ネカフェ難民してたら鬼上司に拾われました

 ショッピングモール全体の休館日の前日。以前に川岸と弥生と三人で飲んだ居酒屋に向かうと、今日は公休日だった柚葉と早番の弥生と詩織が先に着いて待っていた。六人掛けテーブルのある個室は、入り口をアジアンテイストの簾で仕切られていたが、店員に案内してもらうまでもなく前を通っただけでどこの席か一発で分かってしまった。女三人の賑やかな出迎えに、一緒にいた竹内は少し圧倒されている様子だ。

「お疲れ様でーす」

 すでに呂律が怪しくなっている弥生の前にはグラス半分になったモスコミュール。

「弥生さん、もう飲んでるんですか⁉」
「ごめーん。待ちきれなかったぁ」
「みんな揃うまでソフトドリンクにしとこうって言ってたんだけどねぇ。カクテルメニューを物欲しそうにガン見してたから、つい許しちゃった」

 荷物を移動させて席を詰めながら、柚葉がニヤニヤと言い訳している。そう言っている店長の前にあるのもどう見ても酎ハイの中ジョッキだ。酒好きなのにあまり強くない弥生と違い、こちらは顔色一つ変えずにほぼ飲み切っている。唯一、アルコールを摂取していない詩織だったけれど、コーラの上にぷかぷか浮いているバニラアイスがとても甘そうだ。

「詩織ちゃん、それはデザートだよ……」
「ええーっ、ソフトドリンクのとこにメニュー並んでたし、ありかなって思ったんですけどぉ」

 わざとぶりっ子口調で拗ねて見せた後、ケラケラと笑っている。何気に、お酒を飲んでいない彼女が一番テンションが高い。完全シラフなのに弥生と一緒になって些細なことで盛り上がっていた。

「竹内さんもお酒はダメって言ってたよね? ここ、ノンアルのカクテルも充実してるから――」

 柚葉の隣の席に座って、穂香は真向いの後輩にドリンクメニューを手渡す。その横では弥生と詩織がタッチパネルを操作しながら適当に料理をオーダーし始めている。どうやら遅番の二人が到着するまでは付き出しの枝豆とポテトで凌いでいたらしい。柚葉もメニュー表を見ながら気になった物があれば注文の指示を出しているし、穂香はドリンクだけを頼むと料理は他の人達にお任せすることにした。

「あ、オーナーも遅番に合わせて来るって連絡あったし、そろそろ来られるんじゃない?」
「えっ、川岸オーナーもいらっしゃるんですか⁉」

 柚葉がスマホで時刻を確認しながら言うと、竹内が少し困惑した顔をする。

「私、面接の時以来なんですけど……」
「あー、オーナーって必要以上は喋らないから、若い子には怖いかもねぇ」
「竹内さん、奥に座る? いきなり真正面だと緊張するよね」

 店長と詩織の言葉に竹内は大きく頷き返してから、席を移動していく。テーブルの端にいれば視界に入ることは少ないだろう。自分もほんの少し前までは川岸のことを怖がってたなと思い出し、穂香は心の中でこっそり笑う。彼は仕事には厳しいから誤解され易いのは変わらずだ。
 料理が揃い出したタイミングで簾の向こうに店員と聞き慣れた男性の声が聞こえて、一同が入り口へと視線を移す。右手でゆっくりと簾を分けて顔を出したのは、ネクタイを緩めたベストスーツ姿の川岸。

「お疲れ様です」
「お先に始めてまーす」

 口々に挨拶の言葉を発しながら、穂香の隣に座り込んだ上司へドリンクメニューを差し出す。川岸は生中を注文してから、向かいの席の弥生がすでにグラスを飲み切っているのに気付き、お代わりを促すようにメニュー表を回していた。

「今日は俺が出すので、好きなだけ飲んでくれていい」
「やった、ありがとうございまーす」
「さすが川岸オーナー!」

 調子の良い柚葉達に持ち上げられ、川岸が苦笑いを浮かべる。先輩がオーナーに対して意外とフレンドリーな物言いなのに竹内も安心したのか、詩織と一緒にタブレットを覗き込んでご飯ものを選び始めていた。

 新人の歓迎会だからと言って特別に何かすることもなかったけれど、上司の奢りだからとデザートメニューをとりあえず全種類注文してみるという詩織の悪ノリが勃発したくらいだろうか。弥生も泥酔する手前で柚葉からグラスを取り上げられ、途中からは無理矢理に水ばかり飲まされていたし、さすがに翌々日まで引きずることはないはずだ。

 駅前でタクシーを捕まえて、川岸と並んで後部座席に乗り込みながら穂香はふぅっと長い息を吐く。少し連勤が続いていたからやっと休めると気が緩んだのもあるし、隣にいる彼の体温が心地よかったのもある。首を傾けて川岸の肩に頭を乗せていると、穂香は気付かない内に目を閉じてしまっていた。

「着いたよ」

 身体を優しく揺すられ驚き顔で目を覚ました穂香は、川岸の後に続いてタクシーから降りる。マンション前のロータリーから走り去っていくタクシーを見送りながら、以前にも同じような状況があったことを思い出していた。あの時は川岸が穂香のスーツケースを運んでくれて、何だかよく分からないまま部屋に入った。

 穂香へと伸ばされた手に指を絡ませて繋ぐと、二人並んでエントランスの自動ドアを通り抜ける。指をきゅっと握ると同じように握り返してくれる彼は、少し心配そうな目で見てくる。

「もしかして、飲み過ぎた? そんなに飲んでる風には見えなかったけど」
「うーん……連勤が続いてたから、酔いが回るの早かったのかなぁ?」

 ふわぁっと穂香は生欠伸を漏らす。体調は悪くはないけれど、何だかフワフワしている気分だ。穂香は隣を歩く川岸の顔を見上げて、意味もなくフフフと笑みを浮かべていた。