用意されていたのは、ほぼ白に近い桜色の薄手の和服だった。かなり薄手だが、室内が暖かいので、寒さはない。しかし不思議な部屋だった。和室であっても、電気や空調が虹陰寺では仏間以外には完備されているが、ここにはそれらが無い。客間だというのが、そもそもの勘違いだった可能性がある。なのに室温が暖かいのは、よく見れば、部屋の四方に結界があって、そこからなんらかの術が発せられているからのようだった。明かりは窓から差し込むばかりだが、四方の燭台で夜は灯りを取るのだろうか?

 着替えた茜は、それから天井を見上げた。黒い。窓も無い。唯一の出入口が襖で、その向こうは一段低くなっていて、囲炉裏がある部屋に繋がっていた事を思い出す。茜が案内されたこの邸宅の北側は、和風だったから、外観とその他は増改築されたのではないかと考えた。茜がいる付近は、本当に昔からありそうな印象を受ける。

 ロケの疲労もあり、茜は布団に寝転がった。
 現在、午後四時半。
 夕食は、案内してもらっている最中に、夜七時だと聞いた。

 桐生は何やら準備があると言っていたから、それまで茜は一人という事か。無駄に眠いし、夜更かしもしないとならないようだから、少し休もうか。そんな風に考えていたら、すぐに茜は微睡んだ。


 次に目を覚ますした時、最初自分が何処にいるのか分からなくて、茜はぼんやりとしたままで右手を持ち上げた。すると、何かが揺れる気配がした。

(なんだろう?)

 首を傾げてみると、頭部と臀部で、やはり何かが揺れる。

(え? 本当になに?)

 茜は上半身を斜めに起こし、まず臀部に手を持っていった。

「……?」

 そして硬直した。そこにはふわふわとした、ふさふさとした、何かが生えていたからである。尾てい骨の少し上のあたりから、非常にふわふわの――大きなしっぽが出ている。

「え!?」

 慌てて覚醒し、次に茜は頭部に触れた。すると明らかに巨大なモフモフとした何かが、二つ生えていた。何度も瞬きをした後、茜は片隅に置いてあった自分のカバンへと這って向かった。そして中から鏡を取り出した。見てみる。

「な!?」

 すると狐耳とでも表現するしかない耳が二本、茜の頭部に生えていた。チラリと見れば、臀部のふさふさは、尻尾だ。

(どういう事なの。なんなの、これは?)

「茜、起きた?」

 その時、襖が開いた。唖然としてから、立ち上がって、茜は桐生を睨んだ。

「私のこの耳と尻尾はなに!?」
「儀式が済んだんだよ。その時に、妖狐鬼珠を媒体にしたから、まぁ狐耳だな」
「意味が分からない」
「茜の感情が著しく高ぶらないか、俺の力が著しく弱まらない限り、この桐生関連の結界外では、他人には見えないから大丈夫だ。普段は消える。ほら」

 桐生はそういうと、茜の頭をポンと撫でるように叩いた。瞬間、確かに耳と尻尾が消失した。

「ま、茜が俺の式神になったって証拠だよ」
「……納得がいかない。私は式神になるなんて言ってない。式神になった場合も、ちゃんと私が私でいられるのなら儀式をすると言ったつもりだった!」
「結果は同じだったからさ、どうせ。俺は先手を打っただけ。だけどどうしたらいい? どうしたら許してくれる?」

 微苦笑しながら、桐生が茜の横に座った。

「その……」
「その?」
「……おなかが減ったから、とりあえずご飯を食べたい!」
「それは言われなくてもな」

 桐生はクスりと笑ってから、横から茜を抱き寄せた。体勢を崩して、茜は桐生の腕の中に収まる結果となった。

「ただ、これでもう茜は、俺と何をしても、自分を失わなくなった」
「そ、そうなの」
「ああ。ただ――おなかが減ったら俺の気を喰らうといいし、俺も存分に喰べさせてもらう」
「またキスするの?」
「茜は俺にキスしてほしいんだろ?」
「う……ち、違う! 違うからね!? あれは私の意思じゃない!」
「ふぅん。残念だな」

 桐生が目を伏せ、優しい笑みを口元に浮かべた。それを見たら、胸が疼いた。

 儀式のせいにしてしまったが、茜は桐生の事が好きなので、本当は自分の意思でキスをしたいんだと思った。多分それは、食事とか、快楽という事ではないはずだ。

 しかし茜は今も、桐生に対して、好きだとは言っていない。
 だが昨日の今日のこの状況で言う気も起きない。

「俺はいつだって自分意思で、茜にキスしたいけどな」

 不意に桐生が、チュっと音を立てて、茜の頬にキスをした。茜は目を丸くする。
 その時、襖の向こうから声がかかった。

「お食事をお持ちいたしました」
「ああ。入っていいよ」

 茜を抱き寄せたままだというのに、あっさりと桐生が言う。茜が呆然としている内に、仮面の使用人達がお膳を運んできて、そしてすぐにさがっていった。

「あ、あなた……見られ……」
「俺は何も困らないし、うちの使用人はみんな口が堅いよ」
「……」

 羞恥で真っ赤になりつつも、その後茜は、食事をとる事にした。
 相変わらず、美味だった。