことを思うように…?
『すいません、先生』
そう言って立ち上がって、私が林くんを探していたときに聞いた音、パソコン室でつぶやいていたこと__
なんだか大事なことを忘れている気がする。
ふと窓を見やると、白と赤の服を着た人がいた。私はその人から答えをもらった。
救急車!つぶやいていたことは、交通事故!これでひとつ、つながった。ということは、誰かが救急車に運ばれたってこと?それで寝れない夜を過ごして、クマをつくって、悲しくて学校へ行きたくない…?
なんだか全て当てはまっている気がした。
ぞわぞわと鳥肌がたった。
やってしまった。人を死なせてしまった。こんなにも尊い命を死なせて…。
それ以外当てはまらない。
「柚姫!」
ケンカしていることも忘れて、私は柚姫を誰もいない適当な教室へ入った。
「さっきはゴメン。協力してくれる⁉︎」 
「どしたの、そんな慌てて」
「私、人を死なせてしまったの」
柚姫は目を見開いた。
「どういう…」
なんて説明しよう。説明するには、柚姫と林くんの関係を話してもらわなければいけない。そんなのは自分勝手過ぎる。
「いつからそんなに自己中になったのよ」
柚姫はハァとため息をつきながらも、2人の関係を教えてくれた。
「私たち__幼なじみなの」
幼なじみ…。
そう言われると、しっくりくる気がする。
「なんで隠してたの?」
「ごめんね。実は最初から嘘ついてたの。私ね、そこそこ勉強ができてたの。だからここの高校ねらってた。琴もねらってたのを知ってたから、同じ高校を希望する叶等と話して知らないふりをすることにしたの」
「どうしてって聞いてんじゃん」
少しイラッとしてしまった。
「これは叶等にも言ってないんだけど。きっと琴は叶等のこと好きになると思ったから」
何も言い返せなかった。
ということは、私は林くんのことが好き⁉︎
「ちょっ、ちょっと意味が…」
「顔が赤いって」
するどくツッコミを入れられ、慌てて話題を変える。
「林くんにはなんて…?」
「お互い幼なじみってことがバレたらもめそうだから隠そうって言ったんだ。でもさ、琴にはもう、私のこと『ゆづ』って叶等が呼んでるのバレてるよね」
幼なじみだからゆづって呼んでたんだね。納得だけど、なんだか羨ましい。
「うん。じゃあ幼なじみにチョコあげるかって聞いたのも…?」
「そういうこと。ズバリ、叶等のことです!」
ホッとした。あげないでくれてよかった。
でもすでに林くんは柚姫のことが好きなんてこともある…?
「ホッとした?」
心を読まれ、ビクッとする。
「ま、まさか!」
もう一度確認しておく。
「柚姫が好きなのは、林くんじゃないんだよね?」
「しつこいねぇ。私が好きなのは、初日に叶等のことを呼んだ佐藤くんって人♡」
あらら。
目がハートになっちゃってる。
「琴だって叶等を見てるとき目、ハートになってるからね⁉︎」
「えっ、ウソ!」
「本当だよ!」
あ、それより。まだ柚姫は私に嘘をついてるかもしれないんだ。
昨日の夜__
「林くんと教室にいたよね?」
「えっ、見られてた⁉︎」
柚姫が目をまんまるにする。
「それで林くんが『うるさいな、俺も好きだよ』って。あと、柚姫が付き合ってって言ってためらいなくいいよって」
「聞かれてたんだ!それはね、佐藤くんにあげるチョコを叶等と一緒に選びに行こうって約束したの。そこのチョコが売ってるお店ね、叶等が大好きなチョコがたくさんあるんだよ。だけど好きなんでしょって言うと照れちゃって。でも一緒にお店付き合ってって言ったら叶等も自分用のチョコがほしいから即答してくれたんだよ」
そういうことかぁ…。
安心したよ。
「で、今度は琴、だよね」
そうだ。2人の関係を話してもらったんだから今度は私だ。
「柚姫に聞くことがあるかもしれない。あと、林くんはきっと何かをひとりでかかえてる…」
柚姫はコクンとうなずいた。
「林くんと仲がいい男の子っている?他校の子で、背が高い人なんだけど」
「森 朝陽(もり あさひ)のことだね、たぶん。私たちと同級生だよ」
柚姫が教えてくれる。
同級生なんだ。背が高いから学年を間違えちゃったよ。
「その森さん?がいつだっけ、昼休みにこの学校に来たんだよ。林くんに会いに」
「へぇ」
「それで、そのとき私たちは6時間授業で…先に帰ってていいと思うってすすめちゃったの」
柚姫はキョトンと目をしばたたかせる。
「それが?」
「それだけ、だけど…」
「なんで琴が死なせたことになるの?」
柚姫はまるでわかっていない。
「だって私がもう少し待ってって言えば…いや、林くんを呼んでいれば…昼休みだから今言ったことは全て可能なはずだったのに…」
「それで琴が落ち込んでたんだね!私だったら琴と同じ行動すると思うから大丈夫!慰めても琴の性格だから自分を責めちゃうし…そうだっ!叶等呼んでくるっ!」
思いついたらすぐ行動する、それが柚姫だ。
すぐに林くんは私の前に現れた。
「ったく、ゆづは…」
「ゆづって呼び方やめて!」
2人のやりとりに、思わず頬がゆるむ。
でも、やっぱり羨ましい。
「柚姫、は…俺と朝陽、柚姫が幼なじみってことを伝えたってことだよな?」
えっ、森さんも幼なじみだったんだ。
「坂東、初耳、って顔してるけど」
「ええと。森さんが幼なじみってことは初めて聞いた」
「そっか。俺たち3人は幼なじみだったんだ」
幼なじみを私は__
「坂東、暗い顔してどうした?」
「そんなことをいいから、続けて」
柚姫が話をうながすと、渋々といったように林くんはうなずいた。
「あの日、坂東が教えてくれたよな。朝陽が学校に来たって」
「うん」
「あいつ、俺との約束も果たさずにあの後…」
そこで林くんが目を細めて空を見やる。
「逝ったんだ。交通事故に遭ってな、朝陽はしっかりと横断歩道を渡ったんだけど…酔っ払いが車を運転して、道路がすいてたからって、高速道路並みのスピード出してたらしい。それで…」
高速道路って、100キロくらいだよね。
ヒドイ…。
「叶等、無理して話すことないよ」
「いや、聞いてほしい。だってゆづ…きの親友だから」
まぁ、そうだよね。
私は林くんの友達でもなんでもない。ただ、林くんの幼なじみと親友なだけだから。
胸がズキッとした。
「そいつ、朝陽をひいたくせに、ボケッとしてんじゃねぇ!って倒れた朝陽に言ったらしいんだ。それを聞いた俺はそいつが悔しくて憎くて。近くにいた人が救急車と警察を呼んでくれて、朝陽は病院に搬送されたが、救急車に乗った時点ですでに息はしてなかったそうだ」
そんな。幼なじみをそんなかたちでに亡くしてしまうなんて。
「ごめんなさいっ」
気がついたら私は土下座をしていた。
「ちょっ、琴!土下座って…!」
「坂東がなんであやまるんだ?それも…土下座をするくらいに」
「私が逝かせてしまったんです、森さんを」
はっと林くんが目を見開くのが見えた。
かと思うと、ブンブン首を横に振る。
「坂東。運転手は男で大人。なんで坂東が関係ある?」
「叶等、琴は優しくて責任感じてるの。琴、もう一回出来事を話してくれる?絶対琴は関係ないって言うと思うから」
柚姫の優しい言葉に背中を押されて、私はあの日のことを全て話した。
家に帰るのをすすめてしまったことも。
「なんだそれ…」
林くんは呆然とつぶやいた。
目もどこか虚で、顔は魂が抜けたように青白い。
ほらね、柚姫。関係なくないよ。事故の原因は私。あと1秒でもとどまってくれたら…。
林くんはカッと目を見開いた。
みるみるうちに顔は赤くなっていく。
「俺は、そういう琴が嫌いだ」
失恋。
そんな言葉が頭によぎった。
林くんは涙をこらえているのがすぐにわかった。
「なんでそうやって責任感じてるんだよ、バカ!悪いのは運転手だろ!琴も俺も柚姫も、超能力者じゃないんだから!これから事故が起こるなんてわかってたらひきとめたかもしれないけど、そんなのわかるわけないだろ!関係ない自分のことを責める琴は嫌いだ!」
林くんはそう言い残すと、スタスタと歩いて去ってしまった。
え、今…私のために怒ってくれてた?
