「ほら、優香もこっち来てお茶でも飲んだら? 子供は姉さんに見て貰って。今日は叔母ちゃん、あなたに良いお話を持って来てあげたのよね」
ご機嫌な笑顔で、春子が優香のことを手招きする。隣の席に座りなさいとばかりに椅子を引かれてしまい、優香も渋々ながらテーブルについた。我が家さながらにポットから急須へと湯を注ぎ、春子は慣れた手付きで湯呑に淹れた緑茶を姪っ子の前に置いていく。
「大輝君の一周忌も無事に終わったんでしょう? そろそろ良いんじゃないかって姉さんとも話してたのよ」
言いながら、春子がガサゴソと鞄から大き目の茶封筒を取り出してくる。
「ほら、優香はまだ若いから、子供が居ても是非にって言ってくれる人はいらっしゃるのよ」
「はぁ……」
そこまで聞いて、優香はその封筒の中に何が入っているのかを勘付いた。途端にうんざり顔へと変わる姪っ子には気にも留めず、春子は一方的に話を続けていく。一旦ペースを掴んだ叔母のことは、もう誰も止められない。
春子はいつも自分がやることが一番正しいと信じて疑わない。まるで世界は叔母を中心に回っていて、彼女の全ての選択に間違いはないと思っているかのように。
「そりゃあね、初婚の時に比べたらお相手の条件は多少は悪くなるかもしれないけど、これから一人で子供を育てることを考えたら、やっぱり誰かが一緒の方がいいじゃない。陽太だって大きくなれば兄弟が欲しくなるだろうし、いつまでも一人っ子じゃ可哀そうよ」
優香の目の前に釣書と写真を並べていく。まだ二十代の優香のお相手としてはかなり年上な雰囲気の男性二人の顔写真。うち一人は両親の方が年齢が近いのではと思えるほどだ。意気揚々と紹介されていくのを、優香は他人事のように聞き流していた。
話しながら必要な資料を提示する手際は、長年の保険セールスの賜物なのだろう。叔母が成績優秀な保険レディーなのは母から妹自慢でよく聞かされていた。これが興味のある話題なら、間違いなく身を乗り出して食いついて聞いていたかもしれないし、叔母の思惑に従ってしまっていたはずだ。
でも、今回だけは残念ながら全く違う。「まだそういうつもりは……」と断りの言葉を口にしかけた姪っ子に、春子は首を横に振って打ち消してくる。
「姉さん達だって孫が陽太一人きりなんて寂しいじゃない。昭仁のところはあまり期待できないみたいだし、優香が頑張ってあげないと――」
兄嫁が不妊治療中だということまで知っているらしく、春子が声を潜めて囁いてくる。リビングで陽太の相手をしている姉には聞こえないトーンで。
優香にとっても大輝の一周忌を迎えたことは、一つの大きな節目にはなっている。けれどそれは、亡き夫のことをもう忘れてもいいということでは決して無い。大輝のことを常に想いながらも、何とか生きてきた一年。でも、まだたったの一年しか経っていないのだ。一年だけで、何がどう変わるんだろうか。
いきなり春子叔母さんから振られた再婚話は、正直言って辛かった。もう他の人達の中では大輝がとっくに過去の存在になっているのかと思うと、無性に胸が苦しくなった。大輝と過ごした日々全てを無かったことにされたような気がして、どうしてという気持ちでいっぱいになる。
「子供が小さい今の内なら何とでもなるのよ。大きくなってから急に新しい父親ができて、それがキッカケで不良にでもなったらどうするの? 母親が後ろばかり向いてたら、陽太が可哀そうよ」
せっかく持ってきた見合い話に優香がまるっきり興味を示さないことが、叔母である春子には不満だったようだ。仕事で生命保険も取り扱っているから、配偶者に先立たれた人達とは関わる機会が多い。だからこそ、可愛い姪には苦労が少なくて済むようにと最良の助言をしてくれたつもりらしい。
「……もしかして、あれなの? 向こうの実家から何か言われてるとかじゃないわよね? 長男の嫁なんだから老後の面倒を見ろとか、再婚するなら孫はこっちへよこせ、とか」
「ううん、それはない」
怪訝な顔で聞いてくる叔母に対して、優香は速攻で否定する。
「もしそうだったら、死後離婚とかも考えた方がいいわ。姻族関係終了届っていうのがあって、役所で簡単に手続きできるんだから」
放っておいたら話がいつの間にか全く違う方向へと進み始める叔母。優香はハァと露骨に深い溜め息をつく。すでに冷めてしまった緑茶の残りを一気に喉へ流し込むと、おもむろに席を立ってダイニングの隅に置かれた段ボール箱を開封し始める。黙って聞いていても嫌な気分にしかならないのなら、さっさと用事を済ませて家に帰った方がマシだ。母の字で『優香』と書かれた箱の中から、卒業アルバムなどを回収し終えると、リビングで遊んでいた息子のことを抱き上げる。
「残りは捨ててくれていい。後はもう要らない物しか入ってないから」
「あら、もう帰っちゃうの?」
膝に乗せてあやしていた孫を取り上げられて、母親が残念そうな顔をする。それには少しばかり胸が痛んだが、今日はあまり長居したい気分じゃない。また近い内に遊びに来るからと言い残し、優香はそのまま実家を出た。
