俺の名は涼介(りょうすけ)
 公立の学校に通っている、ごく普通の男子生徒だ。

 俺には幼稚園時代からの幼馴染(おさななじみ)がいる。
 恵美(えみ)だ。

 ルックスで言えば、世間一般的にはかわいい子ということになるらしい。
 というのも、恵美の写真をクラスの男友達に見せたら、うらやましいだの、紹介しろよだの、そんな風に言われることが多いからだ。

 だが、彼女の性格を知り尽くしている俺に言わせれば、まあ、写真で見るだけにしておけ、と思ってしまう。

 恵美は推理小説を読んだり、探偵が出てくる映画を観たりするのが好きな、いわゆるミステリーファンというやつだ。
 それだけなら何も問題ないのだが、恵美は私生活でもすっかり「名探偵」になりきっているのだ。
 何でもかんでも推理、推理、推理……

 俺はどちらかというと、アクション映画とかの方が好きなんだけどな。

 昨日まで降り続いた雨は今朝になって止み、俺は学校からの帰途についていた。

 交差点の向こうから、幼馴染の恵美がやってくる。
 恵美は私立の制服を着ていて、それがよく似合っている。
 俺は公立に通っているので、恵美とは学校が違うのだ。
 にも関わらず、下校時間にこうして恵美と出会うのは、恵美の家が俺の向かいにあるからなのだ。


「涼介! 塾はサボり? だめですね」

 出会い頭のセリフがいきなりこれだよ……
 恵美は続ける。

「あれ? なんでサボったことバレてる? って顔しているね」

 俺は顔に出やすいタイプだ。
 恵美はニヤニヤしながら指摘してくる。

「いつもはあっちの道から出てくるはずなのに、今日はこっちから来た。
 塾はこっちの道じゃないよね~」

 俺の行動パターンが読まれている。
 恵美は人差し指を出して、顔の前で立てた。

「何をしていたか、当ててあげる!」

「いいよ……余計なお世話だよ……」

 俺の言葉を聞き流して、恵美は勝手に推理を始めた。

「涼介……あなたは塾をサボって……本屋さんに行ってましたね」

 ズバリと当ててくるから恵美は恐い。

「な、なんでそう思うんだよ?」

「ふふふ……」

 恵美は立てた人差し指を左右に振る。
 推理するときのお決まりのポーズだ。
 そして、その人差し指を俺の足元へと向けた。

「その泥だらけの靴。ぬかるんだ道を歩いてきたでしょ」

 確かに、俺の靴には泥が付いている。

「昨日まで雨、降ってたし……」

「今朝は止んでいたよ。それにほら、この辺りはほとんど乾いている。
 それなのにその靴の泥、さっきついたばかりって感じ。
 この辺りで水はけが悪い道は、あの本屋さんの前の通り」

 靴を見て、どこを歩いていたかまで分かってしまうのか。

「しょ、証拠はあるのかよ?」

 それを聞いて、恵美は吹き出した。

「何それ! 開き直った犯人みたいなセリフ。
 でもいいよ、証拠、見せてあげる」

 恵美は近づいて、俺の体を触った。

「え? 何すんだよ」

「証拠よ」

 恵美は俺の服についていた何かを、指でつまんで見せた。

「はい、猫の毛。
 この毛色はあの本屋さんにいるシロちゃんの毛。
 涼介、お店のご主人と仲良しだから、雑談ついでに猫を抱っこさせてもらったんでしょ」

 ここまで読まれてしまうと正直、怖いとすら思ってしまう。


 そんなある日、名探偵(?)恵美に、事件の解決を依頼する出来事が起きた。

 俺の家に、ピンポンダッシュをしてくる奴がいる。
 ピンポンダッシュとは、用もないのに玄関のチャイムを鳴らして逃げるイタズラのこと。

 チャイムが鳴り、モニターを見てみると、なぜか誰も映っていない。
 カメラに死角があるのだろうか。
 こういうことが最近続いている。
 はじめは恵美がやっているんだろうかとも思ったが、恵美がいない時間にもチャイムが鳴らされている。

 ある日、ピンポンダッシュを玄関で待ち伏せしてみたことがある。
 鳴らされそうな時間帯に玄関で待機しておき、鳴った瞬間に玄関を開ける。
 そうすれば、相手は絶対に逃げられないはずだ。
 俺は待ち構えていた……


 ピンポ~~ン!


