「今日からは、もう私が持ってきた私服で良いの?」
「うん、平気だ」
「――お風呂に入りたい」

 食後茜が述べると、桐生が頷いた。

「別の部屋にも案内するから、移動してから入ってくれ」

 どうやらここは儀式専用の部屋だったらしい。確かに不可思議な部屋だ。まだ荷物は紐といていなかったから、気うなの方の用意はすぐに整ったので、鞄を手に、そのまま桐生の後に従って部屋から出た。

 次に案内されたのは、今度こそ客間らしい洋室だった。そちらのソファの上に鞄をおいてから、茜は着替えを手に、浴室へと案内してもらった。桐生家は広い。歩きながら、不思議と体が軽く感じるから不思議に思っていた。

 浴槽に浸かりながら、茜は右手を見る。軽くお湯を掬って、じっと掌を見た。

 ――なんでも、桐生の式神になったらしいが、朝の衝撃的な耳と尻尾以外の変化は感じないし、既にあれらも消えてしまったから、夢だったと言われても納得できると感じた。

 シャワーで神を濡らす時も、何度も頭部を確認したけれど、異変は無かった。
 さて、入浴を終えてから、茜はやっと持参した私服に袖を通した。

 私服に関して茜は、桐生に負けないようにと、常に気を配ってきた。けれど思えば、今回の旅に際しては、そこに頭がまわらなかった。

(……い、いや。何もしなくても私は、可愛いよね? 綺麗だよね? そうだよね?)

 入浴後、髪を乾かしながら、茜はじっと自分の顔を見た。

(うん、可愛い可愛い!)

「茜、あがった?」
「ええ」

 丁度茜が支度を終えた時、桐生が顔を出した。
 そこに現れたいつも通り笑顔を見た瞬間、茜は敗北を悟った。
 桐生が格好良く見えたからだ。並んでいたら釣り合うか微妙だと思ってしまうくらい、桐生は格好良く見えた。

「茜?」
「な、なに?」
「いや、ぼーっとしてるように見えたから。どうかしたか?」
「なんでもない!」

 慌てて茜は首を振った。すると桐生は笑顔のままで頷き、それから茜を手招きした。
 素直についていくと、向かった先はリビングだった。
 巨大な暖炉が見える。

 昨日まで和室にいたから、本当に違う邸宅にきたような印象を受けた。

 暖炉も、別にそれで室温をあげているわけではなく、オブジェ的な造りだ。外を振り返ってみても、この雪では煙突は上手く機能しないだろうなと考えてしまう。専ら天井のエアコンが、暖房の役割を果たしている。

 そんな事を思った後、茜は巨大なもみの木を見た。
 電飾や飾りに彩られたクリスマスツリー。そういえば、今日はクリスマスイブだ。

 撮影が長引いていてそちらに集中していたから、イベントごとが頭から抜け落ちていた。

 元々一月まで桐生の家にお世話になる予定だったので、クリスマス当日の明日も含めてここにいる予定ではあったが、そういえば茜は何も買って来なかった……。プレゼントの用意など無い。

「座って。とりあえず、何か飲むか? 風呂上がりだし」
「ええ」
「何が飲みたい?」
「牛乳」
「牛乳? 茜って牛乳が好きなのか?」
「あ、いや、なんでもいいけど。冷たいものがいい」