頭を整理するのに時間がかかる。
「琴、叶等が素直じゃなくてごめんね」
いや、十分素直だった気がするけど?そんな気もしなくはない。
ああ、なんだかややこしくなってきた!
「大丈夫。柚姫は気にしないで」
「? わかった」
2人の間でも、ちんぷんかんぷん。
林くん…私のためだったよね、内容が。
思い出すとカアッと体の温度が急上昇していくのがわかる。
チャイムが鳴り、席に着く。
前の席が林くんだから気まずい…。
「今年の運動大会では…」
生徒会員である男女2人のあクラスメイトが高らかにそう言う。
この学校は、そこそこ頭が良い人が行く、有名な高校である。(陸上部が強豪だからなのかもしれないけど)
だから、体育祭だけでなく、運動大会っていう行事もある。
「男子はサッカー、バスケ、野球をします。女子はバレー、バドミントン、バスケをします」
毎回、男女どちらも同じ競技があるらしいんだけど、今年はバスケみたい。
あと、同じ競技を選んだ男女は関わりが多くなるから、恋が実るんだとか。
「参加しないという選択もありですが、参加人数が募集人数より少ない場合、こちらから指名させていただきます」
これも定番のルール。
「あと、多くても競技は1人2種目までです」
誰が2種目参加するのよ、とブツブツ文句を言っている生徒(特に女子)もいる。
林くんはサッカーとバスケを選択。さすが。
「男子は全ての種目で人数が足りていますが、女子はバレーとバスケが1人ずつ足りていませんね。誰が参加する人はいますか?…いませんね。それでは使命させていただきます」
指名されるのだけは嫌だ!
「バレー、松崎柚姫さん」
柚姫がサッと顔色を青くした。
「バスケ、坂東琴さん」
終わった…。
クラス内では、指名されなくてよかった、と言う声があちらこちらであがっている。
「担当の先生は…」
その後も話は続いたが、ある程度のことを頭にいれて、ハァ、とため息をついた。
まさか、指名されてしまうなんて…。
授業の終了のチャイムが鳴る。
「琴ぉぉぉ」
「柚姫ぃ〜」
私たちはお互い重いため息をつく。
「ま、ある意味親友同士のうちらが選ばれるなんて、運命だけどね」
「ポジティブ…」
私は柚姫のポジティブさに感心した。
そして柚姫はコソッと__
「叶等と結ばれるといいね」
とつぶやいた。
「なっ…!」
顔を真っ赤に染めて言う私を柚姫はクスクスと笑う。
「松崎」
「さっ、佐藤くん!」
柚姫がこれまで見たことないくらい照れている。
「バレー選ばれちゃったんだな。俺、バレー習ってたことがあって」
「教えてくださいっ」
「なんで敬語なんだよ」
柚姫が珍しく目をキラキラにしている。
「佐藤くんはサッカーとバスケに参加するんだよね?」
「そうだよ。よく見てたな」
「当たり前!」
2人は楽しそうに柚姫の席で話している。
「琴」
こ、琴⁉︎いつのまにか名前で呼んでくれてるぅぅぅぅ♡
「あっ、林くん。どうしたの?」
平然を装って答える。
「琴はさ、バスケ選ばれるのヤダったの?今、代わってやれるヤツみつけんだんだよね」
え…代わってくれるの?
そうしたら、私は放課後練習もしなくていいし、運動大会当日に応援すればいいだけ。
なのに。
「ううん。大丈夫。私、やるなら本気で取り組みたいから」
指名されたことに内心喜んでいる自分がいたことに今気がついた。
だって、バスケを選択した林くんと同じ競技だもん!関わりが増えて、もしかしたら恋が…?放課後、運動大会に参加する人は残ることになった。
「みなさん、運動大会に参加していただいてありがとうございます、全力で頑張りましょう。さて!体育館で担当の先生と同じ競技の仲間がいます。移動しましょう」
生徒会も大変なんだな。
のんきにそう思いながら着いていく。
「琴、放課後残るとかマジ最悪すぎん?」
「柚姫、声が大きいよ。確かにそう思うけどさ」
私がそう言うと柚姫は声のトーンをおとす。
「それに、選ばれるなら琴と同じ競技がよかった〜!」
私はそう言う柚姫をニヤニヤしながら見つめる。ホントにそう思ってる?という視線をあびせて。
「へっ、何よ?」
「佐藤くんに教えてもらうんじゃないの?」
「あはは…そうなんだよね」
柚姫、顔が赤い。
「ど、どうせなら男子も一緒に行きたかったよね〜」
柚姫は慌てて話題を変えた。
男女はなぜか別行動。向かう場所は同じなのに。
「叶等は陸上部だからな〜、来るのかな。ねぇ、琴?」
「や、やめてよ!さ、佐藤くんも来ると良いよね!」
「いや、佐藤くん今日、来ないんだよ。佐藤くんも陸上部で、今日は陸上を優先したいんだって。大会が近いみたい」
そんな情報をいつ…?
じゃあ、林くんはどうなんだろう。
「へぇ」
体育館に着くと、騒いでいる声がした。
まるで小学生みたいにじゃれあってる。
「おう、柚姫…って呼んでいいか?」
「いいよ…佐藤くんなんで⁉︎」
「叶等が運動大会を優先したいって言うからな。叶等がいなきゃ陸上もつまんねぇしな」
じゃあ林くんも⁉︎
「バスケ、集まれ」
そんな声が聞こえて私は柚姫と別れる。
「ここでは友情を深めるため、チームを高めるために名前で呼んでもらう。先輩は下の名前で『〇〇先輩』って感じで呼んでくれ。同級生や後輩には呼び捨てで良し」
「林くんのことを、叶等…?」
つぶやくと、私にはハードルが高いような気がした。
そういえば、私は運動、得意な方じゃなかった!特に球技はマズイ!
「先輩!」
説明をしてくれた先輩に声をかける。
「俺、亜雄徒(あおと)な」
「亜雄徒先輩!くんや、ちゃんはつけてもいいですか!」
「できれば呼び捨ての方がいいが…どうしてもっていうならいいぞ」
どうしても、だよね…
だからいいか。
「琴。誰をくんやちゃんって呼びたいんだ?」
よく知っている声が聞こえてビクリと肩をゆらす。
「は、林くん!ええと。初対面の人とかを呼び捨てってのはちょっとな〜って思っただけ」
「そっか。それならよかった。俺、あんまり自分の名前好きじゃないからさ」
前にも同じようなことを言っていた気がする。
こういうとき、反応に困る。
「そこ!」
亜雄徒先輩がちょうど声を張り上げてくれた。
「すみませんっ」
「よし、みんな集まったな。バスケ部部長の亜雄徒だ!よろしく!目標はもちろん打倒赤組!1の2から3の2までのチームだ!当日は男女別々だか…練習はお互い高め合おうじゃないか!」
元気が良さそうな人でよかった…。
バスケ部部長って言ってたよね。1組は副部長なのかな?
