こうして無事に撮影は、その後予定を伸ばして二日延長して終了した。

 茜も桐生も予定は、桐生の実家に遊びに行く事のみだったし、はじめから没可能性もあったので、ゆったりとスケジュールは組まれていたので、問題は無かった。

「それじゃあね、楽しんできてね」

 酒本にそう言われたのは、桐生家の車が迎えに来た時の事だった。すると隣に立っていた桐生が、ポンと茜の肩を叩いた。

「ありがとうございます。よし、行こう茜」
「ああ、そうだな。酒本さん、よいお年を」

 今年顔を合わせるのはこれが最後なので、茜は天使の微笑でそう告げた。すると高畑が顔を出し、珍しくこちらも微笑した。

「お疲れ様だったねぇ、俺も良かったと思うよ。あとはこちらで調整するから、二人とも息抜きを――しつつ、撮られるなよ」

 そんなやりとりをした後、茜は桐生家の白い車の後部座席に乗り込んだ。高級車である。茜の家の車は黒ばかりだが、白いこの外車と同じメーカーのものも所有しているから額が分かり、桐生の家の資産が気になった。

 車の扉を閉め、走り出して少しした時、桐生が、はぁと大きく息を吐いた。

「あー危なかった」
「何が?」
「俺が理性を働かせなかったら、最後の場面では映画のレーティングが変わる所だったとおもってな」
「あのね……あれはさすがに私も焦って……」

 運転手に聞かれたらまずいと思い、茜は小声で糾弾する事に決める。

「でも、良い映画が撮れたと思ってる。俺が考えるに、ハルトとサクラはあれが自然だ」
「……いや、あのね? サクラとの恋愛映画一直線みたいになったからね? 元々、水間ちゃんと桐生の恋愛映画だって分かってるか? プラトニックの」
「俺が思うに、ハルトは最初から、恋じゃなく、姉妹との『空間』に幸せを感じてたんだよ。だからあれで良いんだよ」
「残った者の傷の舐めあいになりかねないと思ったけど」
「なったか?」
「なってないから悔しい」

 素直に茜は答えてしまった。すると機嫌がよさそうな顔になり、桐生が口笛を吹いた。

「ところで実家はどの辺なの?」
「ここから二十分くらいなんだ」
「本当に近いんだね」
「ロケ地の提案をしたのも俺だしな」

 ふぅんと頷きつつ、茜は車窓から深い雪を見ていた。彩時市もかなり雪は降るが、どこか質が違う気がした。しかし、友達の家にお泊りか。ひっそりとではあるが、茜の人生では初体験である。

(そ、そう、友達。友達だよね。多分)

 茜は悔しい事に片思いをしてしまったかもしれないとも思うが、最低限友達にはなったと感じている。己と友達になれたんだから、桐生はもっと光栄に思うべきだ……と、普段なら思うだろう茜だが、最近はそうも思えない。正直桐生の隣にいるとドキドキする近頃では、純粋に心臓に悪いと感じる事が増えた。

 雪が固められたアスファルトの上を走っていく内、どんどん道が細くなっていった。そして、『私有地』と書かれた一車線しかない道に入った所で、茜は改めて桐生を見た。

「山の上にあるの?」
「うん、そう。桐生の家は、特殊だからな。ある意味では村八分だ。それも正しい表現ではないけどな」
「特殊?」
「彩時市みたいに、心霊現象に好意的な土地は、基本的に少ないから……茜にはピンと来ないかもな」
「あのね、私にも世間一般の常識くらいあるけど?」

 ちょっとだけムッとした。茜だって、彩時市が世間一般と乖離しているという常識はきちんとある。彩時市は、なにかとオカルト現象を住民が受け入れている、一風変わった土地なのではあるが。

「そういえば、あなたの家は宮仕えをしてるとかって言ってたね」
「そう。今は、俺の叔父が当主をしていて、特殊な公務員をしてる。さんっていうんだけどな。この前の泰斗さんは、その弟。長男だった俺の父親は亡くなってる」
「そ、そう」

