いつものように貴族学校へ馬車で向かう最中の事だった。馬車がいきなり止まったかと思えば、左側の石畳の歩道に男女2人が突っ立っているのが窓から見えた。
 はあ、またあの女を伴っているのか。あの馬鹿婚約者は。

「イヴ! すまないな」
「バトラー様。いえ。大丈夫です」
「イヴ様おはようございますぅ。馬車失礼いたしますわぁ」

 男の方はバトラー。茶髪をきっちりと七三分けした髪形をしており、長身でも小柄でもない体格の持ち主である。伯爵家の令息で私・イヴの婚約者になる。

 そして女の方はユミアと言って子爵家の令嬢である。金髪をハーフアップにしてピンクのリボンを付けている。私が霞むくらいの美人だ。

 私の家はバトラーと同じ伯爵家。彼と婚約したのは12歳の時でまだ貴族学校に入る前の事だ。私の父親は伯爵家でありながら騎士団長を役目も担っている。騎士団長に付く事は貴族の男に取っては光栄な事。彼もまた騎士団長になりたいと強く望んでいた。

(あの時はまだバトラー様も可愛げがあって私一筋だったのに)

 しかし半年くらい前。バトラーは何かに目覚めたのか、婚約者である私以外の女と親しくするようになった。それがこのユミアである。ユミアはいつも猫なで声を出してバトラーに甘えている。そして私がバトラーと親しく会話をしていると、それが気に食わないのかフグのような顔をしてきっと私に睨みつけてくるのだ。

(はあ、また馬車の中でいちゃつき始めるぞ……)

 私の予感が的中していたようだ。ユミアはバトラーの首元に手を回し早速あれが欲しいこれが欲しいとおねだりを始めた。

「ねえ、バトラー様ぁ。真珠のネックレスが欲しいのですぅ。買っていただけませんことぉ?」
「あ、ああ……良いよ」
「……バトラー様。予算は大丈夫なのですか? 真珠は今はかなり高騰していると聞きますが」
「何ですのイヴ様! 令嬢なら真珠のネックレスの1つや2つ持っていて当たり前でしよ!」
(これ以上は無駄だな)
「そうですか。ではどうぞご自由に」

 そう呆れながら呟くと、ユミアはまたバトラーにおねだりを再開した。次は真珠のネックレスだけでなく夜会用のドレスまでねだり始めている。

 ユミアは実にわがままで頑固で厄介な人物だ。彼女は1人っ子という事もあってか子爵夫妻から大変可愛がられていると聞く。それに貴族学校ではああ見えて成績は良く、問題児どころか教師らからも人気なのだそうだ。

(はあ……めんどくさい)

 そうこうしていると貴族学校に到着した。私達は御者の手を借りながら馬車から降りて、学校の校舎に入る。校舎の中に入って廊下を歩く時もユミアはずっとバトラーにくっついたままだ。教室は私やバトラーとは違うのにずっとくっついている。

 そろそろ彼女には自分の教室に戻るように促すべきなのだがまた何か言われると思うと気が引ける。

(なんて言おう)

 その間にもユミアはバトラーにずっと真珠のネックレスに夜会用のドレスにその他アクセサリーをねだり続けていた。

「お願いバトラー様ぁ」
「ああ、仕方ないな。買ってやるよ。ユミアは可愛いからな」
「まあ! 私を可愛いと仰って頂けるなんて!」

 するとユミアはすぐに私の方に振り向き、ゴミを見るような目とニヤリとした笑いを浮かべる。

(ふん、そういう表情すると思った)

 私はそんな彼女のあくどい表情に目を向ける事もしなかった。そうこうしていると私とバトラーの教室の前に到着する。

「バトラー様。教室に入りましょう」
「ああ、そうだな。入るか」
「嫌! 待ってバトラー様ぁ! まだお話が……!」
「ユミア様は教室違うでしょう? 早くしないとベルが鳴りますよ」
「何ですの、イヴ様のいじわる! 私とバトラー様を引き裂こうとしてるのですわね!」

