「……誰もあんなことが起こっていたなんて、夢にも思わないでしょうね」

 私は明日、夜が明けてから、偶然に道を通り過ぎている人たちが、柑橘の匂いを嗅いで不思議そうな顔をしているところを想像して、微笑んでしまった。

 私を誘拐したショーンは、結構な速度で道を走らせていたし、カルムは重い樽をいくつも積んだ荷馬車で、必死で追いかけてくれていたのだろう。

「あの樽は、出荷間近だったと聞いているし……君の損害があったなら、僕が言い値で買い取らせてもらうね」

 真面目な顔をしてジョサイアはそう言ったので、私は苦笑するしかない。

「まあ……モーベット侯爵。それを取引先へ言ってしまえば、どんなに天文学的な多額の値段をふっかけられても、文句が言えないのを、知っています?」

 宰相補佐のこの人が、それもわからないくらいに、世間知らずでなんて、あるはずないのに……ジョサイアは、いたずらっぽく笑った。

「もちろん。僕が何倍の額でも、支払わせてもらうよ。妻の無事に、金を渋るような夫が何処にいる?」

 さっきまで一緒に居たショーンともし結婚をしたなら、彼は渋りそうな人だけど。なんだか、容易に想像がつくわ……まあ、私にはもう関係のない話ね。

 その前までの出来事がどうであれ、私が結婚したのは、目の前に居るジョサイア・モーベットだもの。

「そうねえ……私の事業にこれから必要だから、いくつか店舗を買ってもらおうかしら?」

「良いですよ。もう、店には目星は付いている?」

 ジョサイアにすんなりと頷かれて、私は少し焦った。 

 少し笑える冗談のつもりで私は言ったんだけど、そういえばジョサイアは、とてもがつくくらいに真面目な人だった。

 しかも、裕福で経済力だって持っていて……それが出来てしまうのも怖い。