新店のオープン準備のヘルプも終わり、新しい店の売上も順調だという話を聞いた後、穂香達『セラーデ』のスタッフの興味はすっかり別のところへ移っている。
平日の開店直後。早番だった穂香は弥生と二人で店舗内をチェックしながら、グダグダとお喋りしていた。棚と床のモップ掛けが終わると陳列が乱れている商品を整え直していく。閉店間際に来店が集中すると、その翌朝の整理が結構大変なことが多い。
「本店に入ったのは第二新卒みたいね。この春に大学卒業して就職浪人してたんだって。ってことは二十二か三だよね、若いなー」
「ああ、バイトで販売経験はあるから教えることは少ないって戸塚さんがおっしゃってましたよ。経験者が入ってくれるのはいいですよね」
「そういうのがいいよね。セール前とかだと研修してる時間もないしさ」
オープンに伴う人事でベテランスタッフ三人が抜けた既存店。本店勤務だった和久井副店長の代わりに入った子の話で弥生と二人で盛り上がっていた。ヘルプ先で戸塚から聞いたことを伝えると弥生が露骨に羨ましがっている。
島什器でカットソーを向かい合って畳み直しながら、弥生がポケットからシフト表を折り畳んだものを取り出して、渋い顔をする。
「うちも斎藤さんが抜けちゃったから代わりの人が入って来るって言ってたけど、来週までに来てくれないとシフトやばいよね」
「あー、月末に詩織ちゃんが旅行に行っちゃいますしね。香港でしたっけ?」
「そう、香港とマカオのツアーだって。マカオって何だっけ、カジノがあるんだっけ?」
分かんないです、と首を傾げながら穂香も弥生が持っているシフト表を覗き込む。今月の後半にかけてスカスカになっているシフトは多分誰か新しい人が入ってくることを想定して作られているが、今のところは名前も予定もまだ空欄だ。川岸から「人員はちゃんと確保できてるから」とは聞いていたし、そこまで心配する必要はないはず。
——でも何か嫌な予感がするんだよね……
ここ最近で感じた『嫌な予感』では元カレに荷物をごっそりと持ち逃げされたけれど、さすがにあのレベルのことは二度とないと信じたい。あの後、栄悟とは直接顔を合わせることはない。気合い入れて開いたというバーにはもちろん行ってない。でも、ビルから立ち退きさせられる前に一度くらい冷やかしに行ってもいいかなとは考えていた。ただし、不動産屋から分割払いにしてもらったという部屋の修繕費を彼がちゃんと全部払いきってくれたらの話だけれど。
店頭の整理も終わって納品したばかりの商品をストックルームに片付けていると、店先から柚葉が「おはようございます」と挨拶しながら出勤してきた声が聞こえてくる。今日は遅番の店長は誰か男性と話しながら来たみたいで、壁の向こうでは弥生も混ざって賑やかに喋っている。
——どこかの営業さんかな?
穂香はカーテンをそっと開いて店頭へ顔を出す。
「あ、穂香ちゃん、おはよう。今日の入荷に取り寄せ分入ってた?」
「おはようございます。はい、お客様へも電話済みです。明日にはご来店されるそうです」
「ありがとう。良かったぁ、今週末に着たいっておっしゃってたから、間に合ったー」
穂香達が入荷商品の確認をしている後ろで、弥生は見たことのない男性と何だか親しげに話し込んでいる。穂香と同じ歳くらいの色白の男性は川岸と比べると背はそこまで高くはない。細くて何だか女の子みたいと言ったら失礼かもしれないが、どちらかと言うと中性的な雰囲気。オフィスカジュアルといったラフな服装だからメーカーの営業とかではなさそうだ。
「あ、今日からうちの店で働いてもらうことになった野中君。『ルーチェ』のオーナーさんからの紹介なんだって」
「野中雅紀と申します、よろしくお願いします」
柚葉に紹介されて、その野中と呼ばれた男性は弥生と穂香に向かってペコリと頭を下げる。穂香達も慌てて「よろしくお願いします」と返してから、弥生がキョトン顔になって聞き直す。
「ってことは元々は『ルーチェ』にいたの?」
斜め向かいにテナントとして入っている『ルーチェ』もレディース商品を扱うセレクトショップだ。辞めた店のすぐ目の前の店に勤務するなんて、気まずくなったりしないんだろうか?
「いえ、初めは向こうの面接を受けさせてもらったんですが、『ルーチェ』は女性用の下着も扱ってるから男性スタッフはって言われて……で、代わりにこちらのオーナーさんを紹介していただいたんです」
「あー、なるほどね」
弥生は納得したように深く頷いている。『セラーデ』は下着類の取り扱いはないし、スタッフの性別はどちらでも構わない。現に川岸が店頭にいることも珍しくないのだから。オーナー同士が仲が良いと人事のやり取りまでしてしまうのかという驚きはあったけれど、他所に回すぐらいならと身近な店を紹介してもらえるくらい、野中が『ルーチェ』の山崎オーナーから認められた人材ってことなんだろう。聞いてみると、これまでは別のショップで働いていた経験者みたいだ。
——隼人さん、いつかメンズの店を出したいって言ってたし、少しずつ男性スタッフを増やしてくつもりなのかな?
