ネカフェ難民してたら鬼上司に拾われました

「ハンギングされてる物はアイテム別にこちらのラックへ。それ以外のトップスなんかは品番ごとにこのボックスに分けて入れてるんですが……ボックスが空になった時はひっくり返すようにして下さいね。パッと見で在庫が無いって分かるように」

 ストックルームの壁面棚から引き出し型のボックスを一個取り出して見せながら、穂香は野中へと在庫の管理方法を説明していた。聞いてみると服飾の販売経験はアルバイトも含めてかなりあるらしく、接客の研修は省いても良さそうで、弥生がレジ周りのことを、穂香が在庫について教えることになった。

「店に無い場合の客注はどうすればいいんですか?」
「そこのパソコンで他の店舗の在庫を見ることができますし、在庫がある場合は直接電話で確認してから取り寄せですね。それでも無ければ本社に問い合わせてメーカーさんに直接聞いてもらう感じです」

 ストックルームに入ってすぐの小さなカウンター。外線電話の隣に置かれたノートパソコンを立ち上げて、『セラーデ』で使用している在庫アプリを開いてから野中へと見せる。品番を入力すると六店舗ある中で在庫を保有している店舗名が表示されるが、これはリアルタイムの在庫ではないから実際に今もあるとは限らない。レジと連動しているわけじゃないのだ。

「閉め作業の時にタグ入力する店がほとんどだから、ほぼ前日の閉店時点のデータだと思っていた方がいいです」
「ああ、POSレジじゃないんですね……」
「そうなんですよ、レジはモール側に用意していただいた物を使ってるので」

 以前に勤めていたのはかなり大きなアパレルメーカーの直営店でその辺りの設備は充実していたらしく、野中は「ちょっと不便ですね」と嘆いている。そんな恵まれた設備のある店をどうして辞めたかなんて野暮なことを聞く気はない。大きなところはそれなりにスタッフ数を抱えているだろうし、きっといろいろ大変だったのだろう。

「ええっと、タグ入力の仕方とかはまた閉め作業の時に教えてもらってください。後は店頭にもストックが置いてあるので、それの説明をさせてもらいますね」

 ストックルーム内を見回して、伝え忘れてることがないかを確認してから、穂香は野中を引き連れて店頭へと戻る。全身が映る大きな鏡の裏が棚になっていて、そこにはシューズとバッグのストックが収納されているのだ。特にシューズはサイズを聞かれることが一番多いから店頭にある方が都合がいい。

 柚葉と弥生が接客しているのを横目に、穂香は「他に伝えておかないといけないことって何だろう……?」と首を傾げて考える。そして、レジの後ろに畳んで置いたままの段ボール箱に気付き、ハッと目を輝かせた。

「店の方はそのくらいにして、次は一緒にゴミ捨てに行きましょうか」

 段ボールを野中に持ってもらい、自分は燃えるゴミの詰まったゴミ袋を両手に抱えて二人並んで建物のバックヤードへと向かう。入店した時に通ったはずの従業員入り口を越えた場所にあるから、野中もすぐ覚えることができるだろう。
 社員食堂や事務所などテナントのスタッフも利用することがある箇所について説明しながら、狭い通路を連なって歩く。通路には直営店の在庫や什器が氾濫していて狭くて薄暗い。廊下というより、ほぼ倉庫状態だ。

 途中、喫煙室の横を通る時に穂香は小さく顔を引きつらせる。中にあまり合わせたくない顔を見つけてしまった。紳士服売り場の金子が缶コーヒーを片手に煙草を吸っていたのだ。あれ以来、直接誘われたり待ち伏せされたりということはなかったけれど……

 気付かれないよう顔を不自然に背けて喫煙室を通り過ぎた穂香だったが、煙臭い匂いと共に通路へと出て来た金子が後ろから声を掛けてくる。

「田村さん、久しぶりですね」

 名前まで呼ばれてしまっては無視するわけにはいかない。穂香は立ち止まって振り返る。金子は貼り付けたような笑みを浮かべて、穂香が両手に持つゴミ袋へちらりと視線を送ってくる。

「ゴミ捨てですか、重そうですね。良かったら手伝いましょうか?」
「あ、いえ、大丈夫です……」
「僕、今はちょうど休憩中なんで、遠慮しないで下さい」
「いえ、もうすぐそこですし。そんなに重くもないんで」

 後退りする穂香へ向かって金子が手を伸ばしてくる。困惑した表情で穂香が首を振っていると、隣にいた野中が穂香が持っていたゴミ袋の一つをひょいと掴んだ。

「俺、段ボールくらい片手で持てるんで、こっちも持ちます」
「あ、ありがとう……えっと、野中さん、ゴミ捨て場はこっちです、早く行きましょう!」

 金子へはペコリと会釈してから、野中を先へと促す。金子は隣にいた野中のことはたまたま居合わせただけの別の店のスタッフとでも思っていたんだろうか。穂香と並んで歩いて行く後ろ姿を狐に摘ままれたような顔で眺めていた。

 無事にゴミ捨て場を案内し終わった後、野中が怪訝な表情で質問してくる。

「で、さっきの人は何なんですか?」
「ああ、金子さんは直営の紳士服売り場の社員さんです。以前にちょっと、いろいろあって――」
「……ふーん」

 野中は興味があるのか無いのか分からないような返事をしただけだった。前は川岸から牽制してもらい、今回は野中に助けてもらう形になった。さすがにもう次は無いと思いたいと穂香は心の中で深い溜め息を吐いた。