俺の名は涼介。
公立の学校に通っている、ごく普通の男子生徒だ。
俺には幼稚園時代からの幼馴染がいる。
恵美だ。
ルックスで言えば、世間一般的にはかわいい子ということになるらしい。
というのも、恵美の写真をクラスの男友達に見せたら、うらやましいだの、紹介しろよだの、そんな風に言われることが多いからだ。
だが、彼女の性格を知り尽くしている俺に言わせれば、まあ、写真で見るだけにしておけ、と思ってしまう。
恵美は推理小説を読んだり、探偵が出てくる映画を観たりするのが好きな、いわゆるミステリーファンというやつだ。
それだけなら何も問題ないのだが、恵美は私生活でもすっかり「名探偵」になりきっているのだ。
何でもかんでも推理、推理、推理……
俺はどちらかというと、アクション映画とかの方が好きなんだけどな。
昨日まで降り続いた雨は今朝になって止み、俺は学校からの帰途についていた。
交差点の向こうから、幼馴染の恵美がやってくる。
恵美は私立の制服を着ていて、それがよく似合っている。
俺は公立に通っているので、恵美とは学校が違うのだ。
にも関わらず、下校時間にこうして恵美と出会うのは、恵美の家が俺の向かいにあるからなのだ。
「涼介! 塾はサボり? だめですね」
出会い頭のセリフがいきなりこれだよ……
恵美は続ける。
「あれ? なんでサボったことバレてる? って顔しているね」
俺は顔に出やすいタイプだ。
恵美はニヤニヤしながら指摘してくる。
「いつもはあっちの道から出てくるはずなのに、今日はこっちから来た。
塾はこっちの道じゃないよね~」
俺の行動パターンが読まれている。
恵美は人差し指を出して、顔の前で立てた。
「何をしていたか、当ててあげる!」
「いいよ……余計なお世話だよ……」
俺の言葉を聞き流して、恵美は勝手に推理を始めた。
「涼介……あなたは塾をサボって……本屋さんに行ってましたね」
ズバリと当ててくるから恵美は恐い。
「な、なんでそう思うんだよ?」
「ふふふ……」
恵美は立てた人差し指を左右に振る。
推理するときのお決まりのポーズだ。
そして、その人差し指を俺の足元へと向けた。
「その泥だらけの靴。ぬかるんだ道を歩いてきたでしょ」
確かに、俺の靴には泥が付いている。
「昨日まで雨、降ってたし……」
「今朝は止んでいたよ。それにほら、この辺りはほとんど乾いている。
それなのにその靴の泥、さっきついたばかりって感じ。
この辺りで水はけが悪い道は、あの本屋さんの前の通り」
靴を見て、どこを歩いていたかまで分かってしまうのか。
「しょ、証拠はあるのかよ?」
それを聞いて、恵美は吹き出した。
「何それ! 開き直った犯人みたいなセリフ。
でもいいよ、証拠、見せてあげる」
恵美は近づいて、俺の体を触った。
「え? 何すんだよ」
「証拠よ」
恵美は俺の服についていた何かを、指でつまんで見せた。
「はい、猫の毛。
この毛色はあの本屋さんにいるシロちゃんの毛。
涼介、お店のご主人と仲良しだから、雑談ついでに猫を抱っこさせてもらったんでしょ」
ここまで読まれてしまうと正直、怖いとすら思ってしまう。
そんなある日、名探偵(?)恵美に、事件の解決を依頼する出来事が起きた。
俺の家に、ピンポンダッシュをしてくる奴がいる。
ピンポンダッシュとは、用もないのに玄関のチャイムを鳴らして逃げるイタズラのこと。
チャイムが鳴り、モニターを見てみると、なぜか誰も映っていない。
カメラに死角があるのだろうか。
こういうことが最近続いている。
はじめは恵美がやっているんだろうかとも思ったが、恵美がいない時間にもチャイムが鳴らされている。
ある日、ピンポンダッシュを玄関で待ち伏せしてみたことがある。
鳴らされそうな時間帯に玄関で待機しておき、鳴った瞬間に玄関を開ける。
そうすれば、相手は絶対に逃げられないはずだ。
俺は待ち構えていた……
ピンポ~~ン!
今だ!
俺はすかさずドアを開けた。
が、誰もいない……
これにはさすがに背筋が凍った。
幽霊でも来ているのか?