「まずは基本中の基本!ドリブルな」
ボールを取り出し、ポンポン床についてみる。
「琴、指先でコントロールするんだ」
「林くん⁉︎すごいね!」
なんだかボールが見えない糸で手とつながっているみたい。ひきつけてる、っていうのかな。
やっぱり、叶等くんって呼ぶの、意識しないとダメみたい。
「前を向いて、ボールを見ずにドリブルをつけるといいな。あと、交互につくとか」
「わかった。ありがとう」
ドキドキするっ…。
そう思った瞬間、スッと影が差した。
え…?
林くん…叶等くんが私の上に覆いかぶさった⁉︎
「腰を低く。指先で」
同じ格好してくれてるんだ。わかりやすいな。ありがたい。
「う、うん」
今、顔が「赤」以外何も例えられない状況になってるかも!
「今日は終わりな〜」
亜雄徒先輩の掛け声が聞こえて、今日はドリブルを完璧にできればOKとゆる〜い感じだと思ったんだけど…。
次の日から1日で技を4つ完璧にできるようにするとか…運動が得意ではない私は苦戦している。
ある日の練習が終わった頃。
「琴さ、自分のことできてないと思ってる?」
「うん。だって叶等くんみたいに上手にできないし…」
「他人と比べるな。自分にダメというブレーキをかけちゃダメだ。まだ時間はあるんだし、可能性だって琴次第で大にもなるし小にもなるんだ」
なるほど…!
そんなこと、考えたことなかった!
「おっ、叶等!お前、陸上よりもバスケの方がむいてるんじゃないか?バスケ部の入部、待ってるぞ!」
亜雄徒先輩がニコニコしながらやってくる。
林くんはというと…え?
ものすごく青ざめた顔をしている。
「俺だってバスケ部…」
「叶等、くん?」
「はっ、えっと、あ…」
どうしたんだろう。
「大丈夫?」
「うん…」
なにかまだ、隠していることがあるのかな。
体育館の横を通る親子が楽しそうに笑い合っている。
「森の方がすごいってことかな?お母さん。あ、あとさ!」
興奮気味に話す女の子とお母さん。
「どう頑張っても森にはなれないよね。あと、国語の授業であれは何?って聞くと森っていうよね。林の出番はないよね」
どうやら、森と林の違いを話しているみたい。小さい頃からそんな疑問がもててすごいな。私さそんなことも思わなかったよ。
「森の方が響きが可愛いし、あたし、林嫌い」
「そんなこと言われても〜」
過ぎ去っていく背中にエールを送る。
たくさん学んでね!
ガッシャーン‼︎
大きな音がして、思わず振り返る。
音は体育館倉庫の中から聞こえている。
「叶等くん⁉︎大丈夫⁉︎」
「めまいがしてるだけだ。それより、道具を壊してないか?」
そんなときは、道具じゃなくて自分の心配をしなくちゃ!ホントに優しいんだな、叶等くん。って先生を呼ばないと!
「先生!叶等さんがめまいがするって言ってます!」
先生を呼ぶと、急いで保健室へ運んでくれた。
後片付けが終わり、保健室へと急ぐ。
「先生、叶等さんは…!」
保健室の先生がゆっくりと振り返る。
「頭を強く打っただけみたいよ。今、ベッドで寝ているわ」
よくないけど、それだけでよかった。
「どうしてめまいなんかが?」
「うーん、そうね。練習内容もそれほど辛くなかったんでしょう?しかも林くんなら、坂東さんよりも体力がらあるはず…よね。だから精神的な問題なのかなって先生は思ってるわ」
精神的な、問題?
叶等くんは、いったい何を抱えてるの?
「話してくれるわよ、きっと。それまで坂東は待っていてあげたらどうかしら。無理に聞きだすと、心を閉ざしてしまうかもしれないから」
私は、心を開いてくれるまで待つ…。
なるほどな…。
「人間の心って意外とフクザツなのよ」
「すごいですね、先生」
「ありがとう。みんなよりも歳上なんだから、経験した数も多いからね」
先生はそういうとクスッと笑った。
手のしわ。白髪が混じった頭。
確かにおばあちゃんである。
「私も頑張ってみます!」
私も笑い返した。

『だから、精神的な問題なのかなって先生は思ってるわ』
さっき先生が言っていたことを俺は頭の中で繰り返す。その話あたりから俺は起きた。
俺は心配しに来てくれた琴に救われたらしい。もともと、体は弱くない。ただ、あの親子の言葉を聞いて、頭が真っ白になって、あの日のことが蘇って…。
何年も前の事なのに、忘れられない。そんな昔のことを今でもひきずってるなんて、カッコ悪い。自覚してるんだけどな。
保健の先生は、俺の心を見透かしてる。
俺のばあちゃんより歳上そうなのに、意外とみんなを見てる。
「琴に話すか…」
無理して話そうというわけではないから、話してやるか。でも、話している間にまためまいがしたら困る、保健室に呼んでもらおう。カーテンを開ける。
「先生」
「ああ…よかった。目覚めたのね」
「琴を呼んでください」
保健室の先生はコクリとうなずくと、さっきまでいたことを教えてくれた。知ってけどな。
「すごく林くんのこと心配してたのよ」
「本当ですか…」
あの琴のことだ。
朝陽が死んだときも『私が帰らせなければ…』みたいなこと言ってたし。勝手に責任感じて苦しんでるし。いつも周りに気を配ってて…。ん?俺は何を考えてたんだ?
「林くん、坂東さんが来たわよ」
「あっ、はい!ありがとうございます!」
「叶等くん!よかったぁ…起きたんだね」
なんだか琴の笑顔を見たら、話す勇気が出てきた。柚姫にも言われたけど、俺は人の笑顔を見るのが好きみたいだ。…特に琴の笑顔。
保健室の先生は気を遣って、職員室へ行ってくれた。俺は椅子に座るようにうながした。

叶等くんが起きたということを保健室の先生に聞いて、すぐに保健室へ戻った。
そして今、椅子に座っている。
「話したいことがあるんだ」
ゴクリと息を呑んだ。
「叶等くん、無理しなくていいよ?」
さっき無理に聞きだすのは良くないと聞いたばかりだから…。
「琴には聞いてほしい。これからもその事を話さないと迷惑かけるかもしれないから」
「わかった」
叶等くんから話してくれるなら、私は断ることもないと思って、首を縦にふった。
「朝陽の苗字、覚えてるか?」
「うん。森さん、だよね」
そう言われてハッとした。
「そう。俺は林、朝陽は森なんだ。で、関係ないけど柚姫も植物関する『松』って字がはいってるんだよな。それで小学1年生の頃だったかな、その時の俺はまだ全然大人しくて。俺が大人しいときがあるのは、昔のときからの性格なんだ」
だから大人しいときとヤンチャなときがあるんだ!