 迂闊に聞いて悪かったなと思ってしまった。

「それで分家が六条家というんだけどな、大体はそこの当主の彼方さんと、北斗さんが、今は国の仕事をしてる。それ以外の窓口も基本的には六条だから、桐生はひっそりとこの土地の山の上にこもってる感じだな」
「国の仕事って、たとえばどんな?」
「秘密」
「へぇ。それじゃあご家族は、今は――」
「母親もいないから、この年末は、今年はみんな忙しそうだし、俺だけだな」
「そっか」
「安心してくれ。使用人が大勢いるから。半分は式神だけど、運転してくれてる、安曇とか、人間もいる」
「人間以外がいる方が……」

 思わずひきつった顔をしそうになったが、茜は目を閉じてこらえた。

「茜も家族に、止められたりしなかったのか? 泊まりに来るの」
「ん? いいや、私は珍しく、そういう事なら年始まで戻るなって言われた。いつもは家族で過ごすんだけど」

 そんなやりとりをしながら、坂道を登っていくと、山の上に大きな邸宅が見えた。陰陽師関係者の家だというから和風の邸宅を想像していたのだが、外観は洋風だった。ただし歴史を感じさせる。

 車から降りた茜は、大きな四階建ての屋敷を見上げた。

 撮影で明治の華族の洋館に足を運んだ事があるのだが、それをさらに格式高くしたような、立派な造りに思える。

 その後、玄関へと続く道に視線を戻し、ぎょっとした。

 そこにはずらりと使用人が並んでいるのだが、それだけならば特に驚かなかったと思う。虹陰寺も特別な場合は、使用人や一門の人間が並ぶからだ。驚いたのは、桐生家の使用人が皆、白い仮面をつけていた点である。口元しか見えない。目と鼻の部分にはそれを象った穴があいているが、身長でしか個を判別できない。全員が、家屋とは反して和装だ。そこに白いエプロンをつけている。

「おかえりなさいませ、遥斗様」

 そこへたった一人、仮面をつけておらず様相姿の青年が声を放った。
 ただこちらも、執事としか形容不能な黒い様相姿だ。

「ようこそお越しくださいました、虹陰寺茜様。家令の、皆月と申します」
「――はじめまして。この度は、お招き頂きお邪魔させて頂きます。虹陰寺茜と申します」

 茜は天使のような上辺の笑みに気合いを入れた。

 同時に、使用人達をざっと見て、背筋が泡立った。五分の四は、生きた人間ではない。というか、人間ですらない。かといって妖しとも言い難い。人工的な存在――全てから桐生の持つ気配に似たものが漏れ出していて、式神だと理解できる。

「茜。皆月と安曇は、うちに長く仕えてくれている配下の家の人間だから、気を遣わなくていい」
「いや、そういうわけには」

 使用人といえど、自分にとってはこれからお世話になる相手だと、茜は考える。

 誰に渡すべきか迷ったが、手土産に持ってきたクッキーの詰め合わせの袋を、とりあえず茜は皆月へと渡した。銀縁眼鏡をかけている無表情の、執事――でなく家令だという青年は、三十代前半くらいに見える。

「つまらないものですが」
「ありがとう、茜。皆月、受け取って大切に保管を」
「畏まりました。失礼いたします」

 無事に手土産を渡した茜は、それから傍らに立つ桐生を見上げた。悔しいが、並んで立つと身長差を露骨に感じてしまう。牛乳の量、さらに増やしていかないとならないと決意した。

「さ、中に」
「ええ」

 桐生に促されて、茜は頷いた。軽く背中に触れて押されたため、なんだか複雑な気持ちになった。桐生家の使用人達にとって、自分達はどういう風に映っているのだろうかと、茜は考えた。まるで彼女をエスコートでもするかのような桐生の手つきがいちいち気になってしまう。

 その後皆月に先導されて、二人は桐生家へと入った。

「茜はこの部屋を使ってくれ」

 茜が通されたのは、和室だった。外観は洋風だが、和室も中には存在した。
 客間の一つなのだと思う。
 既に布団は敷かれていた。

「分かった、ありがとう」

 茜が礼を言うと、畳の上に座った。
 そこへ皆月が、湯呑を二つ運んできた。そしてすぐに退出した。
 茶菓子は、茜が持参した品ではなく、上品な和菓子だ。

「それと滞在中は、そこの箪笥に入っている和服を着てほしい」
「? 着替えなら持ってきたけど」
「ただのお泊りなら、それで問題は無い。でも、言っただろう? 俺の家は、特殊だって」