業者にチャイムを調べてもらったこともあるが、故障ではなかった。
恵美にこの話をしてみると、探偵の血が騒ぐのか、興味津々のようだ。
「ちょっと、チャイムを調べさせて」
二人で現場検証をしてみた。
「強い風でも吹いたんじゃない?」
我が家のチャイムは、軽く触れるだけで鳴るようになっている。
ボタンをバタバタ扇いでみた。
しかし、さすがに風で鳴るということはなかった。
「何かがぶつかったとか……」
当たった形跡がないか、表面や周辺の地面を調べた。
けれども、手がかりは見つけられなかった。
恵美は言った。
「涼介、明日学校からチョークの粉をもらってきて。
犯人を見つけ出すの」
翌日、俺は恵美に言われるままに、学校の黒板消しクリーナーからチョークの粉を取り出し、袋に入れて持ち帰った。
「どうすんだよ、こんなもん」
「まあ、見ていて」
恵美は玄関の前に粉をまき始めた。
チョークの粉はコンクリートの色にまぎれ、粉がまかれていることはぱっと見、分からない感じになった。
そうか! 犯人の足型を取るのか!
まるで鑑識だ……
そして、靴の裏に粉が付着するかもしれない。
そうなれば、証拠にもなる。
「何かあったら電話で知らせて」
そう言うと、恵美は向かいの家に帰っていった。
俺も家に入り、犯人が現れるのを待つことにした。
辺りは暗くなった。
ピンポ~~ン!
鳴った!
モニターを見てみるが誰も映っていない。
俺は急いで玄関に行き、ドアを開けた。
誰もいない。
さっそく、玄関先にまいた粉の様子を見てみた。
犯人の足跡が取れているはず……
あれ?
足跡が……ない……
俺はすぐに恵美に連絡した。
恵美は制服から普段着に着替えていた。
名探偵よろしく、恵美は虫メガネを持参して現場検証を始めた。
暗くなってはいるが、玄関は常夜灯で照らされている。
よく見てみたが、粉を誰かが踏んだような跡は見られなかった。
次に、チャイムのボタンを調べた。
何かをぶつけて鳴らした跡もない。
恵美は壁やチャイムのボタンを、虫メガネでまじまじと観察していた。
「ん? 涼介、ちょっと来て! 犯人が分かったかも!」
チャイムのボタンに、なんと白い粉がついている!
それは指紋などではない。
粉の跡はヤツデの葉っぱのような形になっていて、とても小さい。
さすがにこんなに小さいヤツデの葉っぱなんてない。
近くの雑草を調べてみたが、もちろん、そんな葉っぱはなかった。
それから恵美は、家を壁伝いに歩いて足元を調べていった。
犯人は現場からなるべく早く消えたいと思うもの。
奥の方を探しても意味がないだろう。
それとも、そこに犯人が潜んでいる?
しかし、人が隠れるような場所もなく、塀もあるので逃げることは難しい。
恵美は壁のそばの草むらも見て回っていた。
調べていた恵美の顔が一瞬、青ざめた。
恵美は静かにスマホを取り出すと写真を撮り、小走りに俺のところに戻ってきた。
「すべて分かった。この件は安心していいよ」
「どういうこと?」
「涼介、まだ宿題やってないでしょ?」
俺は帰宅してからずっとチャイムのことが気になっていたので、まだ宿題をしていなかった。
「宿題が終わったらメールちょうだい。真犯人を教えてあげるから」
恵美はそう言うと、にっこり笑い、向かいの家へと帰っていった。
俺は宿題を片付けることにした。
いつもは時間がかかる宿題も今日はあっという間。
見えない訪問者の正体を早く知りたいからだ。
宿題を終えた俺は、恵美に聞く前にまずは自分の頭で考えてみることにした。
チャイムのボタンについていた小さなヤツデの葉っぱみたいな跡。
恵美は家の壁沿いに歩き、写真を撮った。
その時、顔が引きつっていたのが気になるが、心配しなくていいと言った。
俺はしばらく考えてみた。
窓の外からコオロギの鳴く声が聞こえる。
結局、俺には何も分からなかった。
恵美に電話をしよう。
「宿題終わったよ。チャイムの犯人、教えてくれ」
「うん、いいよ。チャイムを鳴らしていたのはね……」
玄関のチャイムを鳴らしていたのは誰なのか。
モニターにも映らない。
鳴ってすぐ玄関を開けても誰もいない。
足型も取れない。
犯人は幽霊なのか?
恵美の答えは……
「ヤモリ」
え? 俺は拍子抜けした。
「ヤツデの葉っぱみたいな跡はね、ヤモリの足型。
足に粉を付けた状態でボタンに触ったんだと思う。
ヤモリは吸盤でもなくネバネバでもなく、ファンデルワールス力という力で壁にくっついて登るの。
だから、足に粉がついていても壁を登れるの。
でね、涼介の家の周りにはコオロギがいっぱいいるでしょ?
