その後帰宅して話を聞くと、経緯はこうだった。何でも、数日前に、どこぞの大学生が、呪鏡屋敷の結界の一部を破壊していたらしい。その者達は霊障により病気となり病院にいるそうだ。そこへうっかり、桐生遥斗達がバラエティ番組内の心霊特番でロケに入り――完全に結界を破壊してしまったのだという。

「先方も非常に外聞が悪いゆえ、専門の者を寄越す手配をしたようだ。して、虹陰寺には動かないで欲しいとの依頼じゃった」

 茜に、桐生の事務所から連絡を受けていたという祖父が、そう語った。複雑な心境である。

「私の事は構わないで、虹陰寺で対応して」
「そうはいかぬ。折角の仕事の話なのじゃろうて」
「け、けど……」
「なぁに。虹陰寺が動かずとも、慎夜に頼めば良い。慎夜ならば適任じゃ」

 祖父の言葉に、茜は慎夜という名の親戚の顔を思い浮かべた。実際、除霊でご飯を食べている住職なのだから、適任かもしれない。

「……」

 しかし言葉が出てこない。

 W主演とはいえ、映画の話は嬉しいが、いくらスポンサーサイドの意向だと言われても、この状況では、それが嘘であるのは明白だ。茜に映画という餌をぶら下げて、桐生の事務所は、この件をもみ消すつもりなのだろう。

 悶々としたまま、茜は数日間過ごした。


 本日は、朝から奏が、慎夜のもとに出かけている。祖父の話によると、呪鏡屋敷への結界の再構築で用いる法具の準備を手伝いに出かけたらしい。

 茜は本日も心霊現象関連の特番の撮影をしていた。そして帰宅してからは不甲斐ない思いで、茜は奏の帰りを待っていた。

 奏が帰ってきたのは、夜もふけてからの事である。

「どうかしたの? 今日は、撮影は? ついに仕事が無くなったの?」

 靴を脱ぎながら、奏が失礼な事を言う。茜はムッとした。

「――残念ながら、今日も私は、夏の特番の収録があったの。そっちの路線で行きたいわけじゃないけど、夏は稼ぎ時だからね。仕方がないの。これも、下積みの辛抱だと信じてる」
「頑張ってね」
「あ、いや、そうじゃない。違うの、その多忙な私が、わざわざ待っていてやったの。ありがたく思って」

 適当に流されそうになったので、茜は慌てた。きちんと用件を伝えなければ。
 並んでリビングへと向かってから、茜は奏を見た。すると目が合った。

「ところで、僕を待っていたって、何か用?」
「――慎夜さんの所へ行ってきたんでしょう?」
「うん、まぁ」

 それを聞いて、茜は溜息をつきそうになった。慎夜は、茜にとって一応は兄のような存在である。昔から茜は、慎夜に構ってもらった。お世話にもなっている。それが今回は、恩を仇で返すようになったかたちだ。

「私にも責任があるから、申し訳ないと思って」
「茜に責任?」
「ええ。私のある意味ライバルのような、ロケにさえ行かなければ、例の『呪鏡屋敷』には、虹陰寺で堂々と結界の修正に向かえたわけだから」

 茜はなるべく平静を装いそう告げた。オカルトを売りにしているという部分は、ライバルで間違いないだろう。奏は野菜ジュースを冷蔵庫から取り出している。茜はそれを見守ってから、牛乳を取り出した。

「茜」
「気にするなと言ってくれるの?」

 弟の優しい慰めを、茜は期待していた。

「ううん、そうじゃなくて」
「いや、言ってよ。私もそれなりに責任を感じて……」
「ええとね、その方向じゃなくて、別の事を気にしなくていいよ」
「どういう意味? 慎夜さんがそう言っていたという事?」
「違う。茜は売れてないから、ライバルなんていないし、気にしなくていいと思うよ」

 茜は咽せた。牛乳を吹くかと思った。

「わ、私はこれでも、秋には連ドラの出演も決まっているんだからね! この前撮影が終わったところだから!」
「何回出るの?」
「五回」
「何役?」
「――ヒロインの学校の同級生」
「役の名前は?」
「……通行人C」

 明らかに奏が吹き出すのをこらえていた。通行人役だって重要だと思うのだが。イラっとしつつ、茜はソファに移動した。奏の正面に座る。

「じゃあライバルっていうのは、通行人BかD?」

 その言葉に、茜は思わず奏を睨んだ。

「違うの。売れていないオカルトタレントなの!」
「茜以外にも、オカルトを売りにしている人なんているの? この時代に?」
「――うん。桐生遥斗」

 すると奏が目を見開いた。呆気にとられた顔をしている。

「その人知ってる。僕がいつも読んでる雑誌の読モで、そこのグランプリを取ってさ、すごいよね! 僕の憧れのコーディネートをいつもしてるんだ。すごいモデルで、めっちゃイケメンだと思ってたら、やっぱねぇ、デビューしたよね! 小学生の時から読んでいたから、僕は嬉しかったよ」

 それはその通りなのだが、茜は思わず目を据わらせた。
 複雑な心境ではある。

「だけど安心した。あの人、春にもドラマの準主役ポジだったし、確かこの夏には、出演映画が公開だってネットの広告で見たし、秋には初の主役のドラマがやるんじゃないっけ? 二時間ドラマらしいけど。全然、微塵も、欠片も、まったくもって、茜のライバルポイント、無いよ。ゼロ! 良かったね、安心しなよ」

 思わず茜は、弟の言葉を聞き、牛乳の入ったコップを叩きつけるようにテーブルに置いた。

「違う。聞いて。あいつは、私から見ると足元にも及ばない霊能力を売りにしているの」
「へぇ。知らなかった」
「――それで、夏のバラエティの収録で、例の呪鏡屋敷に行ったらしいの。そこで、迂闊にも結界を破壊したそうなのよ。元々、先んじて近隣の大学生が呪符を剥がしていたらしいとはいえ、決定打を与えたのは、奴なの。桐生なの!」
「ふぅん。だけど、それがどうして、茜に関係があるの?」

 純粋に疑問そうな奏を見てから、茜は思わず俯いた。

「……冬に、新しい映画の撮影が入ってるんだけどね」
「おめでとう。通行人Aとか?」
「ち、違う! 初めての――その、主演なの」
「え!? すごい!」
「けど……W主演もので、そ、その……もう一人の主演が、桐生なんだよね……」

 ここまでの流れを思い出して心底嫌気がさしつつ、茜は答えた。

「あんなに人気の、若手ナンバー1的な存在と一緒に出られるなんて、すごいじゃん!」

 それは事実であるが、本当に癇に障る。

「それが――……今回は、先方が、どうしても私にと言ってきたの」
「……それ、実力が認められた、とか?」

 奏が首を捻っている。茜はそれを見て目を眇めた。
 そうであったならば、どんなに良かった事か。首を振るしかない。

「一応、制作会社やスポンサーの希望だとは言われけど、建前みたい。なにせ、その話を持ってきた時に、向こうの事務所の社長もわざわざやってきて、私に、『呪鏡屋敷にはノータッチでお願いしますね』と言っていたんだから……」

 茜が述べると、奏が何度か頷いた。

「つまり、変な揉め事を起こして、茜の仕事が潰れないようにっていう配慮かぁ」
「ええ……」
「まぁきっと、慎夜さんがどうにかしてくれるよ。だって、茜と違って、オカルトが売りっていうか、それが本職の人だしね」

 その言葉に、茜は頷くしかなかった。慎夜には本当に申し訳ないが、頼る以外の選択肢が無いと考える。こうして夜がふけていった。