白い鳥が空を飛んでいる。もう少し日程がずれていたら、台風が直撃するところだったが、幸か不幸か茜達が乗る船は出港してしまった。

 船になど乗った事が無かった茜であるが、酔い止めを先に飲んでおいたのが功を奏しているのか、幸い吐き気などは無い。

 まとめた荷物の隣に座り、茜は船室を見渡した。

 大部屋に今回のロケ班のメンバーが全員いる。この中で芸能人は、茜と桐生のみである。他はスタッフと、マネージャーの酒本、桐生のマネージャーの高畑という男性だ。総勢九人での旅である。

 三泊四日の予定らしい。

 一日目はホテルで準備をし――一応、廃ホテルだが泊まれるようで、そこに滞在する。そして二日目から本格的に撮影が始まり、まずはホテル内部、三日目には廃村を撮影し、四日目に船で戻る予定である。朽ちたホテルだとは言うが、屋根はあるそうで、食事はスタッフが作ってくれるらしい。

 正直言って、行きたくないと茜は考える。なにせ、この船自体にも現段階で変なものがウヨウヨしているからだ。元村民だという漁師が船を出してくれているのだが、船の中には島に引き寄せられるように浮遊霊が集まっている。

 ――砕果島に到着すると、逃げるように漁師は帰ってしまった。

(私も帰りたい……!)

「ここ、か」

 砂浜に立っていた茜の隣で、桐生が呟いた。

(何を格好付けていやがるのよ!)

 船でも平然としていたくせにと、茜は桐生を睨みそうになった。視えないくせに視えるフリなどするべきではないと考える。茜の中で、桐生は視えない人認定が既に下されている。

「行こうか」

 桐生が茜を見て微笑した。

(仕切るな。この役立たずが! 全般的にあなたの尻拭いで私はここにいるんだけど!?)

 そう怒りたくなったが、無論茜は天使のような笑みを心がけた。

 坂道をのぼっていく。両側は林で、遠目に朽ちた民家が見えた。廃ホテルは最初から見えていた。赤茶けた色彩の煉瓦に似た外装の、五階建てのホテルである。

「一応ベッドが使える部屋が一つだけあるから、AKANEと桐生くんは、そこに泊まってね。ついたてを置いておいたから、立ててしきりにして。大丈夫だと思うけど、くれぐれも間違いは起こさないように」

 酒本が茜の隣を歩きながら言った。茜は小さく息を呑んだ。

「酒本さんはどうするんですか?」
「私は怖いから、大勢でまとまってる方が良いかなって」
「な、なるほど……」

(……私だって怖いのに。それも役立たずの桐生と二人なんて怖すぎる……)

 しかし桐生は微笑しているだけだ。

「ありがとうございます、いつでも代わりますからね」

 桐生がそう言うと、酒本が頬に朱を差した。

 こうしてホテルに到着した。茜は桐生と共に、階段をのぼる事となった。エレベーターは動かないらしい。二階の一室が茜と桐生にあてがわれた部屋で、事前に一度訪れたスタッフが、その時伴っていた人にベッドメイクを頼んだようで、かろうじて眠れる状態になっていた。

 入って右側の寝台の上には子鬼、左側の寝台の上には生首が在った。茜は子鬼の方がマシだと判断し、それとなく右側へと向かい、荷物を置いた。

 それから桐生の様子を窺った。すると桐生は――生首の真上に荷物を置いた。
 やはり視えている様子はない。

 そうは思ったが、タイミングよく、すーっと生首が消えたので、茜は内心で少し安堵もしていた。いくら宿敵とはいえ、霊障で具合がなる姿を見るのは心苦しい。

「AKANE」
「はい?」

 いきなり声をかけられて、茜の思考が途切れた。正面では桐生が、窓の前まで歩み寄り、振り返って茜を見ていた。

「AKANEって本名?」
「一応」

 茜が名前ではあるが、決してローマ字では無いから『一応』だ。茜が曖昧に頷くと、桐生もまた何度か頷いた。

「どんな漢字を書くんだ?」
「くさかんむりに西の、茜です」
「茜、かぁ。俺も本名なんだ」

 だからなんだというのか――そう思ったが、茜は愛想笑いをしておいた。

「茜は、得意のお経は読まないのか?」
「……ロケでは読むと思います」

 茜はひきつった顔をしてしまいそうになった。なにせ、子鬼に対しては、虹陰寺経文は効果が無さそうだからだ。そういう意味では生首には効果があったかもしれないが。ただ、子鬼に関しては、茜が身につけている数珠で対処可能だ。虹陰寺家に伝わってきた品である。

「もっと気軽に話してくれていいんだけどな」
「桐生さんは良い方ですね」

 茜は心にもない事を述べた。すると桐生がクスクスと笑った。

「呼び捨てで良いよ。遥斗で良いし」
「……」

 絶対に嫌だと茜は思った。そもそも桐生は、何故親睦を深めようとしてくるのだろうか悩んでしまう。

「なぁ茜」
「はい」
「このホテル、どう思う?」

(どう、って?)

 茜としては、早く帰りたいとしか言えない。呪鏡屋敷や例の廃病院と比較するならば現在までに脅威とは感じないが、空気が澱んでいるのは間違いない。

 ただ、見たかぎり本当に危険のは、このホテルではなく、廃村のようだと茜は判断していた。何か陰惨な事件が起きた気配がするからだ。そう思いつつ茜が沈黙していると、桐生が歩み寄ってきた。

「基本的に俺は見てるから、頑張ってな、茜」
「……努力は」

 そう答えるのが精一杯だった。役立たずだと茜は再確認してしまった。

(なにそれ、見てるって)

 せめて桐生が、台本の通りに口を動かす事を祈った。

 その後二人は、階下に降りた。そして赤外線カメラや温度計などが設置されているブースへと向かった。モニターも並んでいる。ここを拠点に、ホテルの内部を探索する事となる。この日はそのまま、皆でお弁当を食べた。茜達の滞在中だけ、電気が復活しているそうで、かろうじてシャワーとトイレは存在するといったレベルの朽ち具合である。

「ねぇねぇ、いるの?」

 酒本が茜と桐生を見て、声を潜めて聞いてきた。周囲のスタッフも聞き耳をたてているのが分かる。尤も、茜からすれば、霊が存在しない場所を見つける方が、実家を除いては比較的難しいのだが……。

「部屋には生首がいましたよ」

 すると桐生が言った。驚いて茜は顔を向けた。

(え? 視えていたの? 嘘?)

 茜がポカンとしていると、桐生と目が合った。桐生が悪戯っぽく笑っている。

「女の生首でした」

 その場が静まり返ったが、茜はシラけた。確かに生首はあったが、部屋の生首は女のものではなく、壮年男性のものだった。当てずっぽうだと判断する。一気に肩から力が抜ける。全く、先が思いやられると、茜は心の中で嘆いた。

(それとも微かには視えたという事なのかな?)

 こうして、一日目が始まった。