私が聞いたのを確認してから叶等くんは続けた。
「俺は大人しいからヤンチャな男子にからまれるだろ。だけど朝陽は明るくて、足が速くてな。陸上も3つくらい通ってた。正反対の俺らに、ある日言ったヤツがいたんだ」
それが、叶等くんを傷つける過去…。
ひとことも聞き逃さずにじっと耳を傾けた。
「漢字ドリルの林と森の字を習ったんだ。そのとき、田中ってヤツが、『林はどう頑張ったって森にはなれねぇよな。だって、木が一本足りねぇし、努力してもムダっつうか、くだらないっつうか。そんな醜い争いをひとりで繰り広げてるのが林なんだよな。そんなの争いっていわねぇか。だって、ひとりでライバル視してるだけだからな。勝手に森と比べて、落ち込む。わかったか?ムダだからな、ムダ!林は森にとってライバルでもなんでもねぇんだよ!林の出番は無し!俺はだから林が嫌いだぜ。森の方がすごいんだからな。木の方でも、人の方でも』」
「は?なにそれ」
気がついたら、私は拳をふるわせて、心の声が漏れていた。
叶等くんの方を見ると、悲しそうな顔をしていた。
「そんなの信じらんない。だって、人気者の叶等くんだよ?そんなのウソに…」
「ホントのことだよ」
そうだ。なにやってんだ、私!信じたくないからって過去をけなすなんて、言った人と同罪じゃん!
「ご、ごめん」
「大丈夫。ただ、それからなめられないように中学からは『ヤンチャで先生に怒られる』姿も見せた」
ヤンチャなのは、全部、演技だったの?
叶等くんはそんな悲しい過去からヤンチャを演じるようになったんだ…。
「でも、本当は怒られたくもなかったし、友達とあんまり良くない言葉で笑い合うのも好きじゃなかった。それが『俺』になっちゃってたんだけどな。そうしたらだんだん、『俺』の仮面をやぶるのが怖くなったんだ。また朝陽と俺を比べられたらどうしよう、友達がいなくなったら不安だ、って。朝陽も優しいから、俺と叶等が同じ性格で同じ顔で、全部が『同じ』だったらつまんないだろって言ってくれたんだ。だけど勇気がなくて。そんなとき、柚姫がバレンタインにチョコくれたんだ。叶等のはめんどくさいから手作りじゃないよって笑った顔がなんだか心が温まった気がした。俺はそこで人の笑顔を見るのが好きなんだって自覚した」
人の笑顔を見るのが好き…ってどれだけ優しいんだろ、この人。
「ちょっと質問していい?叶等くん、あんまり良くない言葉で笑うのも好きじゃないんだよね。なんで?普通の男子はそういうの面白おかしく…なんていうの…笑ってるじゃん?」
「『普通』はその人によって違う。人それぞれってわけだ。それで、なんで好きじゃないかっていうと…いや、『好きじゃない』とかじゃなくて『嫌い』だ。だって、その言葉の本当の意味をわかっているのにも関わらず、笑ってるんだよ。『死ね』とかは死んだらなにもかも感じなくなって、『無』になるのに、簡単に言うヤツが多い。どんなに生きたくても、生きたくてもそんな願いもむなしく、亡くなる人だっているんだ。簡単に言うヤツは俺は許せない。こんなにも尊い命だぞ。尊い命はひとつしかないんだ。限られた時間で精一杯生きる。それが俺たち命を与えられたものにとってのひとつだけの条件だ。精一杯生きる、それは簡単なようで難しい。例えば、ゲーム。敵にやられたときとか、『ウザい。死ね』とか言うヤツよくいるだろ。あと、疲れたときとか。『マジで死ぬかと思った』、『足や腕がもげるかと思った』。それで結局死ぬことや足や腕がもげることなんて一回もない。ひどいと思わないか?」
私はうなずいた。
私も今までそんなこと気にしたことなかった。これからは言わないように気をつけよう。
「ありがとう、叶等くん。話してくれて嬉しかったよ。私、好きな人のために精一杯生きようと思う」
はっ…!『好きな人のために』って、もう叶等くんが好きですって言ってるようなものじゃん!ヤバッ…!
「す、す、好きな人っていうのはね!家族とか、友達とかのためってことなんだけど!」
かえって怪しくなったかも⁉︎
でも叶等くんはこれまでにないくらい優しい微笑みを浮かべて、
「そうだよな。家族とか友達とか、大切な人のためにも精一杯生きることは大事だよな」
と言った。
叶等くんは、たくさんのことを考えていたんだなぁ。すごい。
思わず感心してしまった。
「あ、そういえば、叶等くんは運動大会のサッカーの練習の方は行かなくていいの?」
「ん、まあ…自主練もしてるし、サッカーは習ってるから」
「え、叶等くんってサッカー習ってたんだ!自主練もえらいね!じゃあバスケも習ってるの?」
私は叶等くんのさっきの返事があいまいだったことに気がつかずにさらにたずねた。
「バスケも、な…一応」
「へぇ!すごいね!将来の夢はサッカー選手?バスケ選手?」     
「いや、どっちでもない。俺が極めなければいけない道はどちらでもないから」
どういう、ことだろう。
私、叶等くんのことになると夢中になりすぎて周りや相手の気持ちがわかんなくなっちゃってる。
「…」
なんだか気まずい。
「り、陸上選手ってこと?」
「そう、だな。俺には約束がある」
約束…前にも同じことを言っていたような。
「その約束…本当に必要なものなの?」
どうしよう。とめられなくなってる。
「ああ。忘れたくても忘れられない」
「それって名前に関係ある?」
誰か、助けて。本当にどうしよう!傷つけてしまっているかも。
だけど、私の口は止められない。私の口は災いの元。
「なんだよ、琴。俺に秘密を話させようとしてるな?まぁ、それを決意して琴を呼んだんだから、話してやるよ」
よし。
心の中でガッツポーズをする。だけど、戸惑いの気持ちもあった。
「俺の名前の漢字、書ける?」
フーッと息をついて告げた言葉は、それだった。
「もちろん!林に叶うに等しい!」
「はは、正解。小学生の頃、朝陽に言われたんだ。将来の夢は何?ってな。俺はバスケかサッカーのどちらかを極めたいと思っていた。朝陽は?と聞き返すともちろん陸上だ!って言ってたな。そこでお互い、夢を叶えようなって約束したんだ。だけど、中学生の頃、推薦でここの学校に入学しようとしていた朝陽は同じ陸上チームのヤツに妬かれて怪我をさせられた。全治5ヶ月。入学には間に合いそうもなく、朝陽は俺に頼んだんだ。俺の代わりに陸上選手になってくれよって。俺はまだ希望はあるぞって言ったんだけど、朝陽は諦めているようだった。だから俺に頼ってくれたんだから、俺が頑張って勉強を始めたんだ。俺は朝陽が何度も夢見た高校にいるんだって思うとなんだか罪悪感というか、なんだか気持ちがコントロールできなくなってたんだ。朝陽は推薦で入学するはずだったから、勉強に力は入れてなかった。学力で入学できるかもって朝陽は頑張ったけど、あと1ヶ月で試験という短すぎる期間では合格することができず、泣く泣く他の高校へ入学したんだ。そこの高校でも朝陽は陸上を頑張ったけど、限界が見えはじめたそうだ。怪我から復帰までの時間は朝陽の陸上に大きな影響を与えた。精神的に追いつめられた朝陽に俺は、『俺の願いを叶えるのに等しいのは叶等だよ。名前の通りだろ。陸上選手になる俺の夢を、叶等が実現してくれよ』って言われたんだ…それが亡くなった幼なじみの最後の願いだ。それは俺が叶えてやらないと…話しすぎたな、話はこれで終わりだ」
叶等くんはぶんぶんと頭をふった。
叶等くんはサッカー選手かバスケ選手になりたい。だけど亡くなった幼なじみの願いも叶えたい。その約束は忘れたくても自分の名前だから忘れられない、ということなんだ…。なんて悲しい過去なんだろう。
叶等くんが自分の氏名が好きじゃないと言った意味…ここで全てがわかった。林という苗字が嫌いなのは森さんと比べられたから。叶等という名前が好きじゃないのは、幼なじみとの約束を思い出して苦しいから。呼ばれるたびにあの日のことがよみがえって苦しいから。そんなことを全てをかかえるなんて私なら死んでしまいたく…
「死ぬのはダメだ」
叶等くんが唐突に告げた。
「今、琴は俺の心情をある程度理解しただろ。俺だって本気で死にたくなったときは何度もあった。だけど、朝陽は生きたかった。どうしてこうなってしまったんだろうって道路に倒れたとき、何度思ったんだろう。俺は死ぬのかって今までにないくらいの恐怖を嫌というほど味わっただろう。その『何度』というのは俺より朝陽の方が多いはずだ。生きたくても生きれない人がいるのに、自ら死ぬ行動をする人は悲しいほどバカだ。俺はそんな人になりたくない。だから今もこうして生きてる。確実にくるとは限らない、『明日』にむけて」
なんかカッコいい。
って今、叶等くんいいこと言ってたでしょ!そんなこと今思っちゃダメだよ、琴!
