限界社畜である龍子は、どんな状況でも寝られる。
 繊細さなど腹の足しにもならぬ。疲労滅ぶべし。
 その精神で挑み、見事に勝利した。

 というのも、前夜は社長室での邂逅の後、コタツと一緒に高級車に乗せられ、都内とは思えない広大な敷地の一戸建て猫宮家本宅に連れ込まれた。そこでシャワールーム付の部屋と着替え一式をあてがわれた結果、「何がなんだかわからないが命の危険は無いなら寝よう」と判断し、寝た。
 それはもう健やかに。

 明けて、朝。

「よく寝たわ…………」

 窓からは明るい光が差し込んでいる。
 見慣れぬ天井は、ベッドを覆った木製の天蓋。
 起き上がって室内に目を向ければ、そこはレトロ建築好き垂涎の西洋館らしき一室。龍子も、仕事で扱っているのは不動産だが、こういった建築や内装には目がない。
 ベッドからするりと抜け出すと、裸足のまま部屋の中を歩き回り、調度品のひとつひとつを見て歩いた。

(天井はアールデコ様式のシャープな意匠、シャンデリアはたぶんアンティーク。壁紙は落ち着いたモスグリーン。家具類は新しいものもありそうだけど、あの天蓋付きベッドのいかつさはいかにもアンティークだし、このカウチソファの張り地も、見間違いでなければヴィクトリアンあたりのジャガード生地……、とても座れない)

 重厚ながらも趣味の良さを感じさせるインテリア。
 アンティーク調で似たようなものを家具屋で買い求めてもかなり値が張りそうだが、ここは猫宮社長の本宅。
 いくつかは本当に百年から百五十年前、明治大正時代に西洋から輸入された年代物ではないかと思えば、使用どころか触れることすら気後れする。
 前夜投げ出したカバンが、肘掛けまで優雅な曲線を描くローズウッド材らしき一人がけソファに無造作に投げ出されているのを見つけ、龍子は飛びついて持ち上げた。

「博物館に展示されていても不思議はない家具になんてことを……! 立入禁止のポールをたててロープ渡して保護しておくべきでは。こんな文化財に触るなんて、恐れ多い」

 怖い怖いと呟き、ふと部屋の隅に目を向ける。
 そこに、この空間には何もかも不釣り合いながら見覚えのあるコタツを見つけ、その親しみあるフォルムにほっと息を吐き出した。

「持ってきて良かった。コタツがあれば他に何がなくとも」

 こんなゴージャスな空間にひとりきりでは胃が痛すぎるので、コタツの存在が沁みる。
 いそいそ近づき、バッグを天板に置くと、木の床に腰を下ろして溜息。布団を置いてきたのが悔やまれる。
 ちょうどそのとき、コンコン、とノックの音が響いた。
 返事をしようとして、龍子は自分がガーリーなネグリジェ姿であることを思い出す。名前は聞いたことがあるが、生涯縁がなさそうだと思っていた高級ブランドの。

「古河さん、起きているだろうか」
「は、はい! 起きていますがパジャマです! すみません!」

 声の主は猫宮。声だけでは、人間か猫か判別つき難いが、ノックした以上人間形態と考えるのが妥当。惜しい。

「起きているなら、そのまま聞いて欲しい。昨日は準備が後手にまわって済まなかった。着替えを用意したので、部屋の前に置いておく。俺の番号のメモもあるから、支度ができたら電話してくれ。この家は客がひとりで歩くと、迷う」
「はーーいっ!」

(迷う……さすが大邸宅)

 今更ながらとんでもないことになっているな、と思いつつ龍子は立ち上がってドアに向かった。


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