「私、綺麗な濡羽色の髪のお兄ちゃまが大好きでしたのよ」

 あの頃夜空のように真っ黒だった髪色は、再会した時からずっと銀色に煌めいているから、あの時の少年だと気づけなかったのかも知れない。

 あんなに大好きだったのに、どうして忘れてしまったのか。
 
 そう自分を責める私に、貴方はあの時と変わらず優しい灰銀の瞳を細めて言うのです。

「あまりに悲しい出来事や、ストレスは忘れてしまうように出来ていると聞いたことがあります。まだ幼かったヴィオレットお嬢様が、その頃ちょうどお母様を亡くされたのですから、そうなってもおかしくないんですよ」

 そうして会長は、ご自分の銀の御髪に私の手を添えさせましたわ。

「貴女の好きだった濡羽色ではない、この髪色はお嫌いですか?」

 整ったお顔立ちのとても素敵なお方に、そう心許なげに尋ねられて……私も一世一代の大舞台と思い、素直になると決めましたの。

「私、お兄ちゃまの黒髪が大好きでしたわ。でも、何も知らないままに会長に出会って、今度はその美しい銀髪に恋をしましたのよ」

『私は二度、貴方に恋をしましたの』とお伝えすることができました。

 フォスティーヌ夫人からラングレー会長と私の幼い頃の関係をお聞きして、まず不思議だったのはお兄ちゃまの髪と全く違った現在の会長の髪色でしたわ。

 ――あのあと身寄りの無いはずのお兄ちゃまは、いつの間にか邸から居なくなっていたそうなのです。

 フォスティーヌ夫人もご家族も、心配しましたが見つけることは出来ずに……ずっと気がかりだったと仰っておりました。

「フォスティーヌ夫人のお邸から出て、どうやって暮らしていたのですか?」
「はじめは孤児院へ向かうつもりでした。でもそれではいつまで経ってもお嬢様を迎えに行けないと思ったので……」

 過去の出来事を思い出しているのでしょうか、少し寂しげな遠い目をしてラングレー会長は語り始めました。

「まず市井の裕福な商家の邸の、住み込みの使用人として働きました。何もできない子どもでしたから、大人の嫌がることを率先してやりました。そのうちその家の主人である商人の傍で、従者として働くことができるようになったのです」

 そこからは、若くして黒髪が白髪になってしまうほどの辛く苦しい日々を重ねて、今のラングレー商会の走りとなる小さな商会を始められたそうです。

「ラングレー商会の名が少しずつ知られるようになった頃、フォスティーヌ夫人と偶然再会したのですよ。そこからはフォスティーヌ夫人の計らいもあり、順調に商会の規模を拡大していきました」
「私は、フォスティーヌ夫人から何も聞いておりませんでした。何故教えてくれなかったのでしょうか?」

 会長は整ったお顔の眉尻を下げて、僅かに首を振りました。

「その頃の貴女はブルレック辺境伯令息と婚約していて。フォスティーヌ夫人からも、この婚姻からは逃れられないことだと伺ったのです」
「フォスティーヌ夫人は、私の『加護を引き継ぐ者』としての役目については詳しくお話にならなかったのですね」

 そう、あの頃は辺境伯領を私の『加護』によって安定させるということしか考えられず、どんなにフェルナンド様に嫌われようが、辺境伯領の為、国の為に意地になって婚姻を結ぼうとしておりました。

「話したくても話せなかったのでしょう。それでもフォスティーヌ夫人は、『貴方は貴族ではないけれど、頑張って商会を大きくすればいずれはヴィオレットとつり合う立場になれる』と励ましてくださった」
「ラングレー商会のアルフォンス・ラングレーは、今では国内有数の大商会の会長ですものね」

 自惚れでないならば……ここまで私を思ってくださったのは幼馴染のお嬢様としてではなく、一人の女性としてだと思っても良いのでしょうか?

「私がたとえ辺境伯領へと嫁いでも、その地が安泰であるようにと武器を輸入し、貿易によって国の価値を高めるなどして辺境の安定を図ってくださったのは……そこまで私のことを好いてくださっていると思ってよろしいのかしら?」

 どうかお願いと祈りながら、緊張で胸が張り裂けそうになりながらも何故かここで強がって、いつも以上に高飛車な言い方しかできない私は意気地なしですわ。

 その時、ラングレー会長はふっとお顔を綻ばせて私の身体を優しく抱き締めたのです。

「そうでなければ、ここまでの困難と戦うことはできなかったでしょう。お嬢様、大変お待たせしてしまって申し訳ありません。遅ればせながら、お迎えに参りました」