興奮する私を自分でなだめる。
「どんなに嫌なことがあっても、自ら命を捨てることだけはしちゃダメだ。命がある限り、可能性は無限大だから。1秒先だって命の補償はないから、お互い、今を精一杯生きよう」
ホントにカッコいいんだよ、この人。
私はマシンガンのように何度も首をたてにふった。
「命って私が思ってるより、ずっとずっと大切で尊くて可能性を持つんだね。なんか、魔法みたい」
私もかつて憧れた、魔法使い。
それを今__
私を見た叶等くんは、
「魔法は俺たちはもう十分に使ってる。生きるという魔法を。生きることは本当に素晴らしいんだ」
とうなずいた。
「もう琴はわかってるかもしれないけど。しつこいかもしれないけど。生きるというたったひとつのことが素晴らしいんだ」
語る叶等くんは輝いて見えた。
「うん。そうだよね。本当にそうだよね。生きてる人はみんな魔法使い」
叶等くんがふ、と笑った。
笑顔すらカッコかわいい。
そう思ったとき、窓からのぞく月明かりに気がついた。
「真っ暗だな。あっという間だった」
「うん、ホントだね」
「送る」
え、送る⁉︎
おどろきの眼差しで見つめると、叶等くんはうなずいた。
保健室のドアを開けて__
「その約束、約束じゃなくて呪いじゃん」
知らない男の人が立っていた。
誰⁉︎
とっさに後退る。
「た、なか…」
叶等くんの方を見ると、目を開けて絶句していた。
田中⁉︎森さんと叶等くんを比べて傷つけた、あの人⁉︎
「どうして…」
「林。お前、森に勝てるようになったか?アイツ、色んな面で優れていたからなぁ。いつまで経っても勝ててねぇんじゃねぇか?変わってねぇな」
「やめてください。林だって勝てることはあります」
私がキッと睨みつけると、はん、と田中は鼻で笑った。
「田中は…」
「田中って呼び捨てにすんじゃねぇ!初対面のくせになに呼び捨てにしてんだよ」
ひるむな、私!
自分を応援する。
「私のことも呼び捨てにしていいんで」
「オメェの名前知らないから。それで、林の勝てるところって何?何もないだろ」
私はギリっと奥歯を噛んだ。
きっと、私の体は震えているだろう。
「ほ〜ら、思いつかない」
「林は周りに気を遣える。つまり、それだけ人を見ているということだ。いい面も悪い面も温かく見守ってくれている。そんないい人がいるか?それに比べてお前はどうだ?人をけなすことしかできないんじゃないか?ん?言い返せる?」
私の雰囲気がガラッと変化したからなのか、田中は一瞬ひるんだ。
「ホントはうらやましいんじゃない?いつしかすごいじゃなくてズルいって思ったんじゃないの?認めろ」
「み…認めない。確かに森の方がすごいんだ!」
田中はどなりちらかすと、去っていこうとした。
私は腕をグッと引っ張る。
「認めないと、お前の負けだ。自分で友達減らす行為してんな」
耳元でささやくと、私はすぐに叶等くんの方へ戻った。
「いいの、いいの、アイツなんてほっとこ」
「琴…?」
叶等くんは目をしばたたかせる。
「落ち着こう…?」
「私、自分で言うことじゃないかもしれないけど、演技、得意なの」
私はこういうときにムキになった方が負けだと知っている。
「一応、女子だから。男子よりは友達関係学んでるの」
「だから怒ったふりしてたんだ?」
「ううん。怒ってたのはホント」
状況を読み込めてていない叶等くんにバイバイと手を振ってから下駄箱で靴に履き替える。
「ありがとうございました」
保健室の先生を見つけて、ぺこりと頭をさげる。
「坂東さんのお役に立ててよかったわ。これから帰るの?気をつけてね」
「はい」
学校から立ち去ろうとすると、
「こ、と!」
慌てた声が聞こえた。
「送る」
「もう、いいのに」
そうやって覚えててくれてるのが嬉しいんだけどね。
「俺は約束を破らないから」
そうやってふふふと笑う叶等くんにキュンが止まらない。
「なぁ、運動大会が終わったら言いたいことがある。すげー大事なことなんだ」
すごく、大事なこと?
「それって今じゃダメなの?」
「ああ。まだ」
「わかった」
私が素直にうなずくと、突然しとしとと雨が降ってきた。
やがて大きな雨粒となり、私たちを濡らす。
「あ、俺折りたたみ傘持ってる…ひとつしかないけど」
と言って私に差し出して来た。
「え、私は大丈夫!叶等くんの傘だし…常に持ち歩いてるなんてすごいね!」
「じゃあ、一緒に入る?」
はっ…えっ?えっ⁉︎
相合傘ってこと〜⁉︎
「嫌ならいいんだ」
「嫌じゃないよ。だって叶等くんが濡れるのは逆に嫌だから」
私は相合傘なんて気にしてませんアピールをした。
君がとなりにいるとなんだか落ち着くよ。
早足で歩く私の靴が砂利を踏み締める音は、私の鼓動の回数を表しているようだった。

運動大会当日。
叶等くんに教わって私はかなりバスケが上達した。
「お互い頑張ろうな!」
そうやって微笑む叶等くんが輝いて見えた。
「うん!」
私だけに微笑んでくれた笑顔。私は一生忘れないだろう。
誰の番でもない男子の競技、野球と女子の競技、バドミントンのときは私と柚姫、叶等くんと佐藤くんで食事をした。
運動大会では学校の建物に入ることは禁止されているが、私たちは隠して持参して来たコンビニのおにぎりやプロテイン、選手同士頑張るぞ!という3人の応援メッセージがパッケージに書かれた4人おそろいのお弁当を食べた(学校の食堂で)。
「学校食堂で、4人のワイワイパーティー!うーん、違うな。学校食堂で秘密の4人ワイワイパーティー!だよね」
佐藤くんはそう言ってアハハと笑う。
変わらないじゃん、と柚姫がツッコミを入れる。
「秘密ってキーワードが重要だから変わるよ」
柚姫によると、面白くてイケメンで性格良し!らしい…。
「でも秘密ってのがいいよな」
叶等くんの笑顔も負けてないよ…!
「私、ちょっとお手洗いに行ってくるね」
3人に見送られ、トイレへ向かう。
「おい。ちょっと…お前」
「あっ…田中?」
「怪訝そうに眉を寄せるんじゃねぇ。ちょっと話せるか?」
私に何か用なの?