それを食べにヤモリがやってきた。
玄関には常夜灯があるから虫が集まりやすい。
ヤモリが玄関の壁を登って、足がチャイムのボタンに触れて鳴らしてしまったというわけ」
メールの着信音が鳴った。
添付された写真にはヤモリが写っている。
「今メール届いたでしょ? 写真のヤモリの足を見てみて」
画像をピンチアウトして見てみると、ヤモリの手足や腹部に白い粉が付いている。
「はい、これが犯人でした。
でもね、ヤモリは漢字で“家守”って書くこともあるから、基本的には縁起のいい生き物よ。いろんな虫を食べてくれるし」
「……恵美ってさ、ヤモリは苦手だろ?」
「あは、バレた?」
「写真撮る時、青ざめていたからな」
「ふふふ……」
名探偵でもヤモリは苦手なんだな。
「で、チャイムを鳴らされないようにするには、どうしたらいい?」
「ヤモリは爬虫類だから、ヘビ除けのスプレーが効くよ」
なるほど。さっそく実践してみた。
それからは、無人のチャイムは鳴らなくなった。
さすがは名探偵恵美だ。
* * *
そして、月日は流れた。
俺と恵美が下校途中で一緒になるのも相変わらずだ。
恵美との会話は、たわいもないものが多い。
そんなある日の帰り道……
「恵美、今日はテレビでホームズの映画の再放送があるぞ」
「知ってる! 私も見るよ!」
「恵美はホームズに憧れたりする?」
「もちろん! ねぇねぇ涼介~、ホームズごっこ、してみる?」
恵美が急に立ち止まったので、俺も慌てて立ち止まる。
俺は振り返り、恵美と向かい合った。
「は? ホームズごっこって、何?」
「涼介、ちょっと手を出して」
俺は手を差し出す。
恵美は、俺の手を見ると、急に握ってきた。
「こ、こんなところで握手かよ。何なんだ?」
「……涼介、最近体育で鉄棒やっていたでしょ。
それに、家庭科でお裁縫もしたんじゃない?」
むむむ……まったくその通りだ。
相変わらず恵美は鋭い。
恵美は急に視線をそらして手を放すと、どんどん先へと歩き始めた。
俺もついていく。
恵美は歩きながら推理を続けた。
「手のひらに豆ができていた。
それでね、体育で鉄棒やっていたのかな~って思って。
あとね、指先に小さい刺し傷があった。お裁縫で針が刺さったんじゃない?」
「握手するだけで、そこまで分かったのかよ!」
「ふふふ……ホームズはね、ワトスンと握手してすぐ、前歴を言い当てたのよ。だから、これがホームズごっこ。どう? 私って名探偵でしょ?」
「恵美って、そういうの好きだよな」
「うん。それでね、今、涼介と握手して分かったことが、もう一つあるんだ……」
「何?」
「それはね……明日この場所で教えてあげる!」
そう言うと、恵美は一人で走って帰ってしまった。
俺はその場に取り残された。
仕方ない……今日は一人で帰るとするか……
恵美と下校できないのは、なんだか寂しい。
俺は、さっきの恵美との握手のことを思い返していた。
恵美の手はとても温かかった。そして、柔らかかった。
恵美とは幼馴染で、幼い頃は二人で手をつないで遊んできたものだった。
しかし、この歳になって手をつなぐというのは、なんだかドキドキしてしまう。
俺の手、冷たくて嫌な感じとか与えていなかったかな?
そう考えると、なんだか不安になってきた。
家に帰った俺は、今日のことをもう一度考えてみた。
俺は恵美のことを、今まではただの幼馴染だと思ってきた。
けれど、今日、恵美に手を握られて、改めて思ったことがある。
俺は恵美のことが好きだ。
その思いを認めざるを得なかった。
明日、俺の思いを恵美に伝えよう。そう決心した。
あの名探偵恵美に告白するんだから、ちょっとした工夫が必要だろう。
俺は、告白の方法をいろいろと考えてみた。
前から薄々感じていたことなんだが、実は恵美も、俺のことが好きなんじゃないのかな。
多分……いや、絶対にそうだ。
恵美は俺の行動パターンを把握しているし、髪型や服装の乱れもすぐ気が付く。
それって、俺に興味があるから、だよな。
それともう一つ、前から気になっていたことがある。
学校が違うのに、ほとんど毎日、帰る時間が一緒になるということ。
恵美は、俺の帰宅時間の変動もすべて把握し、毎日、俺に会えるように時間を調整して下校しているのではないか?
