「父上、今日はせっかくエレノアが久しぶりに帰って来たというのに、随分と帰りが遅かったではありませんか。またあのボンヤリ陛下がなかなか務めを果たさなかったのですか?」

 母マリアは自室へとさがっており、今このサロンには家長であるアルウィン侯爵と、その息子たちが集い、酒を片手に話し込んでいる。

「そのとおりだ。私は今日こそエレノアとたくさん話そうと、早く帰ろうと努めていたにもかかわらず、あのボンヤリ陛下が簡単な書類の採決に至極時間がかかり遅くなってしまった」
「あのお飾り陛下も、人の良さがなければ容赦なく切り捨てられるのですがね。まあ、扱いやすい人ではありますからいいですけど」

 宰相である父親と、嫡男であるディーンはどこからどう聞いても不敬罪にあたるような会話を至極当然のようにしているのである。

「父上、実は今日森で見つかった遺体なんですが……どうやらドロシー・ケイ・プライヤーで間違い無さそうです」
「そうか。プライヤー伯爵の狂人具合であれば近いうちにそうなるとは思ってはいたが、できればエレノアの耳には入れたくないな。せっかく子を授かったのに、ショックを受けては可哀想だ。騎士団の方で緘口令を敷くようにな」
「当然です。エレノアと子の身に何かあれば、俺はどうなるか分かりませんから、その辺りは抜かりなく。それにしても酷い状態でしたよ。歯形で何とか身元が分かったものの、姿形ほとんど留めていませんでした」

 ドロシーは森の中に打ち捨てられていて、もともと凄惨な傷口が多数あった上、血の匂いに引き寄せられた獣に食いちぎられていた状況だった。

「しかもどうやら生きたままで四肢の腱を切られ、逃げられないようにされてから獣のいる森へ捨てられたようです」
「プライヤー伯爵の好きそうなことだ。悪趣味な」

 エドガーの言葉を聞いたディーンは、あの酷く嗜虐趣味な伯爵の姿を思い出して、胸の悪くなる思いがした。
 ただ、大切な妹を傷つけた女を残酷な形で処刑してくれたことに関しては、感謝の念さえ覚えたのだった。

「あの伯爵家ももう終わりだな。何人も娼婦を拾ってきては、自分の欲望を満たしてから惨殺し捨てていること。そろそろ明らかにしてやっても良い頃合いだろう。その趣味に便乗して無駄に金を使う、国のためにも民のためにも役に立たない貴族どもも、同時に処することができる」

 柔和な表情だがやり手だと噂の宰相の、人を射殺すような鋭い眼差しと凍りつく冷たい声は、最愛の妻や娘にはこの先一生見せることはないだろう。

「それにしてもエレノアにもうすぐ子ができるなどと。俺はまだ信じられん」
「エドガー、お前はいつもそればかりだな。エレノアだっていつかは母となり、とても愛らしくて笑顔の眩しい娘か、聡明で整った顔立ちの息子を育てることになるんだぞ。いい加減諦めろ」
「おのれルーファスめ。俺から可愛らしい妹を奪っただけでなく、妹を母へと変えようとするなど……俺は辛い。寂しい。どうすればいいんだ」

 この国随一の剣の使い手と呼ばれる名高い騎士団長も、最愛の妹の夫である義弟の剣とは拮抗しており、それもまた彼にとってはなかなか受け入れられない事実なのだった。

「お前たちもいい加減どこかの令嬢との結婚を考えねば、そろそろアルウィン家の将来が心配になってきたぞ」

 いくら父親が敏腕宰相であっても、今のところ妹しか愛せない二人の息子の結婚話について、無理に進めてもお相手の令嬢を傷つけるだけだと静観の様子を保っている。

「「もう暫しエレノアの幸せを見守るまでは、自分の結婚は考えておりません」」

 全く性格も見た目も違うこの兄弟だが、妹のことについてだけは意見が一致するのである。

 こうなれば子飼いとして育ててきたあの義理の息子が、早く兄たちを納得させられるくらいに娘を幸せにしてくれる事を祈るしかない宰相だった。