「何も考えていないなんて、理性的なエレノアらしくないわね。珍しいこと」
「そうかも知れないわね。でも、本当に何にも考えていなかったの。思えば、好きだって伝えたのもとても衝動的な行動だったわ」

 そんなこと、今までの私ならあり得ないことだったはず。

「エレノア……本気なのね。貴女はとても理性的で、いつも家族のために我慢していたから心配していたの。自分の為に何かすることと言えば、『お忍びスタイル』くらいだったしね。そのくらいの我儘があったほうが、きっと人生豊かで楽しいわ!」

 シアーラは笑って私を抱きしめました。
 彼女は私のことを理解してくれて、そしてどんな時でも応援してくれる貴重な存在なのです。

「シアーラはご両親の持つ商会の一つを継ぐという夢があるものね。自立している御令嬢なんて、まだまだこの国には少ないもの。そんな貴女を心から尊敬しているわ。私が万が一侯爵家を出て行かなければならなくなった時は、貴女の商会で働かせてもらうわね」

 二人で抱きしめ合ったまま、クスクス笑って冗談を言い合えることがとても嬉しかったのです。

 


 シアーラと二人で教室へと向かっていると、廊下の向こうからドロシー嬢がお一人で歩いてくるのが見えました。
 多くの御令嬢方は異端の存在であるドロシー嬢と距離を置いているので、彼女は大概ジョシュア様と過ごしています。
 ジョシュア様がいらっしゃらない時は取り巻きの男子生徒と一緒にいることが多いのですが、今日は珍しくお一人のようなのです。

「あら、ドロシー嬢。今日は珍しくお一人なんですのね」

 シアーラがわざと高飛車な風にドロシー嬢に声をかけます。いかにも意地悪な声色を演じているのが上手過ぎて、近頃演劇で人気の悪役令嬢のようでした。

「あらぁ、エレノア様。先日の夜会で具合が悪くなったようでしたけど、もう大丈夫ですの?」
「少し人に酔っただけでしたので大丈夫ですわ。ご心配、痛み入ります」
「ふうん……」

 つまらなさそうに返事をしたドロシー嬢は、それ以上私に何か言うこともなく去って行ったのです。

「どうしたのかしらね? 取り巻きもいないし、珍しいこと」
「さあ? ジョシュア様も今日はお休みかしら?」

 二人で首を傾げながら午後の授業も無事終えたのでした。



「ねえ、皆さまお聞きになった? ドロシー嬢のウワサ」
「ドロシー嬢? あら、一体どうなさったの?」
「あの方、本来はどうやら御令嬢らしからぬ方らしいわよ。おかしいと思ったのよ。だってあの方、どう見ても同い年には見えないじゃない?」
「確かに時々話が合わない時もあるわよね。それより私……時々感じた彼女のお肌の衰えが、いやに気になっていたわ」
「実は……私たちより十は年上なんですってよ」
「ええっ⁉︎ ……ということはまさか! 二十七ですって? どうしてそのようなお方がこの学院に?」
「プライヤー伯爵がかなりこの学院に寄付をしているらしいし、この国じゃお金とコネさえあれば、戸籍など何とでもできるじゃない」
「それじゃあもしかして……伯爵の情婦でもなさっているのかしらねぇ」

 放課後、教室中がこのようにドロシー嬢の当たらずとも遠からずというか、ほぼ当たりのお話をなさっているのです。
 皆何故かとても楽しそうというか、いきいきとしたお顔で噂話に花を咲かせていますわね。

「ねぇエレノア、どういうことかしら? 誰かがドロシー嬢の秘密をリークしたっていうこと?」
「分からない。あれだけ夜会でも派手に振る舞っていらっしゃったから、その場でどなたかお知り合いがいて、そこから話が広がったのかもしれないわ。退屈な貴族の間では、噂話というのはあっという間に広がるもの」

 あの日の夜会でジョシュア様という知られたお顔の方と、あのように滑稽な台風ダンスを踊ったドロシー嬢を、彼女を知る人が見ていてもおかしくはないでしょう。

「ジョシュア様もお休みみたいだし、何もなければいいけど……エレノア、貴女も気をつけてね。なんだか嫌な感じがするの」

 学院全体の不穏な雰囲気と、ドロシー嬢の普段にはない大人しい態度に、心配性なところのあるシアーラはどこか不安を感じているようです。

「分かったわ。私も気をつけるわね。また明日、シアーラ」