……いや、それって自惚れが過ぎるのかな?
でも、名探偵恵美なら、やろうと思えばできるはず。
よし、イメージが湧いてきたぞ。
明日、名探偵恵美への告白はこんな感じでいこう。
俺は脳内で予行練習をしてみた。
俺は明日、恵美の真似をして指を振りながら、恵美にさっき考えた俺の推理を話し、
「恵美は俺のことが好きなんだろう」って言い当てる。
いつもは、俺が推理されている側だが、明日は俺が恵美の心を推理して当てるのだ!
そして、「俺も恵美が好きだ」と告白する。
よし! こういう流れでいこう!
俺は興奮してきた。
だが、こんなにうまくいくだろうか?
何か見落としていることはないだろうか?
不安は消えない。
俺は、眠れない夜を悶々と過ごし、眠たい朝を迎えた。
今日もいつもと同じように、学校帰りの道で、恵美と出会った。
俺たちは、昨夜のテレビで放送していたホームズの映画の話をしながら歩いていく。
さて、そろそろ本題に入らなくては。
俺は歩みを止める。
すると、恵美も歩みを止め、そして、俺の方を振り返った。
恵美の髪が揺れる。
俺と恵美は向かい合った。
いよいよ告白だ。
俺は恵美の真似をして、人差し指を立てた。
そして、乾いた口を開いた。
「恵美ってさ……」
俺が話し始めるや否や、恵美も人差し指を出して近づいてきた。
そして、その指を俺の唇に押し当てた。
「!?」
これは黙れってことなのか?
俺の頭の中は真っ白になった。
恵美は俺の唇から指を離すと、左右に振りながらこう言った。
「ごめんね涼介、私の推理、聞いてくれるかな?」
なんだ?
俺は目を白黒させながらも頷いた。
「涼介が言おうとしていたこと、当ててあげる。
まず、涼介は昨日、遅くまで起きていましたね。
目の下にクマがあるよ。
寝不足の理由はホームズの映画を見ていたから、だけではないと思う」
俺の体に緊張が走る。
「涼介ってアクション映画とか好きでしょ?
それなのにホームズの映画の話をしてきた。
私が推理ものの映画が好きってこと、知ってるからだよね。
私に合わせてくれているのね。ありがとう」
恵美の推理がぐいぐいと俺の心の中をえぐっていく。
俺の口の中は、どんどん乾いていく……
「寝不足の時は、たいてい、涼介の髪はめちゃくちゃ。
服のボタンを掛け違えていたこともあった。
でもね、今日の涼介って髪型もきまってるし、
制服にアイロンがかかっている」
俺の鼓動が速くなっていく……
「寝不足のはずなのに、身だしなみはきちっとしている。
それって、涼介が今日、大事な話をしようって思っていたからでしょ?」
すべて図星だ……
俺は恵美が次に紡ぐ言葉を、戦々恐々として待っていた。
「涼介ってさ……」
そこで恵美はいったん、間をおいた。
「私のこと、好きでしょ?」
俺の顔が赤くなる。
俺の思いは完全に読まれていたのだった……
「でね、昨日、涼介とホームズごっこしたけど、
私、わかったことの三つ目、まだ言ってなかったよね」
そうだった。鉄棒、お裁縫、あと一つわかったと言っていた。
「涼介の手を握って、分かったことがあるの」
恵美はくるりと回り、俺に背中を向けた。
制服のスカートが優雅に翻った。
「涼介の手を握って分かったこと……それは、私の気持ち……
私、涼介のことが好き」
二人の間に、しばらく沈黙が流れた。
俺は恵美に近づくと、後ろからそっと抱いた。
そして、恵美の体をこちらに向け、恵美の顔を見て、こう言った。
「俺も、恵美のことが好きだ」
「嬉しい! ありがとう!」
こうして、俺たちは交際することになった。
前日、徹夜で考えた告白作戦は、結局のところ、予定通りには実行できなかった。
とは言え、両思いであったことをお互いに確かめ合えたので、結果オーライだ。
しかし、恵美の方が一枚、いや、何枚も上手だった。
名探偵恵美は、自分が告白されることも見抜いていたんだな……
* * *
ある日のこと、俺は恵美にこんな冗談を言ってみた。
「推理ばっかりしていると、浮気を疑う女みたいに見られて嫌われるぞ」
すると、恵美は推理するときのいつもの指振りポーズをしながら、俺にこう言った。
「あら、それは大丈夫。
