越後上布が紡いだ恋~祖母の着物を譲り受けたら、御曹司の溺愛がはじまりました~

「へぇ良い感じの店だな」

 よく聞き知った声がして、瞬時に身体が凍った。健司だ。
 私は振り返ることができず、固まったまま目だけをキョロキョロさせていた。哲朗は何かを察したらしく、私から注意を逸らすように健司を案内する。

「いらっしゃいませ。奥のテーブル席にどうぞ」

 哲朗が気を利かせてくれ、ふたつの足音が離れていく。健司は女連れらしい。結婚するとかいうお相手かもしれない。
 気まずい沈黙。哲朗は私のために、何も聞かないでいてくれるのだろう。

「あの人、なんです。私の元彼……」

 正直に打ち明けた言葉は、少し強張っていた。呼吸が浅くなり、心臓の音が煩わしい。こんな姿、哲朗には見せたくなかった。

 やっと幸せになろうと、それに向けて頑張ろうと思えたのに。

 どうして健司は、私の人生の邪魔ばかりするのだろう。ただ前に進もうとしているだけなのに、立ちはだかって私の希望を奪っていく。

 きっと疫病神とは、健司のような人を言うのだろう。私の心を荒ませ、行く先に陰を落とし、世界を一瞬で暗黒に落としてしまうのだ。