深夜、夕食を食べようと作業部屋から出てきた律は、リビングで勉強中に眠ってしまった由紀に気がついた。

 初めて会った日は濡れた髪と泣き顔が、昔飼っていた犬に似ていて放っておけなかった。
 東京駅で会った時はなぜか引き留めてしまった。
 スケッチブックに描かれたデザインは温かみがあり、この仕事が好きなのだとわかるのに、変な男のせいで諦めるのはもったいないと思った。
 それだけのはずだったのに。

「手放したくないな……」
 律は自分らしくない考えに自嘲すると由紀の肩にそっとブランケットをかけた。

    ◇

「律さん! 合格、合格! 合格しました!」
 学科も合格し、設計製図試験も合格し、見事に一級建築士の試験に合格した由紀は、スマホに表示された「合格」の文字を律に見せた。
 合格率はたったの15%。
 本当に夢みたいだ。

「よかったな」
「律さんのおかげです!」
 お世話になってからもう半年。
 事務所の片づけはとっくに終わっていて、たぶんもうドイツに戻りたかったはずなのに律はずっと側にいてくれた。
 
「うれし……、ずっと、ダメで、やっと」
「がんばったな」
 こんなふうに優しく抱き寄せてもらったら、勘違いするでしょう?
 耳元で「えらいぞ」とか「よくがんばったな」なんて褒められたら、浮かれるに決まってるじゃない。
 あぁ、ダメだ。
 律さんが好きだ。
 もうすぐドイツに戻ってしまうのに。
 律さんは私のことをなんとも思ってないのに。
 合格の嬉しさと、告白してもいないうちの失恋に涙が止まらない。

「初めて会った時も泣いていたな」
 泣き虫だなと困った顔で笑う律が好きだ。

「今日はうまいものでも食べに行くか! お祝いだ!」
 ほら泣きやめと笑う律が好きだ。

「鉄板のスパゲティが食べたいです」
「もっといい物を強請れよ」
 安上がりな奴だなと笑う律が好きだ。

 自分でも馬鹿だなと思うくらいの片想い。
 由紀は手で涙を拭くと「やっぱり高級ハンバーグにします」と笑った。