私は仕方なく、ついていくことにした。
誰もいない静かな所へ行くと、
「話って?」
と聞いた。
「ん。単刀直入に言う。お前、」
「琴です」
「琴は、林のことが好きなんだな」
はっ…⁉︎何、コイツ!乙女心ってのを知らないわ!
「顔が赤いな。お前…琴の気持ちはわかった。俺も気づいたよ。俺はただ林が羨ましいだけだって。俺はバカにしていた林にすら全てが及ばないんだなって。それを認めたくなかっただけみたいだ」
そのあと、真っ直ぐ過ぎるくらいに私を見つめて…
「ありがとう、琴」
田中が素直!
私は驚きすぎて口が勝手にパクパクしている。
「え、あ、いや…」
「本当に感謝してる。林にも伝えるよ、今言ったこと。でもうまく言葉にならないかもしれない。だからさ、琴。一緒についてきてくれるか?そばにいてくれるだけでいい」
「うん。わかった」
それと、と田中が付け足す。
「運動大会、頑張れよ」
「ありがとう!」
林は苦手意識(苦手を通り越して嫌い意識かも?)があったけど、今は友達って感じ!
「あと」
「まだあるの?」
「俺の名前、あさひっていうんだ。朝に日光の日って書くんだ…運動大会終わったら教えて。林に言いに行くから。それだけ」
あ・さ・ひ…
あさひ⁉︎森さんと同じ名前じゃん!あ、それ言ってたか…。
ハッとしたときには廊下を曲がる田中…朝日の姿がほんの一瞬だけ見えた。
「朝日…」
立ち尽くしたままの私を呼んでくれたのは、柚姫だった。
「大丈夫?長かったけど」
「ううん、まだ行ってない」
「どこ行ってたのよ⁉︎」
と柚姫が笑う。
お互い話したくなさそうな事は詮索しない仲でいようねって前にケンカしちゃったときに決めたんだ。
「はよ、いってらっしゃいな!」
おばあちゃん口調の柚姫の声が後から追いかけてきた。
佐藤くんいわく、『学校食堂で秘密の4人ワイワイパーティー』を終え、みんなでバレないように片付けをした。
「みんな完食できたことだし!運動大会頑張りますか!」
佐藤くんのかけ声に、みんながオーッと拳を突き出す。
「俺の案よかっただろ?自分以外の人からお弁当に応援メッセージをもらうっていうの。あ、自分からもらってもよかったかな?」
佐藤くん、面白いというか…天然というか…。
「自分からもらっても嬉しくねぇだろ」
叶等くんが柚姫よりもはやくツッコミを入れる。
「ツッコミ担当は私だよ!」
と柚姫がぷくーっと頬をふくらませる。
はいはい、と叶等くんが佐藤くんと柚姫だけにしてあげた。
「叶等くん、優しいね。2人だけにさせてあげて」
「優しくなんかねぇよ。それより琴…楽しめてるか?」
「え、うん。とっても楽しいよ!」
朝日にぶつけた言葉の通り、よく周りを見て気がつかえるなぁ。
思わず感心してしまった。
「なんかあんまり会話に加わってない感じしたから。楽しめてるならいいんだ」
「みんなの会話見てて楽しいから」
「琴は大人だな」
叶等くんの手が私の頭にポンと乗る。
カァッと体中が熱くなるのを感じた。
「おい、叶等!もうすぐサッカーだぞ」
佐藤くんの声にそれじゃあ、と叶等くんと佐藤くんはこっそり学校から出た。
「私たちも応援しに行こっか!」
佐藤くんと叶等くんを全力で応援したい私たちは昨日、こっそり応援うちわを作って来たんだ。
柚姫は佐藤くんの下の名前、『亜織、ガンバレ♡』と書いてある。
私は柚姫ほどは恥ずかしくて書けないので、『叶等くん、応援してるよ‼︎かっこいいところ見せてね』
と書いた。
「琴、恋にはぐいぐい行くんだね」
「そう?」
「私にはそれ恥ずかしくないの?とか言ってたくせに琴も結構ぐいぐいだよ!」
自分ではわからないけど、そうなのかな?
「さ、行くよ!」
応援うちわを持って運動場へ行く。
すでに盛り上がっていて、特に女子の応援がすごい。
「頑張れっ!」
「いけ〜っ、がんばれ、いける!」
野球が終わった後、サッカーが始まった。
「あ・お!」
佐藤くんに向けて柚姫が叫ぶ。
同じチームの叶等くんと佐藤くんはお互い頑張ろうなって拳をぶつけ合う。
その瞬間を私と柚姫はスマホでバシャバシャ撮った。
試合が始まり、私たちは全力でうちわをふる。「亜織!いけっ!」
「叶等っ!がんばれっ」
私は呼び捨てということも忘れて、夢中で叫んだ。
叶等は私を見て一瞬、ニヤリとした。
見てろよ、の合図だ。すぐにわかった。
叶等は相手からフェイントをしてボールを奪うと、ゴールに一直線にボールを蹴った。
キーパーの反応が遅れ、ゴールにボールが転がった。
シュートを決めたんだ!
「ナイス、叶等!」
佐藤くんから声がかかる。
「このまま勝つぞ!」
これまでにないくらい、声援があがった。
相手のチームは負けるな!と。
味方のチームはこのまま勝って!と。
それから試合は続き、叶等くんが佐藤くんにパスをして、見事シュートを決めたり、佐藤くんが叶等くんにパスをしてシュートしたり、2人はとにかくすごかった。
「勝ったのは…1年2組のみなさんです!」
とアナウンスが流れたのも、ほとんど2人のおかげ。
汗をかきながらも佐藤くんと笑顔でうでをまわす叶等くんが最高にカッコよかった。
その後、バスケの試合も2人はたくさんカッコいいところをみせてくれた。
負けてしまったけど、たったの1点差。
それに、ホイッスルが鳴る最後にシュートを決めたのもすごくカッコよくて…
私、カッコいいしか思ってないな。
私と柚姫の競技も終え、各自の競技が終わったら帰っていいということなので、私たち4人は帰る支度をして、校門の前で別れた。
みんなに背を向けると、グッと腕をひかれた。
「…叶等くん?」
この状態、バックハグというものなのでは…⁉︎
私の頭の上に彼の頭がある。
「伝えたいことがある。ここで待ち合わせ」
耳元でささやかれ、地図を見せられる。
きゅんっていう音が叶等くんに聞こえてしまいそう。
「わかった。準備してから行くね」
冷静をよそおって返事をする。
叶等くんの姿が完全に見えなくなってから、朝日が私に声をかけた。
「ちょうど誘われたみたいだな」
「うん」
「話が済んだら言うから、先に話してこいよ」
気のつかえる男じゃん!
「ありがと」
待ち合わせ場所の近くの公園に朝日は隠れ、偶然通りかかって、前のことなんだけど…と話し出す作戦らしい。
少しメイクして、ロングワンピースを着る。
「あっ、叶等くん!」
待ち合わせ場所に着いて、横断歩道を渡った先に叶等くんの姿が見える。
朝日はすでに公園に隠れ済み。
青信号なのを確認してから、走って叶等くんの元へ向かう__
キキー‼︎
車のブレーキの音と、クラクションの音がした。
ぶつかる!
すぐそこまで乗用車が迫った。
「琴ーっ‼︎‼︎」
叶等くんの必死の表情が見える。
それは一瞬の出来事だった。
朝日もすぐに公園から出てきた。
ハッとしたときには私は、歩道にしりもちをついていた。
え、私はどうして助かったの…?
