「さっきのあの女の顔見たか? すっげぇ悪い顔してたよな?」
「貴方が果実水に毒を仕込んだと思ったのでしょう。とても期待に満ちたお顔をしてましたわ」

 休憩室に入るなり扉の鍵を閉め、ドカッとソファーに座った刺客の男は、堪えきれない笑いをもらしています。

「いつまで経ってもアンタが死なないから、再三催促してきやがって。キーキー煩い女だよ」
「ドロシー嬢はどのようにして貴方に私の暗殺を依頼したの?」
「あの女の元職場のマダムがいるだろう? あのマダムの情夫は悪い奴でね。その繋がりで俺がアンタの殺しを依頼されたんだ」

 あの日聞こえた、嗄れ声を持つマダムの姿を思い浮かべました。

「そうなの。それで、貴方あの女に催促されているにも関わらずこんなにのんびりしていて大丈夫なの?」

 ソファーに足を開いて座り、頭の後ろで手を組んだ刺客の男へと言葉を投げかけます。

「まあ試みてはいるけど、なかなか隙がなくて難しいってことにしてるよ。実際、アンタの邸の警備は結構厳しいし。あの妹馬鹿の筋肉兄貴も、アンタの周りを常にウロウロしてるしな」
「筋肉兄貴って、エドガーお兄様のことね」

 想像して思わず笑いが溢れました。
 たしかにエドガーお兄様は騎士のお仕事から帰ると私によく話しかけてくださるし、勤務がお休みの日は邸内で私と過ごすことも多いですから。

「それにアンタの親父さんともう一人の兄貴も、一見優しげな表情してるくせに、殺し屋を雇うあの女よりもよっぽど怖いからな。普通の刺客なら簡単にはアンタに接触することもできやしないだろう」
「色々なことを調べているのね。私の家族のことも」
「まあな。対象のことはある程度調べておくのが俺らの仕事の鉄則だ」

 この人の飾らない口調に新鮮なものを感じて、自分に差し向けられた刺客だということをつい忘れてしまうのです。

「これから貴方はどうするつもり? いつまでも誤魔化しはきかないわよね?」
「そうだなぁ……。寝返る、とか?」
「誰に?」
「アンタに。アンタが俺を雇ってあの女と、ついでにあのボンクラ婚約者を消すか?」

 さも簡単なことのようにこの紅い瞳を持つ刺客は言いますけれど、私は別に二人に死んで欲しいなどと思ってはいないのです。

「そんなこと、しなくても良いわ。私はただ平穏に日々が過ぎてくれれば良いの。家族を困らせるようなことがなければ良いのよ」

 そう、例えあのボンクラと婚姻を結び一生一緒に過ごすことになっても、それがお父様や国のためになるのならばそれで良いのです。

「貴族ってやつは自分の幸せよりも国や誰かの幸せを優先しないといけないもんなのか? 俺の知ってる貴族はそんな奴らばっかりじゃないけどな。」
「確かにそんな考えの人ばかりではないわね。でも、私にはそうするしか家族を守れないもの。この婚約は王命で、覆すことはできないわ」

 心の奥を見透かすようなガーネット色の瞳を真っ直ぐ私の方へと向けて、妙に親しげな刺客は言いました。

「アンタの家族はそんなこと望んでないんじゃないのか。本当にそうして欲しいと思っていると? せめて相談くらいはしても良いんじゃないか?」

 あの私に甘い家族は、私がジョシュア様のことを話せば、きっと現状をどうにかしようとするでしょう。

 でもそうすることで国王陛下に仕えるお父様や、お兄様たちに迷惑をかけたくありません。
 それでなくともお父様とお兄様は、政務や国政を担う激務なのです。
 エドガーお兄様だって、国を守るとても優秀な騎士なのですから。

「そうだとしても、今のところは相談するつもりはないわ」

 もしかしたら、ジョシュア様も今日のことでドロシー嬢のことは少し冷静になったかも知れませんし。 

「あっそ。まぁ俺はしばらくあの女から依頼料を貰うつもりだから、適当にアンタに仕掛けてるフリでもしとくよ。俺が依頼を蹴ったと知ったら、アンタに他の殺し屋を仕向けるかも知れないしな」
「それは確かに面倒ね。親しみやすい貴方みたいな刺客なら良いけれど、本気で殺されるのはゴメンだわ」
「親しみやすい刺客ってのも変だけどな」

 吹き出すように笑うとつり目がちな瞳が細くなって、表情が幼くなるのね。

「貴方は私を気に入ったと言ったけれど、私も貴方を気に入ってるの。シアーラを除いて、こんなに明け透けに話ができたのは初めてだから」
「そうか。まあまた会いに来るよ」

 今度は軽くフッと笑いながら、銀髪の彼は使用人服の襟元を正しました。
 そうして去り際私に手を振って扉から出て行ったのです。

「おかしな人ね。それでも、アルウィン家の邸内で特に厳重警備の私の私室に、あれほど容易く侵入できるくらいだもの。かなりの手練れなんでしょう」

 まだジョシュア様はドロシー嬢と一緒かしら?
 ドロシー嬢は私が毒で死んでいないと知ったら、またがっかりするのでしょうね。
 
「少し休んでから戻りましょう」

 そう思ってソファーに横になり、少しだけと思って目を閉じたのです。