 今だ!
 俺はすかさずドアを開けた。

 が、誰もいない……

 これにはさすがに背筋が凍った。
 幽霊でも来ているのか?
 業者にチャイムを調べてもらったこともあるが、故障ではなかった。

 恵美にこの話をしてみると、探偵の血が騒ぐのか、興味津々のようだ。

「ちょっと、チャイムを調べさせて」

 二人で現場検証をしてみた。

「強い風でも吹いたんじゃない?」

 我が家のチャイムは、軽く触れるだけで鳴るようになっている。
 ボタンをバタバタ扇いでみた。
 しかし、さすがに風で鳴るということはなかった。

「何かがぶつかったとか……」

 当たった形跡がないか、表面や周辺の地面を調べた。
 けれども、手がかりは見つけられなかった。
 恵美は言った。

「涼介、明日学校からチョークの粉をもらってきて。
 犯人を見つけ出すの」

 翌日、俺は恵美に言われるままに、学校の黒板消しクリーナーからチョークの粉を取り出し、袋に入れて持ち帰った。

「どうすんだよ、こんなもん」

「まあ、見ていて」

 恵美は玄関の前に粉をまき始めた。
 チョークの粉はコンクリートの色にまぎれ、粉がまかれていることはぱっと見、分からない感じになった。

 そうか! 犯人の足型を取るのか!
 まるで鑑識だ……
 そして、靴の裏に粉が付着するかもしれない。
 そうなれば、証拠にもなる。

「何かあったら電話で知らせて」

 そう言うと、恵美は向かいの家に帰っていった。
 俺も家に入り、犯人が現れるのを待つことにした。


 辺りは暗くなった。


 ピンポ~~ン!


 鳴った!
 モニターを見てみるが誰も映っていない。
 俺は急いで玄関に行き、ドアを開けた。


 誰もいない。


 さっそく、玄関先にまいた粉の様子を見てみた。
 犯人の足跡が取れているはず……

 あれ?
 足跡が……ない……

 俺はすぐに恵美に連絡した。

 恵美は制服から普段着に着替えていた。
 名探偵よろしく、恵美は虫メガネを持参して現場検証を始めた。

 暗くなってはいるが、玄関は常夜灯で照らされている。
 よく見てみたが、粉を誰かが踏んだような跡は見られなかった。

 次に、チャイムのボタンを調べた。
 何かをぶつけて鳴らした跡もない。
 恵美は壁やチャイムのボタンを、虫メガネでまじまじと観察していた。

「ん? 涼介、ちょっと来て! 犯人が分かったかも!」

 チャイムのボタンに、なんと白い粉がついている!
 それは指紋などではない。
 粉の跡はヤツデの葉っぱのような形になっていて、とても小さい。
 さすがにこんなに小さいヤツデの葉っぱなんてない。
 近くの雑草を調べてみたが、もちろん、そんな葉っぱはなかった。

 それから恵美は、家を壁伝いに歩いて足元を調べていった。
 犯人は現場からなるべく早く消えたいと思うもの。
 奥の方を探しても意味がないだろう。
 それとも、そこに犯人が潜んでいる?
 しかし、人が隠れるような場所もなく、塀もあるので逃げることは難しい。

 恵美は壁のそばの草むらも見て回っていた。

 調べていた恵美の顔が一瞬、青ざめた。
 恵美は静かにスマホを取り出すと写真を撮り、小走りに俺のところに戻ってきた。

「すべて分かった。この件は安心していいよ」

「どういうこと?」

「涼介、まだ宿題やってないでしょ?」

 俺は帰宅してからずっとチャイムのことが気になっていたので、まだ宿題をしていなかった。

「宿題が終わったらメールちょうだい。真犯人を教えてあげるから」

 恵美はそう言うと、にっこり笑い、向かいの家へと帰っていった。
 俺は宿題を片付けることにした。

 いつもは時間がかかる宿題も今日はあっという間。
 見えない訪問者の正体を早く知りたいからだ。

 宿題を終えた俺は、恵美に聞く前にまずは自分の頭で考えてみることにした。

 チャイムのボタンについていた小さなヤツデの葉っぱみたいな跡。
 恵美は家の壁沿いに歩き、写真を撮った。
 その時、顔が引きつっていたのが気になるが、心配しなくていいと言った。

 俺はしばらく考えてみた。
 窓の外からコオロギの鳴く声が聞こえる。

 結局、俺には何も分からなかった。
 恵美に電話をしよう。

「宿題終わったよ。チャイムの犯人、教えてくれ」

「うん、いいよ。チャイムを鳴らしていたのはね……」

 玄関のチャイムを鳴らしていたのは誰なのか。
 モニターにも映らない。
 鳴ってすぐ玄関を開けても誰もいない。
 足型も取れない。
 犯人は幽霊なのか?
 恵美の答えは……
「ヤモリ」
 え? 俺は拍子抜けした。