 確かに使用人の人々の姿は異様だったが、特にこの部屋の中には怪異はいない。だから不思議に思って、茜は改めて尋ねる事にした。

「具体的には、どう特殊なの?」
「……」
「桐生?」
「桐生家には、鬼が憑いてるんだよ。人喰い鬼が」
「?」
「茜、大切な話がある」
「なんだ?」
「前にも話した事があるだろう? 式神化の話」
「ああ。居酒屋で桐生が、私が口止めしようとしてるっていうのに変な誤解をしてた時か」
「そう。あれ、さ。というか、気を取るというのもそうだけど……正確には、桐生家は陰陽師ではなく、桐生の血に宿る鬼の制御のために、陰陽道を代々習うというのが正しいんだ。気をとる――人を喰うサガは、それでも抑えきれないんだけどな」

 物騒だなぁと茜は、頷きつつ湯呑みを手に取った。室内は温かいが、お茶の湯気を見ると落ち着く。

「愛して、喰らう。それが桐生に憑いてる人喰い鬼だ」
「あなたに愛されると大変なんだね」

 茜は漠然と感想を述べた。同時に、胸の奥がズキンと痛くなった。桐生に愛される人物が、羨ましいだなんて考えてしまう。

「他人事だな」
「え?」
「……続ける。喰われると――気を吸われたり、気を逆に注がれると、その者は、人間ではなくなる」
「式神になるんだったっけ?」
「簡単に言えば、な。ただその時、そのままであれば、人間であれば自我を失う。愛する者がただの言いなりの人形になる事を、桐生は望まない。だから――人間に気を注ぐ場合、ある儀式を必ず行うようにしているんだよ」
「儀式?」
「自我――魂が何処にも行ってしまわないように、『式神紐』で心身と術師を縛るようにしているんだ」

 桐生も大変なんだなとしか思わずに、茜はお茶を飲みこむ。

「このままだと、俺は茜を喰らいつくす自信しかない」
「え……それって、私は人間ではなくなるというか……待って。待ってよ。愛した相手の場合じゃなくても、ん? いいや違う。桐生、あ、あ、あなたまさか、私の事が好きなの?」
「気づいてなかった? 馬鹿な子だよな、本当に茜は」
「あなたそれ、告白の言葉のつもりなら、俳優失格だからね。もっと顔に似合う甘いセリフを言って! 重大なお家の話に混ぜないで!」

 慌ててお茶を置いた茜は、それからまじまじと桐生を見た。

「いつもいう冗談の延長で言ってるんだろうって分かるからいいけど、気をつけてよ!」
「冗談? 俺、本気だけど? でも、あー……そうだな。混ぜるべきではないな。じゃあ、先に家の話を続ける」
「う、うん」

 茜は何度も頷いた。心臓がバクバクと煩いが、冗談に一喜一憂している場合ではない。なにせ、愛が本気かは兎も角、茜は気を取られているわけであり、このままだと大変だという事だ。

「よってその、式神紐で縛る儀式を行いたい。それは、この家でしか出来ない。だから、茜を今回招いたんだ。きっと露見すれば、虹陰寺は俺を許さないだろうし敵にまわす事になるだろうけどな、俺は茜が欲しくてたまらないんだ」
「? 敵にまわす……?」
「茜。たとえばお前は、自分の家族が人で無い存在にされたら、怒らないか?」
「当然許さない」
「そういう事。でも俺は、許されなくても、もう茜は手放せない」
「でもあなたがもう私から気を取らなければ、大丈夫なんじゃ?」
「いくら理性でそうしようとしても、無理なものは無理だ。だから、ひっそりとこんな奥地に、自発的に村八分になって暮らしていて、外界とのやりとりは分家の六条に桐生家は基本的に任せてるんだよ」