「見るな!」
朝日が私の目の上に手を置く。
「誰か、救急車を!」
私は朝日の手だけを見つめていた。
叶等くん…、大丈夫⁇無事?
「ねぇ、朝日。叶等くん、無事?」
何も返事がなかった。
「朝日?朝日⁉︎」
「うん。俺だよ」
「叶等くんは?」
沈黙したままだった。
ああ…これはマズイ状態なのだと察した。
救急車の音がした。
警察も到着した。
「話を聞かせてもらうよ」
朝日は手をおろした。
「あの…」
「俺が話します。琴は、林を追いかけて。たぶん、搬送先の病院は市で1番大きい病院、なんだっけ…」
それだけで私はわかった。遠くで救急車の音がする。
一刻もはやく、叶等くんの元へ…!
「乗用車が信号が赤なのにも関わらず、スピードをゆるめませんでした。その車の番号は…」
朝日が説明している。
私はこれまでにないくらい、全力疾走をした。
途中、タクシーが通っていたので病院まで乗せてもらった。
「急いでるんだろう?お金はいいから、はやく行きなさい」
おじいちゃんの運転手にお礼を言って、病院にかけこむ。
「あのっ、林叶等のっ…病室ってどこですか?」
「叶等さんは…」
看護師さんは言葉をにごした。
「お願いです、どうかお願いです!」
私は土下座する。
「…わかりました。ただし、誰にも言わないでください。102号室です」
「ありがとうございますっ」
ドアを開け放つ。
すでに叶等くんの両親は来ていた。2人とも、涙をためて。
「こ…と?こ、となの…か?」
「うん。私。私だよ!琴だよ!」
頭には包帯を巻いていた。
「俺はな、もう…手術ができない、そうだ…あともう少し、で…」
「大丈夫だよ、叶等くんはまだ大丈夫っ…これからっ、たくさんみんなと思い出つくって…」
涙がとまらなかった。
「なぁ、琴。田中、には…友達関係の難しさを教えてくれてありがとうって…伝えて…あと…俺さ、琴のこと…」
叶等は1度言葉をくぎると、弱々しいけれどもはっきりと伝えてくれた。
「好きなんだ」
こんなときに言わないでよ…っ!
「なんで最後みたいな顔してんのっ…!ちょっと待ってよ!私も叶等のことがずっと前から好き!私たち、両想いなんだから、つきあってさ、それで…カフェとか行ってさ、それで…」
叶等は微笑むと、
「死ぬこと以外はかすり傷…生まれ変わっても…琴が俺の彼女になってくれますように…」
と言って、私の手を握ってから、逝ってしまった。
「うっ…ひっく…なんでっ」
まだ逝かないでほしかった。
せっかく両想いになったのに。私の初恋だったのに。どうして人生は不公平なんだろう。
「もしかしてっ…琴さん、かしら?」
叶等のお母さんとみられる人が私に声をかけた。
「はいっ…そうです…」
「叶等のお葬式…」
私の中でなにかがはじけた。
「息子が死んだら、すぐにお葬式のことなんか考えられるんですか⁉︎死んじゃったね、はい、お葬式!なんて考えられるわけないじゃないですか!」
私は病室を飛び出していた。信じられない。1時間前、いや、30分前までは元気にしていたのに。30分後にはこの世を飛び立ったなんて。
どこに向かうのかもわからず、無我夢中で走り出す。途中で雨が降ってきたけど、私は構わず走り続けた。
「…と!琴!」
不意に名前を呼ばれてハッとする。服はびしょ濡れ、ひどい顔をしていたと思う。
「どうした?」
「朝日…あのね…っ」
それだけで朝日は察したようで、
「辛かったよな」
と朝日も顔をしかめた。
きっと、あやまりたかったよね。朝日も辛いよね。
「朝日…っ、伝言があるのっ…叶等から…『友達関係の辛さを教えてくれてありがとう』って…」
朝日もその言葉を聞いて一筋の涙が頬をつたった。
「叶等…俺の方こそ、俺をそう思ってくれてありがとう…」
私と朝日は雨にうたれて泣き続けた。
柚姫にも…連絡しないと…。
気がつくと、家のベッドで寝ていた。
「あ、ようやく目が覚めた?琴のお友達が運んでくれたの。まったく、雨の中、ずっとそこにとどまるなんて…」
お母さんはこれまであった出来事を話してくれた。
「お母さんが琴に電話をかけたら、なぜか男の人の声が聞こえたの。誘拐されたのかと心配だったよ。だけど、全ての事情を説明してくれて、今どこにいるのかと、琴を家まで運ぶと言ってくれた。だからお母さんはその、朝日くん?を信用してお願いしたの」
へぇ、朝日が…って、お母さんに全ての事情を話した?
「お母さんにね、事情を話したことは琴に謝ってくださいって言われたよ」
そっか…じゃないと誤解が解けなかったんだから、仕方ないか。
「お母さん、琴に好きな人がいたなんて…」
「初恋の人だよ?意味わからない」
私は次の日、学校を休んだ。
好きな人がいない学校なんて楽しくない。
柚姫に説明したいけど、涙があふれてしまう。
そのとき。
ピンポーン
今日、偶然仕事が休みだったお母さんがはい、と言った。
「おはようございます、叶等の母です」
「わかりました」
お母さんと叶等のお母さんの会話を盗み聞きする。パジャマ姿なので玄関には出られない。だから仕方ないよね。
「叶等の部屋を整理してたら出てきたんです、琴さん宛ての手紙が」
「そうなんですか…叶等さんが旅立たれたと聞きました。ご冥福をお祈り申し上げます。お母様もあまり御無理をなさらないように」
ドキンとした。
どういう、こと?手紙⁉︎
「ありがとうございます。学校から帰ってきたら琴さんに読んでいただけると幸いです。琴さんには、自分を責めないよう伝えてください…私が今日ここに来たのは、朝日さんという琴さんの男性のお友達が琴さんを運んだのを見たからです。勝手にすみません。それでは」
「いえいえ。またお話ししたいですね」
お母さん同士連絡先を交換して、別れてから私は手紙を渡される。
私はおそるおそる、手紙の封を開けた。
叶等の力強い筆圧が目に飛び込んできた。
【琴へ
最初にあやまらせてほしい。ごめん。
あの日の俺の告白に、琴はなんて答えたのかな。OKだった?NOだった?俺は琴が記憶喪失になる前から、琴のことを知っていた。しかも、好きだった。大好きだった。助けたのも…実は俺。この手紙を読む前に、もう琴は思い出してるかな。今まで柚姫が言ったこともウソだった。ごめん。あのとき助けたのは俺です、なんて恥ずかしくて言えなかった。俺は高校のときに告白する前にこの手紙を書いている。今からでもドキドキが止まらない。こんな俺って小学生レベルなのかな。前、俺自身が生きるという魔法を俺らは使っているって言ったよな。琴は、生きてる人はみんな魔法使いって言ってた。もし、俺が魔法使いだったら。もう生きるという魔法を使っているけど。欲を言うならあとひとつ、あとひとつだけでいいから魔法を使いたい。その魔法は…いつまでも琴が笑ってくれていますように。もちろん琴とは付き合いたいし、気がはやいかもしれないけど結婚したい。だけど、いつまでも君が笑ってることが1番俺にとって嬉しい】
そこまで読んで、私は天を仰いだ。
そうでもしないと涙がこぼれそうだった。視界がにじんで見えづらい。
汚したくも、濡らしたくもない叶等からの大事な手紙は、ところどころ濡れた形跡が見える。私の涙だ。
