目が覚めて最初に見えたのは、全く見慣れない天井。少し固めの枕に頭を乗せたまま、穂香は自分が今どこにいるのかを思い出すのに必死だった。

 ――えっと、確か、弥生さんとオーナーと飲みに行って、その帰りにオーナーにタクシーに乗れって言われて……あ、そっか。

 幸いなことに、昨晩の記憶はちゃんとしてる。だからここは、オーナーの自宅だ。念の為に自分が今ちゃんと服を着ていることを確かめて、ホッと安堵の溜め息をつく。

 着いてすぐにお風呂を借りて、その後もまだ仕事中の家主に挨拶してから布団に入った。ちゃんとした寝具で眠るのは久しぶりで、人の家なのにガッツリと眠ることができた。ずっと取れなかった疲労感は随分とマシになっている。

 駅からはそこまで遠くないはずなのに、この部屋はとても静かだ。防音対策がしっかりしているマンションなのだろう。常に誰かの気配がするネットカフェとは全く違う。

 でも流石に同じ居住区内の音は伝わるから、廊下の向かいの部屋の扉が開き、川岸がリビングの方へ歩いていくのが聞こえてくる。キッチンへ回ったのか水を流し、ガスを点ける音がする。
 気になった穂香が部屋を出て、そっとキッチンを覗いてみると、Tシャツにジャージ姿のラフな格好の川岸がケトルに火をかけているところだった。

「おはようございます」
「ああ、おはよう。ちゃんと眠れたか?」

 カウンター越しに声を掛けると、川岸が振り返る。前髪が普段とは違う分け目になっているのは、寝ぐせだろうか?

「はい、意外なほど、ぐっすりと」
「それは良かった。インスタントだけれど、飲むか?」

 片手で瓶を持ち上げて、穂香の方にラベルが分かるよう見せてくる。お手軽価格の大手メーカーの物だ。黙って頷き返したのを確認すると、川岸は食器棚からマグカップを二つ取り出して珈琲を淹れ始めた。
 完璧主義の彼のことだから、拘りの豆を一から挽いて淹れるイメージを抱いていたけれど、インスタント珈琲が出てきたのには少し驚いた。効率重視なんだろうか?

 キッチンの棚の上に、彼のイメージそのままの本格的なコーヒーメーカーが置かれているのが目に入ったが、あれは使わないんだろうかと眺めていると、川岸が気まずそうに苦笑いする。

「あれは元カノが使ってたやつで、俺はちょっとね……」
「使い方が分からない、とか?」

 「ああ」と照れ笑いして頷く上司に、穂香は思わず噴き出した。穂香の反応に、川岸が慌てて言い訳し始める。

「いや、取説を見ればちゃんと使えるはず。ただ、こういうのって分解してから洗わないとダメだろ? それが面倒で――」
「分かります。インスタント最強ですよね」

 お湯を注いで淹れた珈琲に、パックごと手渡された牛乳をたっぷりと注ぎ足す。ほど良い温度のカフェオレは、昨晩に少し食べ過ぎて凭れ気味だった胃にも優しい。向かい合ってダイニングテーブルに腰かけると、目の前には無造作に袋ごと置かれたミニクロワッサン。コンビニで5個入りで販売しているやつだ。そう言えば、さっきの牛乳もコンビニの商品だった。