 つらつらと語ってから、桐生が視線を下ろした。

「式神紐の儀式では、陰陽道の術師の気を注いで、鬼に喰らわれる前に、一部の性質を人ではないものにするんだ」
「そうされるとどうなるの?」

 茜は首を傾げた。

「結果として、茜は茜の中身のままでいられる。俺の命令は、よほど俺が強く使役しようとしない限り聞かなくても問題は生まれない」
「ふぅん? つまり、今のままと同じという事?」
「霊能力は少し変化する」
「……へぇ。それで、桐生は、その儀式とやらを私にしたいというわけ? それで私を誘ったの?」

 茜はちょっと不貞腐れてしまった。個人的には、初の友達とのお泊りだと――ちょっと恋してしまっているかもしれない相手と、冬の間遊ぶのだと、そういう認識で浮かれていたから、なんとなく切ない。

「一番は、な。何より、式神紐があれば、今後茜がどこにいても、俺には分かるようになる。茜を守る事も可能になる」
「私はそんなに弱くはないけど……いや、その……色々と助けられたし、あなたに比べたら、今となっては私の霊視の力なんて微々たるものだとは分かったけど……」
「嫌な記憶を思い出させたかったわけじゃないんだ。単純に俺がそうしたいだけで、茜を手放せないという話だからな」

 桐生はそう口にすると、実に何気ない調子で、茜の頭を撫でた。子供ではないと思って、普段だったら振り払ったと思う。だが、この時は、確かに嫌な事を思い出していたので、茜は素直にそうされていた。

「だから、茜。お前を縛らせてくれないか?」
「発言だけ切り取ると、ただの変態だね」
「俺は真面目に話してる」
「……」
「自分が人でなくなるがいいかと聞かれて、簡単に同意するとは思えない。でもな、俺は無理強いしたいわけじゃないんだ。だから、茜。考えてほしい。俺の式神になって欲しい。そうしたら、一生俺が、そばにいる」

 それを聞いて、茜は俯いた。桐生と一生そばにいられるなら……――それは、幸せだとは思う。映画の撮影が終わっても、心霊番組は続くからMCとして今後も顔は合わせるだろうが、そういう事ではない。桐生の隣は心地が良いし、ドキドキするのが理由だ。

「悪いようにはしない」
「そう」
「それで、その儀式のために、外界の雑多な霊気と隔絶した空間で、特殊な繊維で作った和服を纏って準備をしていて欲しいんだ」
「なるほど。それが箪笥の中の着物って事ね」
「ああ」
「儀式はどんな事をするの?」
「和服に着替えたら、俺に身を任せてくれたらそれでいい。寝ているだけでいい」
「それくらいなら、そ、その……仕方ない! あなたが私から気を取ったりするからこんな事になってるのを盛大に反省するなら、やってあげる!」
「反省はしないよ。俺、一目見た時から茜が欲しくてたまらなかったんだからな」

 桐生が両頬を持ち上げた。無駄にその表情が格好良く見えて、茜は赤面しかかった。

「なぁ茜」
「な、なに?」
「家の話はこれで終わり。だから、改めて言う」
「う、うん?」

 茜が動揺を抑えながら聞き返すと、桐生が真剣な顔をした。

「好きだ、茜」

 儀式の話の最中から、もしかしてそうなのかもしれないとは思っていたが、茜はこの一言が嬉しすぎて、舞い上がりかけた。だが、そんなの自分らしくないと平静を保つ。

「愛してる」

 続けた桐生は、少し前に出ると、茜の頬に片手で触れた。

「だから、お前を喰いたい。俺は常に、その衝動を抑えてる。でも、それもいつまで持つか分からない。だから、だから。俺が――愛して、喰らうその前に、お前の心を俺に縛らせてくれ」

 それを聞いて、茜は唇を震わせる。

「……」
「茜は、俺の事、嫌いか?」
「……嫌いじゃない」
「今はその答えで、満足しとく」

 桐生はそう言うと、掠め取るように茜の唇を奪った。突然の事過ぎて、茜は反応できなかった。

「じゃあ準備があるから、俺は一回自分の部屋に行くよ。夕食の時にまた。それまでは、着替えてゆっくりしていてくれ」

 立ち上がった桐生は、そのまま出ていった。

 茜は――自分も好きだと伝えるタイミングを逃した事を壮絶に後悔しながら、両手で唇を覆っているしか出来なかったのだった。