だって、私は涼介が絶対に浮気をしないってこと、知っているもん」
俺の顔が熱くなった。
名探偵恵美には、やはり、すべてお見通しだった……
公立の学校に通っている、ごく普通の男子生徒だ。
俺には幼稚園時代からの幼馴染がいる。
恵美だ。
ルックスで言えば、世間一般的にはかわいい子ということになるらしい。
というのも、恵美の写真をクラスの男友達に見せたら、うらやましいだの、紹介しろよだの、そんな風に言われることが多いからだ。
だが、彼女の性格を知り尽くしている俺に言わせれば、まあ、写真で見るだけにしておけ、と思ってしまう。
恵美は推理小説を読んだり、探偵が出てくる映画を観たりするのが好きな、いわゆるミステリーファンというやつだ。
それだけなら何も問題ないのだが、恵美は私生活でもすっかり「名探偵」になりきっているのだ。
何でもかんでも推理、推理、推理……
俺はどちらかというと、アクション映画とかの方が好きなんだけどな。
昨日まで降り続いた雨は今朝になって止み、俺は学校からの帰途についていた。
交差点の向こうから、幼馴染の恵美がやってくる。
恵美は私立の制服を着ていて、それがよく似合っている。
俺は公立に通っているので、恵美とは学校が違うのだ。
にも関わらず、下校時間にこうして恵美と出会うのは、恵美の家が俺の向かいにあるからなのだ。
「涼介! 塾はサボり? だめですね」
出会い頭のセリフがいきなりこれだよ……
恵美は続ける。
「あれ? なんでサボったことバレてる? って顔しているね」
俺は顔に出やすいタイプだ。
恵美はニヤニヤしながら指摘してくる。
「いつもはあっちの道から出てくるはずなのに、今日はこっちから来た。
塾はこっちの道じゃないよね~」
俺の行動パターンが読まれている。
恵美は人差し指を出して、顔の前で立てた。
「何をしていたか、当ててあげる!」
「いいよ……余計なお世話だよ……」
俺の言葉を聞き流して、恵美は勝手に推理を始めた。
「涼介……あなたは塾をサボって……本屋さんに行ってましたね」
ズバリと当ててくるから恵美は恐い。
「な、なんでそう思うんだよ?」
「ふふふ……」
恵美は立てた人差し指を左右に振る。
推理するときのお決まりのポーズだ。
そして、その人差し指を俺の足元へと向けた。
「その泥だらけの靴。ぬかるんだ道を歩いてきたでしょ」
確かに、俺の靴には泥が付いている。
「昨日まで雨、降ってたし……」
「今朝は止んでいたよ。それにほら、この辺りはほとんど乾いている。
それなのにその靴の泥、さっきついたばかりって感じ。
この辺りで水はけが悪い道は、あの本屋さんの前の通り」
靴を見て、どこを歩いていたかまで分かってしまうのか。
「しょ、証拠はあるのかよ?」
それを聞いて、恵美は吹き出した。
「何それ! 開き直った犯人みたいなセリフ。
でもいいよ、証拠、見せてあげる」
恵美は近づいて、俺の体を触った。
「え? 何すんだよ」
「証拠よ」
恵美は俺の服についていた何かを、指でつまんで見せた。
「はい、猫の毛。
この毛色はあの本屋さんにいるシロちゃんの毛。
涼介、お店のご主人と仲良しだから、雑談ついでに猫を抱っこさせてもらったんでしょ」
ここまで読まれてしまうと正直、怖いとすら思ってしまう。
そんなある日、名探偵(?)恵美に、事件の解決を依頼する出来事が起きた。
俺の家に、ピンポンダッシュをしてくる奴がいる。
ピンポンダッシュとは、用もないのに玄関のチャイムを鳴らして逃げるイタズラのこと。
チャイムが鳴り、モニターを見てみると、なぜか誰も映っていない。
カメラに死角があるのだろうか。
こういうことが最近続いている。
はじめは恵美がやっているんだろうかとも思ったが、恵美がいない時間にもチャイムが鳴らされている。
ある日、ピンポンダッシュを玄関で待ち伏せしてみたことがある。
鳴らされそうな時間帯に玄関で待機しておき、鳴った瞬間に玄関を開ける。
そうすれば、相手は絶対に逃げられないはずだ。
俺は待ち構えていた……
ピンポ~~ン!
今だ!
俺はすかさずドアを開けた。
が、誰もいない……
これにはさすがに背筋が凍った。
幽霊でも来ているのか?