 ユミアの叫び声に呼応するかのように教室にいる生徒がじろじろとこちらを見ている。ユミアは学校でも人気者の存在だ。なので私からすると不利な状況に置かれている。

「またイヴさんがユミア様をいじめてる……」
「イヴってバトラー様と婚約してるだけじゃない」
「どうせ形だけの婚約でしょ?」
(はあ……また陰口が始まった)

 ひそひそという陰口が耳に入って来るのを我慢していると教室に向かってくる人物が見えた。

「おはよう。3人とも」
「こ、コーディ様……!」

 コーディ様。クルエルティア公爵家の長男で次期当主。金髪のショートヘアに長身で肉付きの良い体格をしている人物だ。それはバトラーが貧相に見えるくらいのもの。
 また彼はその美しい容姿と公爵家出身と言う事から貴族学校に通う男女の憧れの的な存在である。

「ユミア。イヴとバトラーが困っているよ。早く自分の教室に戻るんだ」

 宝石のように輝かしい笑顔を浮かべるコーディ様からそう促されたユミアははぁい。と返事をして素直に自分の教室に向かっていく。

(助かった……)
「コーディ様。お気遣いありがとうございます」
「いやいや。イヴ。俺のお節介だから。バトラーも嫌ならしっかり嫌と言うべきだよ」
「……っ。そうだな。すまない」

 正論を言われたバトラーはすげすげと自分の席に向かっていく。彼の背中には情けなさが漂う。

「はあ……」

 私は息を1つ吐いて、自分の席に着いたのだった。

 夕方。この日はバトラー様のお屋敷で夕食を頂く予定だ。学校の正門前に馬車が止まっているはず。私はバトラーに声を掛ける。

「バトラー様。もう迎えの馬車が来ているかと思われます。行きましょう」
「ああ、イヴ。その事だが……今日は急用が出来てしまって無かった事になった。すまない」

 バトラーはそう素っ気なく答えると足早に教室から出ていく。

「ま、待ってください」

 すると廊下でユミアと鉢合わせする。ユミアはバトラーを見つけるとすぐに彼の右腕を抱き締めるように組んだ。

「バトラー様ぁ! お待ちしておりました! では参りましょう!」
(ああ……急用って……)
「バトラー様。急用ってそう言う事ですか?」
「ああ、イヴ。すまない。さあ、ユミア。一緒に行こう」
「はい♡ バトラー様ぁ」

 2人は私を置いて学校前の馬車に乗り込む。私も乗り込もうとしたが、御者から乗れないと言われて降ろされてしまった。

「まあ、イヴ様かわいそう!」

 ユミアの高笑いが速いスピードで進む馬車から聞こえてきたのだった。

「はあ……何よ」

 とてつもなく自分が惨めだ。それに後ろからはひそひそとまた陰口が聞こえて来る。

(帰ろう。徒歩でもいいや……)

 すると私を呼ぶ男子生徒の声が聞こえて来る。コーディ様だ。

「コーディ様?」
「イヴ、どうしたんだ? 今日はバトラーと一緒に帰らないのか?」
「あ、ああ……実は」

 私は包み隠さずバトラーがユミアと一緒に馬車で帰って行った事をコーディ様に伝えた。

「そうか……かわいそうに。じゃあ、俺の屋敷に来ないか? 両親は今はいないから泊まってもいいよ」
「えっ」
「驚く事でも無いだろう。だってクラスメイトじゃないか」
「そ、それは……そうですが」

 コーディ様からのいきなりの誘いに私は驚く。しかし心の中では彼へ気持ちが傾く自分がいた。
 私は一応バトラーとは婚約している仲なのに。

(あっちは私じゃなくてユミアを優先した。なら、私もコーディ様を優先していいよね……?)

 これが悪魔の囁きか私の本音かは分からない。気がつけば私は優しくにこやかな笑みを浮かべたコーディ様に手を引かれて、彼の馬車に乗り込んでいた。
 コーディ様の馬車はさすがは公爵家というべき豪華な作りだった。椅子の座り心地もうちやバトラーの馬車よりも柔らかくて座りやすかった。