私は今までジョシュア様のことで、自分にも周りにも嘘をついてきたのです。

 一度くらい、たとえ我儘でも本心を言ってみようと思いました。
 婚約者の愛人に放たれた刺客に、恋慕の情を抱いてしまったなどと本当におかしな話ですけれど。

「あの夜、貴方の銀髪は月の光のようだったわ。紅い瞳はまるでガーネットのように美しいと思ったの。自分を殺しに来たという貴方を、一目で恋慕うなど……馬鹿なことよね」

 彼の腕の中で、フッと自嘲の笑みが溢れました。

「そして本当は……また逢えるのを待ち侘びていたの」

 頭上に感じるのは静寂で、何故か彼は何も答えないのです。
 ただ、私を抱きしめる腕の強さは変わらないことが救いでした。
 
 それだけでも、拒絶された訳ではないのだと安心できましたから。

「ねぇ、どうして何も言わないの?」

 自分から突飛な行動を起こしておきながら、どうしても気になって顔を上げましたら、銀髪の彼は素早く片手で顔を覆うのです。
 
 その刹那、見えたのは朱の頬でした。

 私はそっと彼の頬に手をやります。無意識に近いような自然な動きで。人間の温かみを感じる頬は、冷えた指先には気持ちが良かったのです。

 そうして顔を覆った片手をそっとどけましたら、つり目がちな紅の瞳と目が合いました。

「アンタのこと、思い違いしてた」
「思い違い?」
「あの時、『男を誘惑するのが下手くそ』って言ったけど……訂正するよ」

 ゆっくりと、彼の整った唇は弧を描きます。

「アンタめっちゃ蠱惑的だわ」

 そうしてあの夜のように、私たちは口づけを交わしたのです。

 あの時は一方的に声と共に奪われた唇でした。
 しかし此度は望んで重ねた唇の甘さに抗えず、何度も何度もお互いの温もりを交換するように続けてしまう、魅惑の口付け。

「はぁ……」

 上手く息を継ぐことができずに、思わず私の口から切ない嘆息が漏れました。

「やべぇな。これ以上はヤバい」
「『やばい』って?」
「いや、流石にこのまま流されるのは……マズイ」

 そう言って私から距離を取る彼を呆然と見ている間に、入ってきたテラス窓の方へとススス……と移動するのです。
 急に開いた身体の距離に、私ははしたなくももの寂しく感じてしまいました。

「じゃ、また会いに来るから。明日も手に軟膏塗っておけよ」

 そう言って軋む窓を開けたと思ったら、一瞬で暗闇へと溶け込んでいったのです。

「きちんと私の気持ちは伝わったかしら」

 つい先程までの行動には、自分自身が一番驚いていました。

 私はこのように異性に対して積極的になったこともなければ、胸を焦がすような恋すらしたことがなかったものですから。


 
 そうしてその日、私は何故かとてもスッキリとした夢を見たのです。

「この人たらしの箱入り令嬢が!」

 ドロシー嬢がご自慢のチェリーレッドの髪を逆立てるようにして私の方へと歩いて参ります。
 『人たらし』ですとか『箱入り令嬢』ですとか、まるで悪口なのか褒め言葉なのか分からないことになっていますけれど、大丈夫でしょうか。

「ごきげんよう、ドロシー嬢。いかがなさいましたの?」
「なにが『ごきげんよう』よ! アンタに仕向けた殺し屋がなんで私を殺そうとしてくるのよ!」

 ドロシー嬢の爛々と光るエメラルドグリーンの瞳はとてもお美しいのに、物騒な言葉が全てを台無しにしています。

「残念ながら私はまだ死にたくはないのです。そしてその理由を懇切丁寧に説明しましたの。そうしましたらご理解いただけたようなのです。つまりはキャンセル、返品のようなものですわ。どうぞ、お受け取りくださいませ。」

 もうお会いすることもないでしょうから最大限の礼を尽くそうと、元婚約者様から唯一褒められたカーテシーでご挨拶いたしました。

「それでは、ご機嫌よろしゅうございます。」

 夢の中で私は確かにドロシー嬢に所謂ザマアをしていたのでした。