業者にチャイムを調べてもらったこともあるが、故障ではなかった。
恵美にこの話をしてみると、探偵の血が騒ぐのか、興味津々のようだ。
「ちょっと、チャイムを調べさせて」
二人で現場検証をしてみた。
「強い風でも吹いたんじゃない?」
我が家のチャイムは、軽く触れるだけで鳴るようになっている。
ボタンをバタバタ扇いでみた。
しかし、さすがに風で鳴るということはなかった。
「何かがぶつかったとか……」
当たった形跡がないか、表面や周辺の地面を調べた。
けれども、手がかりは見つけられなかった。
恵美は言った。
「涼介、明日学校からチョークの粉をもらってきて。
犯人を見つけ出すの」
翌日、俺は恵美に言われるままに、学校の黒板消しクリーナーからチョークの粉を取り出し、袋に入れて持ち帰った。
「どうすんだよ、こんなもん」
「まあ、見ていて」
恵美は玄関の前に粉をまき始めた。
チョークの粉はコンクリートの色にまぎれ、粉がまかれていることはぱっと見、分からない感じになった。
そうか! 犯人の足型を取るのか!
まるで鑑識だ……
そして、靴の裏に粉が付着するかもしれない。
そうなれば、証拠にもなる。
「何かあったら電話で知らせて」
そう言うと、恵美は向かいの家に帰っていった。
俺も家に入り、犯人が現れるのを待つことにした。
辺りは暗くなった。
ピンポ~~ン!
鳴った!
モニターを見てみるが誰も映っていない。
俺は急いで玄関に行き、ドアを開けた。
誰もいない。
さっそく、玄関先にまいた粉の様子を見てみた。
犯人の足跡が取れているはず……
あれ?
足跡が……ない……
俺はすぐに恵美に連絡した。
恵美は制服から普段着に着替えていた。
名探偵よろしく、恵美は虫メガネを持参して現場検証を始めた。
暗くなってはいるが、玄関は常夜灯で照らされている。
よく見てみたが、粉を誰かが踏んだような跡は見られなかった。
次に、チャイムのボタンを調べた。
何かをぶつけて鳴らした跡もない。
恵美は壁やチャイムのボタンを、虫メガネでまじまじと観察していた。
「ん? 涼介、ちょっと来て! 犯人が分かったかも!」
チャイムのボタンに、なんと白い粉がついている!
それは指紋などではない。
粉の跡はヤツデの葉っぱのような形になっていて、とても小さい。
さすがにこんなに小さいヤツデの葉っぱなんてない。
近くの雑草を調べてみたが、もちろん、そんな葉っぱはなかった。
それから恵美は、家を壁伝いに歩いて足元を調べていった。
犯人は現場からなるべく早く消えたいと思うもの。
奥の方を探しても意味がないだろう。
それとも、そこに犯人が潜んでいる?
しかし、人が隠れるような場所もなく、塀もあるので逃げることは難しい。
恵美は壁のそばの草むらも見て回っていた。
調べていた恵美の顔が一瞬、青ざめた。
恵美は静かにスマホを取り出すと写真を撮り、小走りに俺のところに戻ってきた。
「すべて分かった。この件は安心していいよ」
「どういうこと?」
「涼介、まだ宿題やってないでしょ?」
俺は帰宅してからずっとチャイムのことが気になっていたので、まだ宿題をしていなかった。
「宿題が終わったらメールちょうだい。真犯人を教えてあげるから」
恵美はそう言うと、にっこり笑い、向かいの家へと帰っていった。
俺は宿題を片付けることにした。
いつもは時間がかかる宿題も今日はあっという間。
見えない訪問者の正体を早く知りたいからだ。
宿題を終えた俺は、恵美に聞く前にまずは自分の頭で考えてみることにした。
チャイムのボタンについていた小さなヤツデの葉っぱみたいな跡。
恵美は家の壁沿いに歩き、写真を撮った。
その時、顔が引きつっていたのが気になるが、心配しなくていいと言った。
俺はしばらく考えてみた。
窓の外からコオロギの鳴く声が聞こえる。
結局、俺には何も分からなかった。
恵美に電話をしよう。
「宿題終わったよ。チャイムの犯人、教えてくれ」
「うん、いいよ。チャイムを鳴らしていたのはね……」
玄関のチャイムを鳴らしていたのは誰なのか。
モニターにも映らない。
鳴ってすぐ玄関を開けても誰もいない。
足型も取れない。
犯人は幽霊なのか?
恵美の答えは……
「ヤモリ」
え? 俺は拍子抜けした。
「ヤツデの葉っぱみたいな跡はね、ヤモリの足型。
足に粉を付けた状態でボタンに触ったんだと思う。
ヤモリは吸盤でもなくネバネバでもなく、ファンデルワールス力という力で壁にくっついて登るの。
だから、足に粉がついていても壁を登れるの。
でね、涼介の家の周りにはコオロギがいっぱいいるでしょ?