【もし願いが叶ったら、俺の願いが叶うのに等しいなら。この手紙をウェディングドレスを着て笑う君に読んでもらいたい。そんな叶うのかもわからない未来を想像して、今から楽しみだ。俺の氏名も、俺の存在も。田中からかばってくれて、全てを認めてくれて。この場を借りてもう一度言わせてもらいます。俺は琴の事が好きです。心の底から君を愛しています。この手紙は、高校1年生の頃に書きました。俺の初恋の相手は、他の誰でもなく、琴です。今までもこれからも、ずっと好きです。
2024年7月7日】
胸が苦しかった。
この手紙を書いた叶等は、どんな気持ちだったんだろう。
7月7日は、七夕。運動大会前日だ。
一昨日、叶等は未来の私たちを想像して書いてくれていたんだろうな。
その日は泣きじゃくって、あまり寝れなかった。自分を責めるなって言われても、好きな人が自分のせいで死んだら意味ないよっ…。
この手紙を読み終えて、全てがフラッシュバックされるように記憶がよみがえる。
したね、ダブルデート。そのあと、24時間限定のカレカノになって、ネコカフェに行ったよね。タクシーが事故しちゃったとき、私のために怒ってくれたよね。文化祭も、土手を歩いたときも。私の記憶には、いつもあなたが近くにいた。いつも見守ってくれていた。私、どうしようもないくらい、叶等のことが好きだった。そして、今も。一からやりなおした叶等も辛かったよね。私が記憶喪失になっちゃったから。ああ、会いたい。君に会いたい。自分の未来より私の笑顔を優先してくれた君に会いたいよ…。
次の日も学校を休み、お母さんも呆れて休むことをを許してくれる。
昨日、寝れなかったせいか、起きたときには午後12時だった。
心配した柚姫が学校が終わった後に家に来てくれた。
「おじゃまします!」
柚姫は私の部屋へ入ると、パジャマ姿でボサボサな髪を見て笑った。
「なにそれ。私がかわいくしてあげますよ〜」
私が真剣な顔をしたからか、柚姫は口をつぐんだ。
「叶等がね…」
亡くなった。
その響きは恐ろしくてたまらなかった。
「知ってるよ。辛かったよね」
柚姫は私を抱きしめた。涙がとまらない私の頭をなでながら、ずっと抱いてくれていた。
「気持ちが落ち着いたら…ニュース見ない?」
しばらくして柚姫がそう言った。
「ニュース?」
「うん。…昨日、叶等のことが報道されたの」
柚姫に部屋から出てもらって、着替えて髪をブラッシングした後、リビングに足を踏み入れた。
「琴のお母さんがね、録画してくれてたんだって」
私はリモコンのスイッチをいれる。
『ニュース速報です。〇〇市の横断歩道で、昨日、交通事故がありました』
ニュースキャスターが読み上げる。
私は心臓がバクバクしていた。
『事故現場の近くの方の映像をいただきました』
そうだ。あのときは私は何が起こったのかわからなかった。
私が横断歩道を走ってわたる。
そのとき__車のブレーキの音と、クラクションの音がする。
ぶつかる、と思った瞬間、叶等が私を横断歩道から突き飛ばして、叶等がぶつかった__
柚姫が私の手をとった。
そこで初めて、自分の手が震えていることに気がついた。
朝日がインタビューされているところもうつっていた。
それは本当に、前に聞いた言葉と同じだった。
『警察によりますと、乗用車の故障がみられます__』
故障ってどういうこと?
故障してるのにも関わらず乗るなんて許せない。ひどい。
柚姫が明るい番組を探そうと、番組表を見る。
「今日のニュースを見たい」
「いいよ」
『次に、7月8日に起こった交通事故についてです。交通事故で亡くなられたのは、高校1年生の林叶等さんです。運転手はブレーキがきかなかったと言っています。警察は故障の原因を捜査中です。続いては__』
「琴」…そう呼ぶ声が大好きだった。だって、その呼ぶ声は私だけのものだから。
「叶等は転校したってなってるけど…バレるのは時間の問題だろうね…琴、学校で待ってるからね」
柚姫はお菓子を置いていくと、帰ってしまった。
明日、行こう。学校へ。
「おはよう、坂東さん」
「おはよっ」
みんなの「おはよう」に笑顔で返すことができない。
ひきつった笑みを浮かべて、おはよう、と言うのがやっとだった。
叶等の席だった場所は、今は空席。
叶等がいたという存在ごと学校から無くなってしまったようで、なんだか怖かった。だけど、唯一机と椅子が残っていてホッとした。
「さて、みなさん。転入生を紹介します」
転入生…⁉︎
誰だろう…。
「どうぞ、入って」
先生にうながされ、男子生徒が入ってくる。
「こんにちは。田中 朝日です。よろしくお願いします」
朝日⁉︎
どういうこと〜⁉︎
「朝日さんには、あそこに座ってもらいます」
先生が指を指したのは、叶等が座っていた席。
「わかりました」
スタスタと歩いて座る朝日を、私は呆然と見つめていた。
休み時間。
私は朝日に詰め寄っていた。
「田中くんっ!」
「朝日、どういうこと?」
みんなの声をさえぎって聞く。
「後で話すから」
「え〜何、2人とも知り合い?」
「まぁ、そういう感じ」
朝日が曖昧な言葉を返す。
叶等の机は、なんの傷もなく、なんの汚れもないとても綺麗なものだった。
大抵の普通の男子は、机にコンパスの針を使って絵を描いているバカが多いのに。
『普通はその人によって違う』
前に言われた言葉がよみがえる。
『人それぞれってわけだ』
そうだったね…私、叶等の存在を探したかったんだ。
ずっとボーッとしていて、ハッとしたときには、放課後だった。
なんでハッとしたって?…朝日にビンタされたから。
「聞きたいことってなんだよ?」
「なんで、転入してきたの?」
「まぁ、親の仕事の都合で。ていうかさ、琴、ボーッとしすぎだっつーの。授業中、お前は指名されるところだったんだからな」
どういうこと?
まったく意味がわからない。
「先生がこの問題を坂東…転入生の朝日さんに答えてもらいます_って言ってたんだ」
「えー、そうなんだ。朝日ありがと」
「本当にそう思ってるか?棒読みのくせに」
これでも朝日は元気づけようとしてくれていることがわかった。
「あのな、琴。俺、叶等の代わりに陸上部のエースをつとめさせてもらうことになったんだ。…バスケもサッカーも習ってる。俺はどの道を極めてもいいよな。…生きることでさえ最高なんだから、選ばせてもらえるだけでいいよな…琴。叶等ならきっと、こう言うと思うんだけど、俺が言っていいか?」
私はうなずいた。
「『自分を責めるな』」
私は息を呑んだ。
本当に叶等が言いそうな言葉だったから。
「あ、そういえば朝日、叶等って呼び方にしたんだ」
「今さらかよ?許してもらえないかもしれないけど、叶等、俺、お前の代わりに頑張るから。寿命が尽きるまで生きてやるから待っててくれよ!」
朝日が大声で空に向けて叫んだ。
私も続く。
「叶等〜っ、今まで本当にっ…ありがとー!大好きだよ!私、この気持ちをいつまでも忘れないから!安心して眠りについてね。今朝日に言われた通り、自分を責めないことにしてもいいかな?きっと叶等なら許してくれるよね。叶等のことはいつまでも好きだけど、私にまた好きな人ができたら、応援してほしいな。でも忘れないでね。いつまでも、ずっとずっと叶等のこと忘れないから!」
私たちの間を通り抜けた風は、叶等が返事をしてくれたように感じた。