ブルーシートの前に立ち、(あかね)はポーズを決めた。後ほど背景は合成されるようだ。茜はAKANEという名前で、芸能活動をしている。

 茜は自分の事を女優だと思っている。

 元々小学生の頃は読者モデルだったのだが、そこの専属モデルとなり、中学生になった現在ではテレビに端役で出たりもしている。そんな茜の実家は、虹陰寺(こういんじ)家というちょっとした名門の寺だ。知る人ぞ知る――というか、オカルト業界では知らない人がいないレベルの、霊能力者の名門である。虹陰寺茜、それが茜の本名だ。

 そこに目をつけたのは、茜の所属する芸能事務所の社長だった。

 結果として、茜は――将来的には女優として生きていきたいのに、霊感があるオカルトタレントとして売り出されている。本人としては不服だ。

 今年で十四歳。

 同世代の俳優の中では、これでも茜は、自分を存在感がある方だと思っている。

(思うくらいは自由だよね……)

「もっと笑って!」
「はーい!」

 茜は内心を悟られないように、天使のような笑顔を浮かべた。役作りというか――茜は、天使のように心優しいキャラとして売り出されている。癒し系モデル兼タレントだ。一応身近な周囲の間では、茜のような微笑を浮かべれば、男性がうっとりとすると、評判である。

 身長百六十三センチ、体重四十キロ。心優しい、美人。それが、茜だ。茜の外側だ。

「なんでもご指導下さいね?」

 茜は眉根を下げて、カメラマンに微笑してみせる。上辺は、大切だと茜は思っている。猫かぶりが、特技だ。

「じゃあ次は――」

 こうしてこの日の撮影も進んでいく。


 全てが終わったのは、午前十一時を回った頃の事だった。

「お疲れ様です!」

 茜がタオルで汗を拭いていると、マネージャーの酒本(さかもと)がやってきた。彼女は、二十五歳。本人も当初は芸能人になりたかったようだが、現在はマネージャー業務についている。

「このあとは、夏の心霊特番の撮影が入ってるんだけど、すぐに出られる?」

 それを聞いて、茜は憂鬱な気持ちになった。
 出られる事には出られる。だが……。

(私はオカルトタレント志望じゃないのに……)

 しかし溜息をつく姿を見せるなど、天使としてあるまじき事だ。

「大丈夫です」

 そうは答えつつ、茜は頭痛がしていた。

 実際のところ――茜は、視える。けれど祓ったりは出来ないのだ。茜は視えるだけなのである。無論、実家で習っているから、簡単な除霊・浄霊は可能だ。しかしながら、本格的な処置は無理だ。

「ロケは、どんなところで行うんですか?」

 勿論上辺だけだが微笑を浮かべて茜が尋ねると、酒本がスマホを差し出した。そこに映っている動画を見て、茜は目眩がした。これは、酷いと感じた。

 廃墟の病院の動画には、浮遊霊が跋扈していた。

「……これは……私単独では、少し厳しいです」

 茜が真面目な顔をする。酒本には、半分程度は素を見せているので、率直に断言した。三階建てのその病院の内部は朽ち果てていて、特に地下一階の旧手術室付近が酷い。病院で亡くなった霊も屯しているし、それらに引き寄せられてやって来たのだろう怪異も渦を巻いている。

「だけど今日中にロケをしないとならないのよね。そっか、本物かぁ……」
(かなで)に連絡をしてみます」
「ありがとう!」

 酒本が、茜の言葉を聞いて明るい表情へと変わった。

 虹陰寺奏は、茜の双子の弟だ。だが、茜とは格が違う霊能力者である。歩くだけで、その場にいる霊を全て浄化してしまうほどの力の持ち主だ。

 茜は視えるだけであるから、このようにして、自分一人では太刀打ち出来ない場合、家族を頼りにしている。

 その後、昼食を取りながら、茜はメッセージアプリで、奏に連絡をした。

『授業が終わったら、校門まで来て。一秒でも早く来て』

 奏は家族であるから、猫をかぶる必要も無い。撮影場所から、奏が通う霊藍学院中等部までも、移動時間を考えると丁度授業も終わる時間で都合が良さそうだった。奏は基本的に大人しいから、茜が頼めば来てくれる。