それを食べにヤモリがやってきた。
玄関には常夜灯があるから虫が集まりやすい。
ヤモリが玄関の壁を登って、足がチャイムのボタンに触れて鳴らしてしまったというわけ」
メールの着信音が鳴った。
添付された写真にはヤモリが写っている。
「今メール届いたでしょ? 写真のヤモリの足を見てみて」
画像をピンチアウトして見てみると、ヤモリの手足や腹部に白い粉が付いている。
「はい、これが犯人でした。
でもね、ヤモリは漢字で“家守”って書くこともあるから、基本的には縁起のいい生き物よ。いろんな虫を食べてくれるし」
「……恵美ってさ、ヤモリは苦手だろ?」
「あは、バレた?」
「写真撮る時、青ざめていたからな」
「ふふふ……」
名探偵でもヤモリは苦手なんだな。
「で、チャイムを鳴らされないようにするには、どうしたらいい?」
「ヤモリは爬虫類だから、ヘビ除けのスプレーが効くよ」
なるほど。さっそく実践してみた。
それからは、無人のチャイムは鳴らなくなった。
さすがは名探偵恵美だ。
* * *
そして、月日は流れた。
俺と恵美が下校途中で一緒になるのも相変わらずだ。
恵美との会話は、たわいもないものが多い。
そんなある日の帰り道……
「恵美、今日はテレビでホームズの映画の再放送があるぞ」
「知ってる! 私も見るよ!」
「恵美はホームズに憧れたりする?」
「もちろん! ねぇねぇ涼介~、ホームズごっこ、してみる?」
恵美が急に立ち止まったので、俺も慌てて立ち止まる。
俺は振り返り、恵美と向かい合った。
「は? ホームズごっこって、何?」
「涼介、ちょっと手を出して」
俺は手を差し出す。
恵美は、俺の手を見ると、急に握ってきた。
「こ、こんなところで握手かよ。何なんだ?」
「……涼介、最近体育で鉄棒やっていたでしょ。
それに、家庭科でお裁縫もしたんじゃない?」
むむむ……まったくその通りだ。
相変わらず恵美は鋭い。
恵美は急に視線をそらして手を放すと、どんどん先へと歩き始めた。
俺もついていく。
恵美は歩きながら推理を続けた。
「手のひらに豆ができていた。
それでね、体育で鉄棒やっていたのかな~って思って。
あとね、指先に小さい刺し傷があった。お裁縫で針が刺さったんじゃない?」
「握手するだけで、そこまで分かったのかよ!」
「ふふふ……ホームズはね、ワトスンと握手してすぐ、前歴を言い当てたのよ。だから、これがホームズごっこ。どう? 私って名探偵でしょ?」
「恵美って、そういうの好きだよな」
「うん。それでね、今、涼介と握手して分かったことが、もう一つあるんだ……」
「何?」
「それはね……明日この場所で教えてあげる!」
そう言うと、恵美は一人で走って帰ってしまった。
俺はその場に取り残された。
仕方ない……今日は一人で帰るとするか……
恵美と下校できないのは、なんだか寂しい。
俺は、さっきの恵美との握手のことを思い返していた。
恵美の手はとても温かかった。そして、柔らかかった。
恵美とは幼馴染で、幼い頃は二人で手をつないで遊んできたものだった。
しかし、この歳になって手をつなぐというのは、なんだかドキドキしてしまう。
俺の手、冷たくて嫌な感じとか与えていなかったかな?
そう考えると、なんだか不安になってきた。
家に帰った俺は、今日のことをもう一度考えてみた。
俺は恵美のことを、今まではただの幼馴染だと思ってきた。
けれど、今日、恵美に手を握られて、改めて思ったことがある。
俺は恵美のことが好きだ。
その思いを認めざるを得なかった。
明日、俺の思いを恵美に伝えよう。そう決心した。
あの名探偵恵美に告白するんだから、ちょっとした工夫が必要だろう。
俺は、告白の方法をいろいろと考えてみた。
前から薄々感じていたことなんだが、実は恵美も、俺のことが好きなんじゃないのかな。
多分……いや、絶対にそうだ。
恵美は俺の行動パターンを把握しているし、髪型や服装の乱れもすぐ気が付く。
それって、俺に興味があるから、だよな。
それともう一つ、前から気になっていたことがある。
学校が違うのに、ほとんど毎日、帰る時間が一緒になるということ。
恵美は、俺の帰宅時間の変動もすべて把握し、毎日、俺に会えるように時間を調整して下校しているのではないか?