「ヤツデの葉っぱみたいな跡はね、ヤモリの足型。
 足に粉を付けた状態でボタンに触ったんだと思う。
 ヤモリは吸盤でもなくネバネバでもなく、ファンデルワールス力という力で壁にくっついて登るの。
 だから、足に粉がついていても壁を登れるの。
 でね、涼介の家の周りにはコオロギがいっぱいいるでしょ?
 それを食べにヤモリがやってきた。
 玄関には常夜灯があるから虫が集まりやすい。
 ヤモリが玄関の壁を登って、足がチャイムのボタンに触れて鳴らしてしまったというわけ」

 メールの着信音が鳴った。
 添付された写真にはヤモリが写っている。

「今メール届いたでしょ? 写真のヤモリの足を見てみて」

 画像をピンチアウトして見てみると、ヤモリの手足や腹部に白い粉が付いている。

「はい、これが犯人でした。
 でもね、ヤモリは漢字で“家守”って書くこともあるから、基本的には縁起のいい生き物よ。いろんな虫を食べてくれるし」

「……恵美ってさ、ヤモリは苦手だろ?」

「あは、バレた?」

「写真撮る時、青ざめていたからな」

「ふふふ……」

 名探偵でもヤモリは苦手なんだな。

「で、チャイムを鳴らされないようにするには、どうしたらいい?」

「ヤモリは爬虫類だから、ヘビ除けのスプレーが効くよ」

 なるほど。さっそく実践してみた。

 それからは、無人のチャイムは鳴らなくなった。
 さすがは名探偵恵美だ。


 * * *


 そして、月日は流れた。
 俺と恵美が下校途中で一緒になるのも相変わらずだ。
 恵美との会話は、たわいもないものが多い。

 そんなある日の帰り道……

「恵美、今日はテレビでホームズの映画の再放送があるぞ」

「知ってる! 私も見るよ!」

「恵美はホームズに憧れたりする?」

「もちろん! ねぇねぇ涼介~、ホームズごっこ、してみる?」

 恵美が急に立ち止まったので、俺も慌てて立ち止まる。
 俺は振り返り、恵美と向かい合った。

「は? ホームズごっこって、何?」

「涼介、ちょっと手を出して」

 俺は手を差し出す。
 恵美は、俺の手を見ると、急に握ってきた。

「こ、こんなところで握手かよ。何なんだ?」

「……涼介、最近体育で鉄棒やっていたでしょ。
 それに、家庭科でお裁縫もしたんじゃない?」

 むむむ……まったくその通りだ。
 相変わらず恵美は鋭い。

 恵美は急に視線をそらして手を放すと、どんどん先へと歩き始めた。
 俺もついていく。

 恵美は歩きながら推理を続けた。

「手のひらに豆ができていた。
 それでね、体育で鉄棒やっていたのかな~って思って。
 あとね、指先に小さい刺し傷があった。お裁縫で針が刺さったんじゃない?」

「握手するだけで、そこまで分かったのかよ!」

「ふふふ……ホームズはね、ワトスンと握手してすぐ、前歴を言い当てたのよ。だから、これがホームズごっこ。どう? 私って名探偵でしょ?」

「恵美って、そういうの好きだよな」

「うん。それでね、今、涼介と握手して分かったことが、もう一つあるんだ……」

「何?」

「それはね……明日この場所で教えてあげる!」

 そう言うと、恵美は一人で走って帰ってしまった。

 俺はその場に取り残された。

 仕方ない……今日は一人で帰るとするか……
 恵美と下校できないのは、なんだか寂しい。

 俺は、さっきの恵美との握手のことを思い返していた。
 恵美の手はとても温かかった。そして、柔らかかった。

 恵美とは幼馴染で、幼い頃は二人で手をつないで遊んできたものだった。
 しかし、この歳になって手をつなぐというのは、なんだかドキドキしてしまう。

 俺の手、冷たくて嫌な感じとか与えていなかったかな?
 そう考えると、なんだか不安になってきた。

 家に帰った俺は、今日のことをもう一度考えてみた。

 俺は恵美のことを、今まではただの幼馴染だと思ってきた。
 けれど、今日、恵美に手を握られて、改めて思ったことがある。


 俺は恵美のことが好きだ。


 その思いを認めざるを得なかった。
 明日、俺の思いを恵美に伝えよう。そう決心した。
 あの名探偵恵美に告白するんだから、ちょっとした工夫が必要だろう。

 俺は、告白の方法をいろいろと考えてみた。

 前から薄々感じていたことなんだが、実は恵美も、俺のことが好きなんじゃないのかな。

 多分……いや、絶対にそうだ。

 恵美は俺の行動パターンを把握しているし、髪型や服装の乱れもすぐ気が付く。
 それって、俺に興味があるから、だよな。

 それともう一つ、前から気になっていたことがある。
 学校が違うのに、ほとんど毎日、帰る時間が一緒になるということ。
 恵美は、俺の帰宅時間の変動もすべて把握し、毎日、俺に会えるように時間を調整して下校しているのではないか?
 ……いや、それって自惚れが過ぎるのかな?