「連絡をしておきました」
「本当にありがとうね!」

 酒本は満面の笑みだ。茜はその後ロケ弁を食べてから、酒本が運転席に座る車に乗り込んだ。


 走ること一時間半。

 霊藍(れいあい)学院は、彩時(さいとき)市の山の上にある。彩時市は、ド田舎だが、茜が撮影をしてきた都内からのアクセスはそこまで悪くはない。

 車から降りて、学校下の正門に向かうと、チラホラと視線が飛んできた。それに気づいて、茜は天使のような笑顔を浮かべる。

「AKANE様……!」
「可憐……!」

 声が飛んでくる。直後茜は囲まれた。ここには初等部までの同級生達の多くも通っているが、だからというよりは茜が芸能人だから囲まれている。芸能界で茜はナンバー1ではないが、実家の近所ではナンバー1であるし、オンリー1だと自負している。

「茜!」

 そこへ弟の奏かなでがやって来た。二卵性双生児の二人は、顔の作りはほぼ同じである。違うのは身長と服の趣味くらいだ。服装の方向性は百八十度違う。茜は流行に囚われないが、奏は流行の最先端――ただし個性派で派手ではないといった装いだ。

「おかえり、奏」

 茜は微笑し、その後周囲に手を振って、背後にあった酒本の車に乗り込んだ。優しい姉としての演出も完璧だ。茜に続いて、奏が後部座席に乗り込む。奏がドアを閉めたのを見て、茜は表情を通常のものに戻した。ずっと笑っているのは疲れる。


「相変わらず、奏は霊能力が高すぎて、浮遊霊のひとつも寄せ付けていなくて尊敬する」

 人ごみには、それだけ多くの浮遊霊も混じっているのが常だ。しかし奏がやって来た途端、全て消え去った。奏は本当に、歩く心霊現象掃除機とでも言うしかない。奏の神聖な気配に耐え切れず、怪異の類は消え去る。

 こうして三人はロケ現場に車で向かった。


 入った瞬間から嫌な感覚がして、茜は吐き気がした。しかし吐くなんて天使らしくない上、番組では浄霊は茜が担当した事になるため、気を引き締めて演技をする事にする。

「すごい浮遊霊の数……」

 茜は、思わず台本にない事を呟いてしまった。台本においては、この廃病院には、少女の霊が巣喰っている事になっているのだが、実際にはもっとヤバイものが多数いる。茜は目の前を横切っていく一反木綿を見ながら、遠い目をしてしまった自信がある。

「僕、どうしたらいいんだっけ?」

 その時小声で、奏に問われた。茜は周囲を一瞥してから告げる。

「全ての階を歩きまわってきて。それだけで浄霊されるから」
「あ、うん。お礼は、アイスでいいからね」
「アイス……」

 アイスで浄霊がなされるのならば安いほうだろう。茜は知っている。この三百分の一以下の強さの浮遊霊一体であっても、一件につき七万円は支払われる代物だ。実際、茜の親戚の慎夜などは、それでご飯を食べている。

「AKANE! カメラに向かって、ここの状況をもっと詳しくお願い。台本は無視してもいいから!」

 酒本の声に、茜は頷いた。そしてカメラを一瞥する。
 ここは、本当にヤバイ。

 茜は、霊視した結果を滔々と語った。まずは少女の手術の失敗から。彼女が形成する霊場に、次々と囚われていった他の患者について、それを喰らおうとやってきたより強い怪異や、引き寄せられた妖怪の存在にいたるまで。スタッフ達は、どんどん顔面蒼白になっていく。しかし事実なのだから仕方がない。

「終わったよ」

 茜が撮り終えたところで、奏が帰ってきた。茜は安堵した。奏が歩きまわったおかげで、先程まで語っていた怪異は全て消滅していたからだ。あとは、茜が消滅させた風に、お経――虹陰寺経文という、生家に伝わるお経を唱えて歩けば終了である。

 茜はカメラを背後に歩きまわりながら、経文を唱えて手を合わせた。

 ――奏が排除した霊達が、少しでも幸せになりますようにという想いも込めた。

 こうして、茜の夏の心霊特番のロケは終了したのである。

(って、何をやってるの、私。私は、オカルトを売りにしたいわけじゃないのに!)