 ついいつもの癖で答えてしまってから、顔を背けた。

 それから言われた通りに、ソファに座って待っていると、桐生が牛乳を持って戻ってきた。使用人や家令さんが運んでくるという事は無かった。

 桐生は対面する席ではなく、茜の横に座る。距離が近い。

「茜、キスして良い?」
「だ、ダメ」
「……俺の告白に対する返事は聞いても良い?」
「っ」

 不意に言われて、茜は牛乳の入るコップを持ったままで固まった。
 自然と頬が熱くなってくる。だが、別にのぼせたわけではない。

「俺は茜が好きだよ」
「み、見る目があるのね!」
「だろ?」

 冗談を必死に返したというのに、向こうはのってきた。

「その……だって、今回の映画のロケまで、ろくに接点もなくて……MCも急に決まって……なんで私を?」
「俺がまだ俳優――以前に、読モになる前にも、会った事あるよ」
「え?」
「覚えてないとは思ってたけどな」
「……? いつ?」
「撮影を見に行った事があったんだ」
「私の? どうして?」
「高校の帰り道で撮影してたから、たまたま」
「別に私のファンだったというわけじゃないのね! そこは嘘でもファンだったと言っておいてよ!」
「そこでファンになったよ。真剣な顔をしてたのに、撮影が終わったらファンに気さくにサインしてたのを見て――まぁ上辺の天使の微笑は神々しかったなぁ」
「上辺……」
「でも俺は、今の、普段の茜の方が好きだけどな」

 両頬を持ち上げて、目を細めて桐生が笑った。その言葉に、茜は照れずにはいられない。

 天使の自分より、己で考えるのもなんだが、こんな風に、どちらかといえばツンツンしている自分を好きと言ってくれて、桐生は優しい奴だと茜は思った。ありのままの自分が受け入れられたみたいで嬉しい。勿論、どちらも自分なのだが、ただ家族をはじめとした身内以外に、こういう姿を見せた経験がほとんど無いから戸惑いもある。

「茜は、俺の何処が好き?」
「――は? や、え? わ、私がいつ好きだなんて言ったというの!?」
「その真っ赤な顔で否定するんだ?」

 桐生が楽しげに喉で笑った。余裕たっぷりの奴が憎い。確かに茜は、悔しい事だけれど、確実に桐生の事が……好きになってしまったのだと思っている。

 どこが好きになったかというなら、それは、そのままの己の事を嫌わないでいてくれる部分だ。それだけではない、助けてくれた時も思ったが、桐生は優しい。桐生に優しくされると、胸が疼くようになった自分が確かにいる。だから、困ってしまう。

 過去、茜は恋なんてした事が無かった。そのため、どうすれば良いのかさっぱり分からない。だがプライドもあるから、それを知られたくもない。

「キスが良かった?」
「ち、違う! 私は純粋に桐生が優し……なんでもない! なんでもないからな!」
「茜、可愛いな……ふぅん。俺、優しい?」
「優しくない!」
「優しくない俺も好き?」
「だ、だから私は……も、もういいでしょう!? なんでそういう事ばっかり言うの」

 言葉に詰まった茜は、視線を彷徨わせる。兎に角話を変えたい。

「茜。ちゃんと言って。俺の事、どう思ってる?」

 しかし桐生は茜を逃してはくれない。茜の肩に手をまわして、自分の方へと抱き寄せた。体勢を崩して、茜は慌てた。

「そうやって言わせようとするのやめてよ!」

 茜がポカポカと桐生の胸を叩くと、桐生が苦笑した。

「なぁ、茜」

 茜の体から手を一度離し、桐生が茜の両肩に手を置いた。そして正面から覗き込まれた茜は、目を丸くして桐生を見ていた。

「話を戻したい」
「……」
「俺はさ? 茜の口から、明確にはっきりと聞きたい。俺の事、どう思ってる?」

 それを聞いて、茜は視線を揺らした。頬が熱くなってくる。

 そんな話をしている場合じゃないだとか、普段の茜だったら言うかもしれない。けれどドキドキドキドキと心拍数が大変な現在、茜はどうして良いのか分からない。

(『どう』って何だろう?)

 茜は確かに桐生の事を好きらしいと自覚はしたけれど、それを伝える言葉が浮かんでこない。

「ちゃんとこっち見て」

 桐生が片手で茜の顎を軽く掴んだ。そして軽く持ち上げられると、より間近に桐生の顔が迫る。

「もう一回、俺もきちんと言う。俺は茜が好きだ」
「っ」
「茜は?」

 背中にソファが触れているから、これ以上後ろにはさがれないし、桐生の顔は本当に近い位置にある。逃れる事も出来そうにないが――そもそも茜は逃れるべきではない気がした。だって、桐生は真剣に気持ちを伝えてくれている。

(真剣……だよね?)