以前に一度だけ、川岸から経営者としての今後の夢を聞いたことがあった。その一つは自社ブランドの立ち上げで、それはベトナムの縫製工場との契約で着実に実現しようとしているところだ。そしてもう一つはメンズ商品を取り扱うショップを出すこと。野中の採用はその序章なのかと思うと、穂香も自然と気合いが入る。
平日の開店直後。早番だった穂香は弥生と二人で店舗内をチェックしながら、グダグダとお喋りしていた。棚と床のモップ掛けが終わると陳列が乱れている商品を整え直していく。閉店間際に来店が集中すると、その翌朝の整理が結構大変なことが多い。
「本店に入ったのは第二新卒みたいね。この春に大学卒業して就職浪人してたんだって。ってことは二十二か三だよね、若いなー」
「ああ、バイトで販売経験はあるから教えることは少ないって戸塚さんがおっしゃってましたよ。経験者が入ってくれるのはいいですよね」
「そういうのがいいよね。セール前とかだと研修してる時間もないしさ」
オープンに伴う人事でベテランスタッフ三人が抜けた既存店。本店勤務だった和久井副店長の代わりに入った子の話で弥生と二人で盛り上がっていた。ヘルプ先で戸塚から聞いたことを伝えると弥生が露骨に羨ましがっている。
島什器でカットソーを向かい合って畳み直しながら、弥生がポケットからシフト表を折り畳んだものを取り出して、渋い顔をする。
「うちも斎藤さんが抜けちゃったから代わりの人が入って来るって言ってたけど、来週までに来てくれないとシフトやばいよね」
「あー、月末に詩織ちゃんが旅行に行っちゃいますしね。香港でしたっけ?」
「そう、香港とマカオのツアーだって。マカオって何だっけ、カジノがあるんだっけ?」
分かんないです、と首を傾げながら穂香も弥生が持っているシフト表を覗き込む。今月の後半にかけてスカスカになっているシフトは多分誰か新しい人が入ってくることを想定して作られているが、今のところは名前も予定もまだ空欄だ。川岸から「人員はちゃんと確保できてるから」とは聞いていたし、そこまで心配する必要はないはず。
——でも何か嫌な予感がするんだよね……
ここ最近で感じた『嫌な予感』では元カレに荷物をごっそりと持ち逃げされたけれど、さすがにあのレベルのことは二度とないと信じたい。あの後、栄悟とは直接顔を合わせることはない。気合い入れて開いたというバーにはもちろん行ってない。でも、ビルから立ち退きさせられる前に一度くらい冷やかしに行ってもいいかなとは考えていた。ただし、不動産屋から分割払いにしてもらったという部屋の修繕費を彼がちゃんと全部払いきってくれたらの話だけれど。
店頭の整理も終わって納品したばかりの商品をストックルームに片付けていると、店先から柚葉が「おはようございます」と挨拶しながら出勤してきた声が聞こえてくる。今日は遅番の店長は誰か男性と話しながら来たみたいで、壁の向こうでは弥生も混ざって賑やかに喋っている。
——どこかの営業さんかな?
穂香はカーテンをそっと開いて店頭へ顔を出す。
「あ、穂香ちゃん、おはよう。今日の入荷に取り寄せ分入ってた?」
「おはようございます。はい、お客様へも電話済みです。明日にはご来店されるそうです」
「ありがとう。良かったぁ、今週末に着たいっておっしゃってたから、間に合ったー」
穂香達が入荷商品の確認をしている後ろで、弥生は見たことのない男性と何だか親しげに話し込んでいる。穂香と同じ歳くらいの色白の男性は川岸と比べると背はそこまで高くはない。細くて何だか女の子みたいと言ったら失礼かもしれないが、どちらかと言うと中性的な雰囲気。オフィスカジュアルといったラフな服装だからメーカーの営業とかではなさそうだ。
「あ、今日からうちの店で働いてもらうことになった野中君。『ルーチェ』のオーナーさんからの紹介なんだって」
「野中雅紀と申します、よろしくお願いします」
柚葉に紹介されて、その野中と呼ばれた男性は弥生と穂香に向かってペコリと頭を下げる。穂香達も慌てて「よろしくお願いします」と返してから、弥生がキョトン顔になって聞き直す。
「ってことは元々は『ルーチェ』にいたの?」
斜め向かいにテナントとして入っている『ルーチェ』もレディース商品を扱うセレクトショップだ。辞めた店のすぐ目の前の店に勤務するなんて、気まずくなったりしないんだろうか?
「いえ、初めは向こうの面接を受けさせてもらったんですが、『ルーチェ』は女性用の下着も扱ってるから男性スタッフはって言われて……で、代わりにこちらのオーナーさんを紹介していただいたんです」
「あー、なるほどね」
弥生は納得したように深く頷いている。『セラーデ』は下着類の取り扱いはないし、スタッフの性別はどちらでも構わない。現に川岸が店頭にいることも珍しくないのだから。オーナー同士が仲が良いと人事のやり取りまでしてしまうのかという驚きはあったけれど、他所に回すぐらいならと身近な店を紹介してもらえるくらい、野中が『ルーチェ』の山崎オーナーから認められた人材ってことなんだろう。聞いてみると、これまでは別のショップで働いていた経験者みたいだ。
——隼人さん、いつかメンズの店を出したいって言ってたし、少しずつ男性スタッフを増やしてくつもりなのかな?
以前に一度だけ、川岸から経営者としての今後の夢を聞いたことがあった。その一つは自社ブランドの立ち上げで、それはベトナムの縫製工場との契約で着実に実現しようとしているところだ。そしてもう一つはメンズ商品を取り扱うショップを出すこと。野中の採用はその序章なのかと思うと、穂香も自然と気合いが入る。


