城の地下牢へ足を踏み入れるのはもちろん初めてのことですが、それでなくとも不安定な足元は湿っていて、陰気な雰囲気がこれでもかというほど漂っています。

 お父様は陛下とお話があるとのことで、ディーンお兄様とともにジョシュア様のいらっしゃる地下牢へと降りてまいりました。

 右足がまだ自由には動かず、思ったより時間はかかりましたが、一歩ずつ自分の足で階段を降りて行くことでジョシュア様との縁が断ち切れてゆくような心持ちがいたしました。



 暗くて湿っぽい空間ではありますが、恐らく貴族専用であろう牢には、きちんとした寝台やテーブル、椅子もあるようです。
 ただ、冷たい鉄格子が私とジョシュア様を引き裂くかのように隔てていました。

「エレノア……来てくれたのか」

 ひどく憔悴した様子のジョシュア様は、最後に会った時のような爛々とした目つきとは反対に、おちくぼんで生気のない目をしてらっしゃったのです。

「ジョシュア様、ごきげんよう」

 鉄格子から少し離れたところに立って声をかけると、ジョシュア様はふらふらと鉄格子のそばまで近寄ってきて懇願するのです。

「エレノア、陛下に嘆願してくれないか? 僕は悪くないだろ? 全てあのアバズレに唆されてしたことだ。僕を廃嫡して牢に入れるなど間違っている。陛下にそう伝えてくれないか?」
「ジョシュア様。貴方は私を殺そうとしましたわ。はじめはドロシー嬢と共謀して。次にご自分の護衛騎士を使って。婚約者であったはずの私に斬りかかりました」

 あの日の衝撃と痛みが思い出されて、右足がズキズキと熱を持って痛みます。

「何を言うんだ? お前は僕の婚約者だろう? 僕を助けてくれないのか? 可愛げのないお前を婚約者として扱ってきてやった僕に感謝しろよ。ほら、さっさと陛下に嘆願しないか!」

 ジョシュア様はもうすでに正気ではないようです。自分に科せられた刑の重さを実感し、頭が混乱なさっているのでしょう。
 支離滅裂な言葉ながらも、私にご自分を助けろとしつこく命じられるのです。

「おい、エレノア! 聞いているのか⁉︎ お前のようなつまらん女など、初めから僕には相応しくなかった! 陛下の命だったから仕方なく傍に置いてやったというのに、こんな時くらい役にたたないか!」

 鬼気迫るお顔で鉄格子に捕まり、あの時のような爛々とした眼差しでこちらを睨みつけるジョシュア様。私は段々と恐ろしくなり、思わず一歩……また一歩と後ずさってしまいました。

 じっと静かに様子を見守ってくださっていたディーンお兄様も、私のことを詰られるたびに拳を震わせ、怒りを抑えられているようです。
 
 私が最後にご挨拶をしたいと願ったので、決して邪魔をするまいと我慢してくれているのでしょう。

「おい! お前も僕を馬鹿にするんだな! お前のようにまともに歩くこともできない傷物の令嬢など、生きている価値もないわ! 僕を助けるくらいしか役に立たないのだから、せめてすぐにでも陛下の元へ行け! それすらもできない傷物令嬢など……」

 幼い頃から婚約者として共に過ごした日々が、ジョシュア様の心無い言葉に全て闇色に塗り潰されていく思いでした。
 
 傷物だと言われ、心のどこかでは自分自身もそう思っていたからか、ひどく胸が痛みます。
 
 痛くて痛くて、段々と息すら出来なくなってきました。少しでも苦しみから逃れようと、思わず耳を塞ごうとしたところで、ジョシュア様は急にお静かになられたのです。

 そろそろとジョシュア様の立っていた方を見ると、牢の中で仰向けに倒れていました。
 ハクハクと魚のように口を開け閉めするジョシュア様の喉には、鈍く光る刃が深々と突き刺さっているのが見えます。
 
「あ……わ……わ……」

 声にならない声が、ジョシュア様の喉から漏れ出ました。
 何が起こったのかまだ理解しかねている私は、とても見ていられなくなって目を背けます。
 
「お前など、生きて罪を償う価値もない」

 甘く澄んだ声が湿っぽい空間に響き、私は声のする方へと視線を走らせました。
 そこに立つのは、冷たく鋭利な紅い瞳を持つルーファスだったのです。