龍子がお金を必要としている理由。
 それは、人手に渡ってしまった、地元函館の祖父母の屋敷を買い戻す為であった。

 函館山の麓の、少し入り組んだ未舗装の道の先にぽつんと建っている一軒家。
 屋敷自体はさほどの大きさではない木造平屋だが、庭がとにかく広く、ざっと二百坪。
 山との境目には一応塀があり、敷地として区別してはいるが、遠目には実質山の一部のような木立が庭の中にあった。
 そして、積み重なった岩の間から澄んだ水が滝となって迸っており、川となって池に流れている。そこには弁柄(べんがら)色に塗られた橋がかかっていて、桜や紅葉といった季節を彩る木々に囲まれた四阿(あずまや)へと続いていた。

(春の、猛烈に桜が散る中で見上げた青空とか、夏の夜の草の匂いとか。秋に聞いた虫の声、満月。池に静かに雪が振り続ける冬。いま思うと、あそこで目にした光景はいつも現実離れしていて、異世界にでも通じているんじゃないかって思っていたなぁ……)

 屋敷は、数年前に祖父母が相次いで亡くなった後、龍子の母が相続していた。
 だが、龍子が大学四年生の頃、遠方に暮らす父方の祖母の体調が悪化。介護のために行き来をしたり、そのうち同居となってバタバタしているうちに、屋敷の管理に手が回らなくなり、声をかけてきたひとがいて売却してしまったというのだ。
 龍子が話を聞いたのはすでに手続きがすべて済んでからのことで、両親から聞き出した売値は学生の龍子がすぐに用意できるようなものではなかった。

(気持ちの上では「なんで」だったけど……。おばあちゃんと同居するために、家のリフォーム資金が必要だったって言われたらだめなんて言えないし。受け取ったお金は使った後だし、すぐに返して契約を無効に――なんて無理なこともわかっていたから)

 幸い、不便な場所ということもあってか、すぐに解体等手を入れている様子はないという。龍子は可及的速やかにお金を用意して、買い戻すことを現在の第一の目標としている。
 もちろん、どうにか買えたとしても、今度は維持費の問題が出てくる。
 二百坪の庭に、季節ごとに年数回造園業者を頼んで草木の剪定。龍子自ら屋敷の管理に行けないときには、ひとにお願いして風通しをしてもらう必要がある。
 買うまでも、買ってからも、お金はかかり続けるのだ。

 だからこそ、貧乏アパート住まいを続け、生活も切り詰めてきた。
 社長とその秘書からの怪しげな誘いにも、「手当は出る」と聞いてしまえば、諸々言いたいことを飲み込んで引き受けてしまう。
 たとえそれが「あやかし」絡みという摩訶不思議な案件で、位置づけはお猫様係で公私ともに社長と過ごすのが業務内容だとしても。

 かくして龍子の社長秘書生活が始まったのだった。

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