「アルフォンス、まだ随分とお熱がありますから、今日は商会のお仕事はお休みなさってね。お薬も飲みましたし、少し横になるといいですわ」

 心配そうな顔のヴィオレットが私の額に手をやり、感冒で熱を出した私に、寝台へ横になるようにと促す。

「悪いな。では少し休むよ」

 身体が熱くて頭もボォーッとする。

 最近商会の仕事が立て込んでいたから、疲れも溜まっていたのかも知れない。

「ゆっくりとお休みになってね」

 ヴィオレットの美しい顔もどこかぼやけて見えて、軽く手を握って声をかけてくれた妻の手が、ヒンヤリと気持ちが良かった。

 目を閉じてすぐに、薬のせいか睡魔が襲ってきた。


――――「ラングレー殿、ではくれぐれも頼んだぞ」

 グリーンの瞳をギラギラと光らせながら、この男は私に残酷な頼み事をする。

「……。それではまた、お伺いします」
「ああ、それとまたモニクに似合いそうな新しい装飾品が入ったら知らせてくれ」

 この男は婚約者がいるにも関わらず、恥知らずにもその妹へ懸想をして、邪魔になった婚約者との婚約破棄を望んでいる。

 そして、この男は婚約者有責の婚約破棄に持ち込む為、私に『別れさせ屋』なるものを依頼したいという。

 その婚約者とは私が幼い頃から見守り、ずっと恋焦がれてきた女性だというのに。

「そもそも『別れさせ屋』などというものを私がしているなどと、何故そんな風に話が伝わったんだ?」

 モンジュ公爵夫人フォスティーヌ様が、戯れに私のことをそう呼んだのが始まりか……。

「そのうち消えるだろうとそのままにしておいた噂だが、まさかこんな機会が訪れることになるとは……」

 まあそのおかげで、あの恥知らずで傲慢な男からヴィオレットお嬢様を奪い、私がお嬢様を守ることができるんだ。
 真実と異なる噂も、たまには役立つな。

「ヴィオレットお嬢様、ずっと貴女の為に努力してきました。貴女が幸せであるならば他の男の元でも良かったが、そうでないなら私が貴女を奪うことにします」

 昔と比べると随分と立派になったラングレー商会の会長室で、私は決意を込めて独りごちたのだった。


――――「おやめください!」

 この男は何ということをするのか。

「クソっ! 離せ!」
「フェルナンド様、男として、このようなことはいけませんよ」

 手から血を流したままで暴れる男を、怒りの余り少々力を込めて押さえつけた。
 本当はもっとひどく痛めつけてやりたかったが、今は全身の理性を総動員して我慢する。


「アルフォンス様!一体どうなさったのです?」


 このずるくて心が醜い女から名を呼ばれただけで、一気に虫唾が走った。

 そのうち腕の中で暴れるこの頭の悪い男は、怒りの余り己の所業と合わせて、ヴィオレットお嬢様を傷つける私の秘密さえ暴露する。

「ラングレー殿、あなたは一体何をしておられる? 誰がモニクと親しくしろと言ったんだ? 私はあなたに、ヴィオレットと親しくするように頼んだはずだ!」

 やめろ、またもや彼女を傷つけようとするのは。この口、すぐに引き裂いてやろうか。いや、ダメだ。彼女の前でそんな事は出来ない。

「ラングレー会長はフェルナンド様が依頼した別れさせ屋でしたのね」

 賢いヴィオレットお嬢様は、はっきりとした口調で全てを理解したと話す。もう……終わりだ。
 真実は少し違うのに、違うと言いたくても己の罪悪感がそれを許さない。

 私もひどく狡い人間だ。

 私はこの狡賢い男を利用して、きっと手に入らないと見守るだけだったお嬢様を手に入れようとしたのだから。

「皆様世渡りに長けていらっしゃる方ばかりですのね。それでは、私はこれでごめんあそばせ」

 私が男を押さえ付けている間、地面に座りこんだままだった彼女はスッと立ち上がり、その場で見事なカーテシーして去っていった。

 去り際、傷ついた表情を隠す彼女の瞳は潤んだように見えた。
 彼女をそんな風に傷付けた自分が許せず、何度も心の中で自身を責めた。

 その後は頭の悪い男へ適当に言い繕って商会へと帰ってきたが、お嬢様の傷ついた顔がずっと頭から離れなかった。

「貴女を守りたいだけだったのに、私が欲を出してしまったが為に嘘で傷つけた」


 ――その後彼女は、私と会うことも手紙の返事を返すこともしなかった。

 自分のあさましい欲がこのような結果を引き寄せたことに自嘲する。

「このままお嬢様を傷つけたままで良いわけはないな」

 厳しく責められてもいい、嫌われることがあってもいい、ただ嘘で傷つけたことを謝罪したい。

「例え疎まれても、貴女が幸せになれるならば。これからも私は貴女が何も知らないままに、守ってゆくだけでもいいから。もっと貴女の近くにいたいと欲を出してしまった私を、どうか許してください」

 ――ヒンヤリと冷たいものが額へ触れた。

「アルフォンス、ごめんなさい。起こしてしまったのね」
「ヴィオレット……?」
「熱はまだ下がりきってはいないみたいだけど、少しましになったみたいですわ」

 ああ、この美しいブルーの瞳が私だけを見ている。

「ヴィオレット、私の傍にいてくれ……」
「あら、珍しくアルフォンスからのお願い事ですの? いいですわ。子どもたちはもう眠っていますから、しばらくここで居ります」

 アッシュブロンドの優しい髪色を揺らして頷く彼女が心の底から愛しくて、何故だか急に泣きたくなった。

「愛しているよ」

 そう伝えずにはいられなかった。

「あら、随分と潤んだ瞳をされてどうなさったの? 身体がお辛いの?」

 心配そうに顔を覗き込むこの妻が私の傍でいることに、心の底から感謝した。

「いいや、嬉しいんだ……」