……いや、それって自惚れが過ぎるのかな?
でも、名探偵恵美なら、やろうと思えばできるはず。
よし、イメージが湧いてきたぞ。
明日、名探偵恵美への告白はこんな感じでいこう。
俺は脳内で予行練習をしてみた。
俺は明日、恵美の真似をして指を振りながら、恵美にさっき考えた俺の推理を話し、
「恵美は俺のことが好きなんだろう」って言い当てる。
いつもは、俺が推理されている側だが、明日は俺が恵美の心を推理して当てるのだ!
そして、「俺も恵美が好きだ」と告白する。
よし! こういう流れでいこう!
俺は興奮してきた。
だが、こんなにうまくいくだろうか?
何か見落としていることはないだろうか?
不安は消えない。
俺は、眠れない夜を悶々と過ごし、眠たい朝を迎えた。
今日もいつもと同じように、学校帰りの道で、恵美と出会った。
俺たちは、昨夜のテレビで放送していたホームズの映画の話をしながら歩いていく。
さて、そろそろ本題に入らなくては。
俺は歩みを止める。
すると、恵美も歩みを止め、そして、俺の方を振り返った。
恵美の髪が揺れる。
俺と恵美は向かい合った。
いよいよ告白だ。
俺は恵美の真似をして、人差し指を立てた。
そして、乾いた口を開いた。
「恵美ってさ……」
俺が話し始めるや否や、恵美も人差し指を出して近づいてきた。
そして、その指を俺の唇に押し当てた。
「!?」
これは黙れってことなのか?
俺の頭の中は真っ白になった。
恵美は俺の唇から指を離すと、左右に振りながらこう言った。
「ごめんね涼介、私の推理、聞いてくれるかな?」
なんだ?
俺は目を白黒させながらも頷いた。
「涼介が言おうとしていたこと、当ててあげる。
まず、涼介は昨日、遅くまで起きていましたね。
目の下にクマがあるよ。
寝不足の理由はホームズの映画を見ていたから、だけではないと思う」
俺の体に緊張が走る。
「涼介ってアクション映画とか好きでしょ?
それなのにホームズの映画の話をしてきた。
私が推理ものの映画が好きってこと、知ってるからだよね。
私に合わせてくれているのね。ありがとう」
恵美の推理がぐいぐいと俺の心の中をえぐっていく。
俺の口の中は、どんどん乾いていく……
「寝不足の時は、たいてい、涼介の髪はめちゃくちゃ。
服のボタンを掛け違えていたこともあった。
でもね、今日の涼介って髪型もきまってるし、
制服にアイロンがかかっている」
俺の鼓動が速くなっていく……
「寝不足のはずなのに、身だしなみはきちっとしている。
それって、涼介が今日、大事な話をしようって思っていたからでしょ?」
すべて図星だ……
俺は恵美が次に紡ぐ言葉を、戦々恐々として待っていた。
「涼介ってさ……」
そこで恵美はいったん、間をおいた。
「私のこと、好きでしょ?」
俺の顔が赤くなる。
俺の思いは完全に読まれていたのだった……
「でね、昨日、涼介とホームズごっこしたけど、
私、わかったことの三つ目、まだ言ってなかったよね」
そうだった。鉄棒、お裁縫、あと一つわかったと言っていた。
「涼介の手を握って、分かったことがあるの」
恵美はくるりと回り、俺に背中を向けた。
制服のスカートが優雅に翻った。
「涼介の手を握って分かったこと……それは、私の気持ち……
私、涼介のことが好き」
二人の間に、しばらく沈黙が流れた。
俺は恵美に近づくと、後ろからそっと抱いた。
そして、恵美の体をこちらに向け、恵美の顔を見て、こう言った。
「俺も、恵美のことが好きだ」
「嬉しい! ありがとう!」
こうして、俺たちは交際することになった。
前日、徹夜で考えた告白作戦は、結局のところ、予定通りには実行できなかった。
とは言え、両思いであったことをお互いに確かめ合えたので、結果オーライだ。
しかし、恵美の方が一枚、いや、何枚も上手だった。
名探偵恵美は、自分が告白されることも見抜いていたんだな……
* * *
ある日のこと、俺は恵美にこんな冗談を言ってみた。
「推理ばっかりしていると、浮気を疑う女みたいに見られて嫌われるぞ」
すると、恵美は推理するときのいつもの指振りポーズをしながら、俺にこう言った。
「あら、それは大丈夫。
だって、私は涼介が絶対に浮気をしないってこと、知っているもん」
俺の顔が熱くなった。
名探偵恵美には、やはり、すべてお見通しだった……



