葛西(かさい)栗花落(つゆり)は先日、三年間交際している彼氏からプロポーズを受けた。

相手の名前は西山(にしやま)(まさる)

二人は同じ蓬田(よもぎだ)商事で働く同期社員で、現在は他部署に配属されているが、研修の時は一緒に働いた経験もある。

勝のツンと毛先の立った七三分けの髪は清潔感があり、大きな瞳が印象的だった。
鼻筋もスッと通っていて、全体的に爽やかな風貌だ。休日はサッカーをしているから、肌も健康的に焼けている。
身長は百八十センチ超えで、世間一般から見ても、彼はイケメンの部類だ。

彼の気さくで、誰とでも仲良くできる明るい性格が好きだった。
友達の少ない栗花落にとって、憧れのような存在でもあったことは確かだ。

けれど、そんな彼にも勿論、欠点だってある。
勝はとにかく掃除が苦手で、食べたカップ麺をテーブルに置きっぱなしのまま寝てしまったり、洗濯も柔軟剤を使わないから服がカピカピで、栗花落が定期的に勝の部屋を掃除しないと大変なことになる。

きっと、結婚しても彼の家事嫌いは変わらないだろう。
だが、彼の肌に触れることで得られる安心感、放っておけない愛くるしさ、怪我をした時にすぐ手当てをしてくれる優しさに、栗花落は完全に惚れていたのだ。

(プロポーズ、すぐには返事をしなかったけど、将が私との将来について考えてくれていたことは嬉しかった。不安なこともあるけど、彼との未来を真剣に考えてもいいかもしれない)


――――と、この時までは本気で思っていたのだ。それなのに。


「ちょっと、勝~。今日はキス禁止って言ったでしょ?」
「我慢できなかったの。許して?」
「私、女の子の日なんだよ? エッチしたくなってもできないんだから、もうちょっと待っててよ?」

会社の資料室の中で、聞こえるはずがない会話が栗花落の耳を犯した。
『勝』。『キス』。『エッチ』。
そんなはずはない……。勝なんて、特段珍しい名前じゃないから、他の人の可能性だってある。
でも……。

「お腹、痛い?」
「痛くないよ。軽いもん」
「それなら、キスくらい良いじゃ~ん」

二人の声質を、栗花落が聞き間違えるはずがない。

(知ってる。この声)

信じたくないことが、今、目の前で起きている。
栗花落が資料室で作業をしていたことに気づいていない二人は、ここが二人だけの秘密の空間だと思い込んで、互いの腰に手を当てながら顔を寄せ合う。

遠くからでも、見間違いようがない。
男は、西山勝。
女は、栗花落と普段から仲良くしている同部署の後輩、斎藤(さいとう)彩絵(さえ)

(なんで? なんで彩絵ちゃんが、勝と一緒に居るの? 私が勝と付き合ってること、彩絵ちゃんも知ってるよね? え? どうして?)

彩絵は、今年新卒で入社してきた、栗花落の教育担当の子だ。
入社初日からツインテールで来た時はびっくりしたが、愛くるしい容姿もあって、その髪型がよく似合っている。

百五十センチと小柄な彼女は、右頬に愛くるしいえくぼがあって、笑うと小さな顔に花が咲いたように可愛らしかった。
なんでも素直に受け止めて、ひたむきに仕事をしてくれる良い後輩ができたと思って、この三カ月間、彩絵とは友達のような関係を築いてきたつもりだ。

それなのに、なぜ?

頭が、この状況に追い付かない。
……いや、本当は分かっている。分かっていることに、気づきたくないだけだ。

二人が、栗花落に隠れて身体を重ねている。

その事実を、受け止めたくない。
受け止めてしまったら、何かが確実に、壊れてしまうから。

でも、ここで黙って息を殺して、存在を無にして、二人の関係を見なかったことにするのは正しい行為だろうか?
後日問い詰めたところで、勝はきっとしらばっくれるだろう。

言うなら、今しかない。

「――――ちょっと!」