 でも、名探偵恵美なら、やろうと思えばできるはず。

 よし、イメージが湧いてきたぞ。
 明日、名探偵恵美への告白はこんな感じでいこう。
 俺は脳内で予行練習をしてみた。

 俺は明日、恵美の真似をして指を振りながら、恵美にさっき考えた俺の推理を話し、
「恵美は俺のことが好きなんだろう」って言い当てる。
 いつもは、俺が推理されている側だが、明日は俺が恵美の心を推理して当てるのだ!
 そして、「俺も恵美が好きだ」と告白する。
 よし! こういう流れでいこう!

 俺は興奮してきた。
 だが、こんなにうまくいくだろうか?
 何か見落としていることはないだろうか?
 不安は消えない。

 俺は、眠れない夜を悶々と過ごし、眠たい朝を迎えた。

 今日もいつもと同じように、学校帰りの道で、恵美と出会った。

 俺たちは、昨夜のテレビで放送していたホームズの映画の話をしながら歩いていく。
 さて、そろそろ本題に入らなくては。
 俺は歩みを止める。

 すると、恵美も歩みを止め、そして、俺の方を振り返った。
 恵美の髪が揺れる。
 俺と恵美は向かい合った。

 いよいよ告白だ。
 俺は恵美の真似をして、人差し指を立てた。
 そして、乾いた口を開いた。

「恵美ってさ……」

 俺が話し始めるや否や、恵美も人差し指を出して近づいてきた。
 そして、その指を俺の唇に押し当てた。

「!?」

 これは黙れってことなのか?
 俺の頭の中は真っ白になった。
 恵美は俺の唇から指を離すと、左右に振りながらこう言った。

「ごめんね涼介、私の推理、聞いてくれるかな?」

 なんだ?
 俺は目を白黒させながらも頷いた。

「涼介が言おうとしていたこと、当ててあげる。
 まず、涼介は昨日、遅くまで起きていましたね。
 目の下にクマがあるよ。
 寝不足の理由はホームズの映画を見ていたから、だけではないと思う」

 俺の体に緊張が走る。

「涼介ってアクション映画とか好きでしょ?
 それなのにホームズの映画の話をしてきた。
 私が推理ものの映画が好きってこと、知ってるからだよね。
 私に合わせてくれているのね。ありがとう」

 恵美の推理がぐいぐいと俺の心の中をえぐっていく。
 俺の口の中は、どんどん乾いていく……

「寝不足の時は、たいてい、涼介の髪はめちゃくちゃ。
 服のボタンを掛け違えていたこともあった。
 でもね、今日の涼介って髪型もきまってるし、
 制服にアイロンがかかっている」

 俺の鼓動が速くなっていく……

「寝不足のはずなのに、身だしなみはきちっとしている。
 それって、涼介が今日、大事な話をしようって思っていたからでしょ?」

 すべて図星だ……
 俺は恵美が次に紡ぐ言葉を、戦々恐々として待っていた。

「涼介ってさ……」

 そこで恵美はいったん、間をおいた。


「私のこと、好きでしょ?」


 俺の顔が赤くなる。
 俺の思いは完全に読まれていたのだった……


「でね、昨日、涼介とホームズごっこしたけど、
 私、わかったことの三つ目、まだ言ってなかったよね」

 そうだった。鉄棒、お裁縫、あと一つわかったと言っていた。

「涼介の手を握って、分かったことがあるの」

 恵美はくるりと回り、俺に背中を向けた。
 制服のスカートが優雅に翻った。

「涼介の手を握って分かったこと……それは、私の気持ち……
 私、涼介のことが好き」

 二人の間に、しばらく沈黙が流れた。


 俺は恵美に近づくと、後ろからそっと抱いた。
 そして、恵美の体をこちらに向け、恵美の顔を見て、こう言った。

「俺も、恵美のことが好きだ」

「嬉しい! ありがとう!」

 こうして、俺たちは交際することになった。

 前日、徹夜で考えた告白作戦は、結局のところ、予定通りには実行できなかった。
 とは言え、両思いであったことをお互いに確かめ合えたので、結果オーライだ。

 しかし、恵美の方が一枚、いや、何枚も上手(うわて)だった。
 名探偵恵美は、自分が告白されることも見抜いていたんだな……


 * * *


 ある日のこと、俺は恵美にこんな冗談を言ってみた。

「推理ばっかりしていると、浮気を疑う女みたいに見られて嫌われるぞ」

 すると、恵美は推理するときのいつもの指振りポーズをしながら、俺にこう言った。

「あら、それは大丈夫。
 だって、私は涼介が絶対に浮気をしないってこと、知っているもん」


 俺の顔が熱くなった。

 名探偵恵美には、やはり、すべてお見通しだった……