ご機嫌な笑顔で、春子が優香のことを手招きする。隣の席に座りなさいとばかりに椅子を引かれてしまい、優香も渋々ながらテーブルについた。我が家さながらにポットから急須へと湯を注ぎ、春子は慣れた手付きで湯呑に淹れた緑茶を姪っ子の前に置いていく。
「大輝君の一周忌も無事に終わったんでしょう? そろそろ良いんじゃないかって姉さんとも話してたのよ」
言いながら、春子がガサゴソと鞄から大き目の茶封筒を取り出してくる。
「ほら、優香はまだ若いから、子供が居ても是非にって言ってくれる人はいらっしゃるのよ」
「はぁ……」
そこまで聞いて、優香はその封筒の中に何が入っているのかを勘付いた。途端にうんざり顔へと変わる姪っ子には気にも留めず、春子は一方的に話を続けていく。一旦ペースを掴んだ叔母のことは、もう誰も止められない。
春子はいつも自分がやることが一番正しいと信じて疑わない。まるで世界は叔母を中心に回っていて、彼女の全ての選択に間違いはないと思っているかのように。
「そりゃあね、初婚の時に比べたらお相手の条件は多少は悪くなるかもしれないけど、これから一人で子供を育てることを考えたら、やっぱり誰かが一緒の方がいいじゃない。陽太だって大きくなれば兄弟が欲しくなるだろうし、いつまでも一人っ子じゃ可哀そうよ」
優香の目の前に釣書と写真を並べていく。まだ二十代の優香のお相手としてはかなり年上な雰囲気の男性二人の顔写真。うち一人は両親の方が年齢が近いのではと思えるほどだ。意気揚々と紹介されていくのを、優香は他人事のように聞き流していた。
話しながら必要な資料を提示する手際は、長年の保険セールスの賜物なのだろう。叔母が成績優秀な保険レディーなのは母から妹自慢でよく聞かされていた。これが興味のある話題なら、間違いなく身を乗り出して食いついて聞いていたかもしれないし、叔母の思惑に従ってしまっていたはずだ。
でも、今回だけは残念ながら全く違う。「まだそういうつもりは……」と断りの言葉を口にしかけた姪っ子に、春子は首を横に振って打ち消してくる。
「姉さん達だって孫が陽太一人きりなんて寂しいじゃない。昭仁のところはあまり期待できないみたいだし、優香が頑張ってあげないと――」
兄嫁が不妊治療中だということまで知っているらしく、春子が声を潜めて囁いてくる。リビングで陽太の相手をしている姉には聞こえないトーンで。
優香にとっても大輝の一周忌を迎えたことは、一つの大きな節目にはなっている。けれどそれは、亡き夫のことをもう忘れてもいいということでは決して無い。大輝のことを常に想いながらも、何とか生きてきた一年。でも、まだたったの一年しか経っていないのだ。一年だけで、何がどう変わるんだろうか。
いきなり春子叔母さんから振られた再婚話は、正直言って辛かった。もう他の人達の中では大輝がとっくに過去の存在になっているのかと思うと、無性に胸が苦しくなった。大輝と過ごした日々全てを無かったことにされたような気がして、どうしてという気持ちでいっぱいになる。
「子供が小さい今の内なら何とでもなるのよ。大きくなってから急に新しい父親ができて、それがキッカケで不良にでもなったらどうするの? 母親が後ろばかり向いてたら、陽太が可哀そうよ」
せっかく持ってきた見合い話に優香がまるっきり興味を示さないことが、叔母である春子には不満だったようだ。仕事で生命保険も取り扱っているから、配偶者に先立たれた人達とは関わる機会が多い。だからこそ、可愛い姪には苦労が少なくて済むようにと最良の助言をしてくれたつもりらしい。
「……もしかして、あれなの? 向こうの実家から何か言われてるとかじゃないわよね? 長男の嫁なんだから老後の面倒を見ろとか、再婚するなら孫はこっちへよこせ、とか」
「ううん、それはない」
怪訝な顔で聞いてくる叔母に対して、優香は速攻で否定する。
「もしそうだったら、死後離婚とかも考えた方がいいわ。姻族関係終了届っていうのがあって、役所で簡単に手続きできるんだから」
放っておいたら話がいつの間にか全く違う方向へと進み始める叔母。優香はハァと露骨に深い溜め息をつく。すでに冷めてしまった緑茶の残りを一気に喉へ流し込むと、おもむろに席を立ってダイニングの隅に置かれた段ボール箱を開封し始める。黙って聞いていても嫌な気分にしかならないのなら、さっさと用事を済ませて家に帰った方がマシだ。母の字で『優香』と書かれた箱の中から、卒業アルバムなどを回収し終えると、リビングで遊んでいた息子のことを抱き上げる。
「残りは捨ててくれていい。後はもう要らない物しか入ってないから」
「あら、もう帰っちゃうの?」
膝に乗せてあやしていた孫を取り上げられて、母親が残念そうな顔をする。それには少しばかり胸が痛んだが、今日はあまり長居したい気分じゃない。また近い内に遊びに来るからと言い残し、優香はそのまま実家を出た。