 ここにきてまさか揶揄されているとは思わない。桐生は人の気持ちを弄ぶような性格ではないと、茜はもうよく知っている。だというのに、真摯に向き合わないのは、失礼だと茜は思う。

 茜が言葉に詰まっているのは、こんな状況が人生で初めてだからというのと、緊張と、茜もまた桐生が好きだから、あがってしまっているというだけだ。逃げたいわけではない。茜だってこたえたい。

「その……」
「うん」
「……桐生、あの……だから……」
「うん」
「……」
「聞かせて? ゆっくりで良いから」

 桐生はそう言うと、じっと茜の瞳を見た。本当に、憎らしいほど整った顔立ちをしている。茜はその瞳と唇を、引き寄せられるように見据えた。

(自分の気持ちを言葉にするって、こんなにも難しいのね)

 嘘偽りの言葉なら、するすると猫かぶりの己からは出てくるけれど、本音なんてそれこそ家族……特に奏くらいしか言わないから、本当に緊張してしまうと感じた。

 その後、暫く茜は言葉を探した。

 沈黙が横たわったけれど、桐生は待っていてくれた。急かすでもなく、じっと茜を見ていた。茜は一度ギュッと目を閉じてから、唾液を嚥下する。心臓にしずまって欲しいと念じたけれど、それは無理そうだった。

(頑張れ、私。勇気を出せ、私)

「そ、その……私は……」
「うん」
「……好き。好きだよ」

 ポツリと。自分でも驚くほど小さな声になってしまったけれど、茜はなんとか言葉を紡いだ。必死すぎて、桐生の反応も怖くて、茜は改めて瞼を閉じる。

 すると桐生のもう一方の手が、茜の頬に触れた。

「茜、ありがとう」
「――っ、全くよ! この私に、好かれてるんだから、有難く思って!!」

 茜の不器用な口が、照れ隠しの言葉を放った。だけど怖くて目を開けられない。
 すると桐生が優しく笑った気配がした。

 だから恐る恐る瞼を開けてみる。結果、真正面に、人を魅了する笑顔があった。惹きつけられすぎて、茜は一気に目を見開いた。

「うん。ありがとう」

 カァっと頬が真っ赤になったのが、茜は自覚できた。最初からかなり赤面していたが、今はもうそれこそゆでだこ状態だ。

「俺の恋人になってくれる? 茜、俺はしっかりと、お前との間に約束が欲しい」
「……ちゃ、ちゃんと私は……桐生のことが好きだよ」

 必死で茜が答えると、桐生が優しい顔で頷いた。それから、茜の唇を掠め取るように奪った。あんまりにも自然だったものだから、茜はされるがままにキスを受け入れてしまった。

「大切にする」
「……もうされてる」

 ポツリと茜が述べると、桐生が虚を突かれたような顔をしてから、破顔した。

「もっとだよ。茜の事、俺はもうこれ以上ないってくらいに大切にするって誓う」

 桐生はそう言うと、再び茜を抱きしめて、茜の肩に顎をのせた。

「重い!」
「愛の重みだな」
「絶対違う!」

 思わず茜は照れくささもあって、唇を尖らせる。
 いまだに心臓は煩いけれど、それでも――気持ちが通じた気がして、それが嬉しい。

「俺の愛、重いから気をつけてくれ」
「なっ」
「相手を喰らいたいほど愛する血筋だからな?」
「……」

 冗談めかして笑った桐生の顔が、あんまりにも綺麗に見えたから、茜は嘆息した。

「私だって負けない。愛情の量でこそ、勝ってやるんだから!」

 霊能力と人気は兎も角……気持ちだけは、絶対に負けてはやらない。
 この日茜は、そう誓ったのだった。

 このように冬休みは流れていった。