ネカフェ難民してたら鬼上司に拾われました

 勤務先のショッピングモールならバックヤードを出たら明るい売り場に軽快な音楽が流れ続けているが、グランドオープンを控えた新しい館は雑多な音で溢れ返っていた。まだ内装工事の終わらない店舗では釘を打つ音や什器を組み立てているのか、何かがぶつかり合う響き。時折聞こえてくる業者の怒声には期日への余裕のない焦りが感じられる。

「二階の中央って聞いてるから、フードコートの真向いになるんじゃない?」
「新店は七十坪でしたっけ? うちの店が五十坪だったから、やっぱり結構広いですよね」
「本店の倍はあるし、それだけの売上が期待されてるってことだよね」
「あ、ここにも『ルーチェ』が入るんですよね」
「そうそう、客層も近いしオーナー同士も仲良いからね」

 バス停で戸塚と一緒になったことで、初めての場所への緊張感は随分と薄れていた。事前に聞いていた情報を互いに照らし合わせながら、電源が入ってなくて停まったままのエスカレーターを階段のように一段一段昇っていく。そして、中央エスカレーターを上がってすぐ、見慣れたショップロゴを見つける。

 スポット照明は点いていなかったけれど、真っ白の壁に囲まれた新しい店舗はすでに内装工事は終わって、あとは壁面に棚板を入れていくだけの状態になっていた。床のいたるところに積み上げられた段ボール箱の中身はきっと、ハンガーなどの備品と商品なのだろう。その数は想像していたよりも多くて、穂香はこっそりとオープンまで後何日だったかと指で数え直す。

「お疲れ様です。ヘルプに来ましたー」

 戸塚が顔見知りのスタッフを見つけたらしく、声を掛けている。穂香も慌てて、「かえでモール店の田村です。よろしくお願いします」と横から自己紹介しながら、持って来ていた名札を左胸に付ける。柚葉から「人の出入りが激しいし、誰が業者で誰がスタッフか分からなくなるから」とショップ名の入った名札はあった方がいいと言われてきた。確かに、普段なら着ている洋服で大体の区別がつく店員達も今は動きやすさ重視の服装で、見た目だけではどこのショップの人なのかさっぱり見当がつかない。

 一緒に来た戸塚が新店の専属スタッフだという和久井千鶴と話し出し始めたから、穂香は一人で店舗内を順に見て回る。什器ごとに段ボール箱が選り分けて置いてあったから、何となくどう商品が配置されるかの想像はつく。広さは違うけれど、大体は勤務する店舗と似た感じになりそうだ。ただ、大きな違いは通路に面したディスプレイスペースがかなり広く確保されていることだろうか。

 ——いいなぁ。これだけスペースがあると、いろいろできそうだよね。

 羨ましいと思いつつ、店頭のスペースを眺めていると、「ヘルプありがとうございます」と真後ろから声を掛けられた。振り返って見ると、少し甘ったるい喋り方の女性が、人懐っこい笑顔を浮かべながら穂香の名札にちらっと視線を送ってくる。

「えっと……かえでモール店の田村さん、ですか? 初めまして、こちらで店長を務めさせていただくことになりました、米澤です」
「初めまして。よろしくお願いします」
「すみません、初日くらい駅まで誰か迎えに行かせていただいた方がいいんじゃないかって話してはいたんですけど……」
「いえ、バスもすぐに来ましたし、戸塚さんもご一緒だったので」
「そうですかぁ。なら良かったです」

 言いながら、米澤舞香は手に持っていたバインダーから資料を一枚取り出して、穂香へと手渡してくる。目を通すとオープン前日までの作業日程表で、新人スタッフの研修スケジュールも細かく記載されていた。

「川岸オーナーが作ってくださったコレを基に作業していく予定なので、よろしくお願いします。一応、ヘルプの方には商品の検品と陳列を中心にしていただいて、うちのスタッフで什器の設置と掃除をやっていこうかと思っています」
「かしこまりました」
「あ、でも、オーナーから田村さんはディスプレイがお上手だって伺ってるので、後でその辺りもお願いするかもです。主に店頭と棚上になると思いますが」

 穂香へ説明しながら、米澤は手に持つバインダーの資料で伝えることをチェックしていく。さすがに最大店舗を店長として任されるだけはあり、仕事はかなりできる人のようだ。
 穂香は手に持つ資料を眺めながら、こんな細かい指示書を川岸は一体いつ作成したんだろうかと驚愕する。仕事に関しては完璧主義な彼の事だから、こういったものを作るのだって人任せにはできなかったんだろう。今朝見かけた彼の疲れた顔を思い出し、胸がキュッと締め付けられる。誰よりも傍にいるのに、何も手伝ってあげられないことがもどかしい。

 この店は店長の米澤と、副店長の和久井、そして今日は休みを取っているという元パートの斎藤以外は新規採用のスタッフで、什器の設置や掃除の合間に順にレジ操作の研修をしたりしてとても忙しそうだった。当然、作業しながらお喋りなんてしている余裕はなさそうだ。

 戸塚と穂香以外にもヘルプとして来た他店スタッフは二人いて、未開封の段ボールを開けては納品書と商品を照らし合わせる作業を分担して行っていく。開けた物から順に店頭に出して箱を片付けていきたいところなのだが、肝心の什器の設置に手こずっているみたいだったから、そうもいかない。店頭の床には検品済みと大きくペン書きされた箱が積み上がっていくばかりだ。